第17話 彼は「吾妻はや」と叫ぶか
ヤマトが都を出ようとすると、背後から声がかかった。
「あなたはヤマト六等星でありますか」
柔らかい、甘い花のような声だった。振り返るとイワナガよりもひと回りほど小柄な女性が立っていた。
年はヤマトより幾つか上か。徽章は銀星七等星。両の腰に短刀がひと振りずつ。瞳は焦茶色、髪は長く黒く、首の付け根で一つに束ねていた。どこかで見たことあるような気がしたが、集団での任務だろうか。直接言葉を交わしたことはないはずだと、ヤマトは記憶を探った結果、そう判断した。
「そうだ。俺はヤマトだ。それとすまない。俺は君の名を知らない」
ヤマトは素直に彼女に答えた。
女性はヤマトの言葉に傷つくそぶりも見せず、ふわりと微笑み、こう名乗った。
「コードネーム、オトタチバナと申します。お話できて光栄です」
彼女の言葉に、ヤマトはハッと息を飲んだ。
ヤマトのコードネームはクニの名前を付けたと周囲の庭師は思っているらしいが、正式なコードネームはあの『ヤマトタケル』である。
オトタチバナ。
日本神話において、ヤマトタケルの妻であり、海神の怒りを鎮めるために海に身を投じた悲劇の姫とされている。
その名をコードネームに付けられた彼女は、一体どんな気持ちになっただろうか。夫の名を冠する者が、星堕ちだということにどんな感情を抱いているのだろうか。そしてどんな想いで自分に接触してきたのだろうか。
「あー、コードネームが夫婦だからって、別に俺と仲良くしなくて良いんだぞ?」
ヤマトはひらひらと手を緩く振りながら、オトタチバナと名乗った女性に言った。
「わたしはコードネームを頂く以前に、あなたとお会いしているのです。7年前、エダに襲われそうになっていたところを助けていただきました」
そうだったのか。とは言え、ヤマトにはこれっぽっちも記憶がなかった。エダに襲われる人々を助ける任務は、それこそ星の数ほどこなしてきたからだ。
「あの日から、わたしは早く庭師になると心に誓い、あなたと肩を並べて戦える日が来るのを夢に日々研鑽いたしました。どうぞオトとお呼びください」
オトに深々とお辞儀をされたヤマトは困っていた。憧れの人と肩を並べて戦うために強くなった女性。それは身近でも最近聞いた話だった。
イワナガとアララギが付き合っているという噂を小耳に挟んだ。情報源は先日参入したドイツ人の金星、ヴィルからだ。天幕の裏でアララギがイワナガの頬にそっと手を添える場面を、この目で見たという。
ヴィルは整った顔立ちに人懐こい性格で女性ウケが良く、本人にも浮いた話が聞こえるような男だったが、自分以外の誰かの色恋を
口の端に上げるようなことはしてこなかった。そのヴィルが任務終了の際にこっそりとヤマトに告げたのは、ヤマトが2人と親しい間柄だと知っていたからだろう。そういう仲だから、たまには気を利かせてやりな、とウインク付きで言われて、何をどう気を利かせてやればいいのだと憮然としたのは記憶に新しい。
そして妹のユキの推測は当たっており、その
まずいわけではないが困った状況である。自分は一生罪を背負い、ユキを幸せにして生きていこうと決めていたからだ。
「あー、オト」
「はい」
「任務に支障がない程度に親しくするのは構わないが、それ以上に親密になる気はないからな。プライベートには関わらないでくれ」
ヤマトは言葉を選びながらゆっくりとオトに語りかけた。話している最中からオトの表情が曇っていくのがわかる。言い終えた時には今にも泣きそうな表情になっていた。
「わたしのような者がお側にいると煩わしいですか?」
「煩わしいというか、どう扱えばいいのかわかんないんだよ。あんまり女子と話さないしな」
「イワナガ七等星とはお話ししてるのに?」
よく見ている。
「イワナガは同僚だ。そういう扱いでいいならそうするが?」
「いやです」
オトはぶんぶんと首と強く横に振った。
「オトもヤマト六等星の特別になりたいです」
「別にイワナガは俺の特別じゃないぞ?」
「アララギ一等星の特別じゃないですか」
アララギの特別という言葉に、思わず気持ちを落ち着かせようとして飲みかけたミネラルウォーターを噴き出した。
ヤマトは額に手を当てて天を仰いだ。この恋話はどこまで広がっているんだ。
「それは……皆知っているのか?」
「みんなかどうかはわかりませんが、わたしの周りにいる女の子たちは知ってます」
馬鹿野郎。
ヤマトはここに居ない上官を毒づいた。こっそり付き合うならとことん隠せ。人のいるところでいちゃつくな。
これは遅かれ早かれスサノオの耳に届くだろう。庭師同士の恋愛は御法度ではないが、現場を指揮する立場にある者が、現場で手足として動く者の1人を贔屓している。アララギの公正さはヤマトもよく知っているが、同じ部隊に置くのは問題であるだろうし、アララギたちをよく知らない連中はことあるごとにイワナガに嫌味の十や二十は言うだろう。
もしヤマトがオトと付き合うことになったら、星堕ちの彼女としていらぬ中傷を受けるだろう。なんとしても止めなければ。
「あー、俺は星堕ちだ」
「はい、存じております」
「ヒト殺しだぞ?」
「庭師は多かれ少なかれ皆人殺しだと思っています。わたしもその事実を受け止めて、日々エダを刈っています」
「いい覚悟じゃないか」
「ありがとうございます!」
ヤマトはうっかり褒めてしまい、その言葉に彼女は花が咲いたように顔をほころばせた。
「いや、あのな」
「これからも精進してまいりますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
オトは元気よくお辞儀をして、じゃあ任務がありますのでと足取り軽やかに去っていった。
「おおおおおお……」
ヤマトは地を這いずるような低い声を出して、ガックリと項垂れた。
オトタチバナ。
現在21歳。何人も庭師を輩出している剣術家の家系の娘で、14歳で庭師となり、7年で銀星七等星まで星を伸ばしている。エダの剪定数は683体。薪も他の者と協力して3体狩っている。ヤマトから見ても、彼女は相当な腕前だと言っていい。
刀は『
それだけ腕に自信があるという証拠だろう。実際、庭師になって10年以内に銀星に上がれる者も、10年生き残れる者も多くはない。皆、銅星の間に命を落とすか、銀星止まりで長年足掻くかどちらかである。
オトは銀星まで7年かかっているが、これでも早い方だ。
元金星一等星のヤマトや、金星筆頭のシュルツたちが別格であって、この年齢の者ならば普通は銅星の上か銀星の下のあたりをうろついている。恋を糧にしているイワナガはさらに特別だ。
そんなことを、庭師のデータベースを見ながら思い、恋って怖いな、と改めて認識したヤマトであった。
今後、オトと同じ任務に就くことも多くなるだろう。俺はオトを意識せずにいられるだろうか。
オトの花のような笑顔を思い出しつつ、ヤマトは10分遅れてその日の任務に就いた。
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