第6話
だが、目標は確かに見えていたが、想定外に道が曲折していた。
失敗を悟った時にはもう引き返せない程進んでいて、先に行くしかなかった。
そのうちカンナの畑に入り込んでいた。
赤や黄、斑のカンナが整然と植えられていた。
行くほどにカンナの丈が高くなり、しまいには譲治の背丈すら超えてしまった。
そうなると、何か取り囲まれている感じだ。圧迫感を感じて傍らを振り返ると、しをりがいなかった。
「おい、どこだ?」
声を出すと、
「ここよ」
と返事があった。思いの外遠くだ。
「あんまり離れるな。こっち来いよ」
「こっちってどっちよ?」
「声のする方さ」
「わかんない」
「ここだ、ここ」
傍らのカンナを揺すった。
足を止めてしばらく待ったが、しをりは寄ってこなかった。
じっと耳を澄ませた。
何の気配もしなかった。
「おーい、どこだ?」
ちょっと間があった。
「こっちよぉ」
声が随分遠くなった。
「おーい、聞こえるか?」
「おーい?」
しをりからも呼び掛けが返ってきた。結構のんびりして聞こえるので、拍子抜けする。
「待て、動くな。今行くから!」
譲治は当てずっぽうにカンナの海に分け入った。
葉に顔を叩かれながら、声が来たとおぼしき方へ向かった。
「おーい」
返事はなかった。
「おーい、しをりぃ!」
返事はない。だんだん不安になってきた。
「おーいっ! 返事しろ!」
叫んではまた耳を澄ませた。応答はなかった。
譲治はしをりがたてる葉擦れの音を捉えようと神経を集中した。
すると頭の上から静寂がのし掛かってきた。
ぶんと虫の羽音が耳をかすめた。目の前の畝の起伏を几帳面になぞって、小さな鳥の影がよぎっていった。それだけだった。
ふいに寂寥を覚えた。しをりがわざと離れていったような気がした。
「おいっ、しをりぃ。おいっ!」
喚きながら足早に進んだ。どちらの方角から来て、どちらへ向かっているのか、もはや分からなくなっていた。美術館の姿はカンナの群生に呑まれてとっくに見えなかった。だが動かないわけにはいかなかった。とにかく勘を頼りに歩き続けた。
何かに足をとられた。
不覚にもよろけた。
目の前のカンナをなぎ倒しながら、足を送ってなんとか転倒をこらえた。
すると、ふいに開けた場所に上体が突き出ていた。
農道だった。道の向こう側にもカンナがびっしり植わっている。
そこにしをりがいた。
真正面で可笑しそうに譲治を見ていた。
「おい……」
しをりを見据えて文句を言いかけて、だが言葉を飲み込んだ。
笑んだ、途上国の子供のような涼やかな目がそこにあった。
それでも譲治は背信の証拠をしをりの顔に探そうとした。が、成功しなかった。
そっと息を吐いた。
譲治は狼狽していた。自分の滑稽さ、自分の動揺に。親しい女に初めて抱いた不安に。
そして、初めて老いを意識した。
「ほら」
しをりが真横に腕を差し伸べた。
農道の突き当たりに美術館があった。
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