第12話 本とマフラー

 今日の任務は『ボランティア』を個人で行なっている金持ちの護衛だった。都のヘリポートから自家用機で地上に降り立ち、人々に施しを与える。


 よくあるボランティアだが、この金持ちは一風変わった施しを行うことで有名だった。

「お久しぶりです。よろしくお願いします。ヒサミさん」

「おお、君か。今回もよろしく頼むよ」

初老の男がヘリポートに立っていた。男の隣では、段ボールが数個、数人の若者によってヘリに積まれていた。

「相変わらず、コレを配るんですね」

 ヤマトはヘリに積まれていく本に目をやった。大人から子供まで、あらゆる年代に、あらゆるジャンルに対応した男のボランティアは、いわば空飛ぶ本屋だった。

「本は心の栄養だからね。君には何を渡していたかな?」

「『記紀』と万葉集を頂きました。自分たちのコードネームの由来が分かって面白かったです」

 自分たちのコードネームが、古事記や日本書紀に出てくる神の名などであること、刀の銘が和歌の一説であることを、ヤマトはそこで初めて知った。


「では今度は生き方の支えとなる本をあげよう。この哲学者は知っているかね?」

「いいえ」

「古いが、なかなか読みやすくていい本だ。帰ったら1ページめくってみるといい」

 そう言って男は1冊の紙の本をヤマトに渡した。

「ありがとうございます」

「中で妹さんの分も一緒に探そう。そろそろ出発の時間らしい」


 ヘリの中では、荷重ギリギリまで乗せた荷物─本─が段ボールいっぱい詰め込まれ、男とヤマトは、ユキの為の本を端末で探していた。

「この本はどんな内容ですか?」

 ヤマトが気になったタイトルを男に示すと、男は本の内容をざっと説明する。男の頭の中には、今日施そうとする本のタイトルと内容が全て入っているのだ。金持ちのボランティアは鼻持ちならない連中も多いが、ヤマトはこの男のことは敬意を払って接していた。


「じゃあ、この本を妹へやってもいいですか?」

「ああ、いいよ。妹さんも君が選んだ本なら喜んでくれるだろう」

 ヘリは順調に目的地に到着し、ヤマトは愛刀を下げながら任務に就いた。少し浮ついているのは自覚している。


 ユキへのプレゼントよりも、自分の元に相棒が戻ってきた嬉しさが勝っていた。


 トラブルもなく、本の配布が終わり、空になった段ボールとを男と畳んでいた。その間、どうして食糧ではなく、本を配るのか、ヤマトは以前から思っていたことを口にした。


 男は小さく笑いながら、本を配る理由を語る。

「食べ物は金持ちなら誰だって買えるし、人にもやれる。日々生産しているからね。貧しい人も、配給という形で、少ないながらも手に入れることができる。だが本は、今はもうほとんど生産されていない。でも私は、幼い頃、母に読み聞かせてもらった絵本の内容を、紙をめくる感動を今でも覚えている。その感触や感動を皆に知ってもらいたいし、そこで五感を使って知識を得てほしい。そう思って配っているんだよ」

 ヤマトも、データで読む記事と紙媒体の本では記憶の定着が違う気がしていた。

 データは流動的に見るものだが、本はページをめくる動作、確かこのあたりに書かれていた、という感覚と記憶、五感の幾つかが動員されて、ひとつの言葉の意味を考え、つっかえつっかえ読むものだった。


 本で得た知識は、データの教科書テキストより数倍、頭と心に残ることが多かった。

 男はそれを地上の人々にも知ってもらおうと本を配っているらしい。


「良い取り組みですね」

「ありがとう」

 ユキへの土産を小脇に抱えて、ヤマトは、男と共に都へと帰っていった。


「おかえりお兄ちゃん。今日もお疲れ様でした」

 タカクラの家の2階へ上がると、ユキが満面の笑顔で迎えてくれた。ベッドの上で何やら細かな作業をしていたらしい。細い棒と毛糸玉がいくつか転がっている。


「何をしていたんだ?」

「えへへ、編み物! サトウのおばあちゃんから編み方を習ったの」

 サトウのおばあちゃんとは、タカクラの外泊直前に店にくる老婆である。おそらく連絡係なのだろう。不意にやってきては歳の割にプログラムやネットの繋がりが悪くなったなどやけに詳しい不具合の文句を言いにきては、まぁまぁとタカクラが相手をしている。


 その老婆が来ると数日以内にタカクラは出かけてくるね、と言って2、3日どこかへ姿をくらます。


 ユキも詳しくは知らないだろうが、サトウの老婆が来るとタカクラが居なくなるのは理解しているので、タカクラさんまたお出かけかな、とノートパソコンのカレンダーを眺めている。


「サトウの婆がなんだって編み物なんかお前に教えるんだ?」

「今日ね、ちょっとややこしいお客さんが来て、おばあちゃん、タカクラさんがそのお客さんの対応終わるまで待ってたの。で、その間暇だからって私に編み物を教えてくれたの。毛糸や編み方の本もくれたのよ。今お兄ちゃんのマフラーを編んでるから、できたら巻いてみてね」

「お、おう。でもいつも世話になってるタカクラにやった方がいいんじゃないかな?」

「やっぱり1番最初にあげるのはお兄ちゃんがいいなぁ」


 ユキは楽しそうに微笑んでいるが、鮮血のような赤と蛍光に近い派手なピンクの毛糸玉を見て、ヤマトは口元をひくつかせた。こんなド派手なマフラーをたなびかせて剪定はできない。エダに引っ掛かったらそこから緑青化するし、それに命を張る現場に妹のお手製マフラーをして行ったのなら、いい笑い話のネタになるだろう。上官のアララギなど笑い過ぎて過呼吸になるに違いない。


「ああ、それより今日は土産があるんだ。ほら」

 気を取り直して─マフラーが完成する未来を見ないふりをして─ヤマトはユキに一冊の本を差し出した。

「また本屋のおじさまのボランティアやったんだね。わぁ、綺麗な表紙!」

 ユキは本を受け取り、子どものようにはしゃいだ。ベッドの上の編み物を片付けて、受け取ったばかりの本を手に、サイドテーブルを寄せて、卓上ライトを付ける。


 本は洋書のファンタジー小説だったが、プログラムを日々組んでいるユキには簡単に読めるだろう。もし知らない単語が出てきても、その本屋のおじさまから送られた英和辞書がある。辞書を片手に上機嫌に鼻歌を歌いながらページを繰る妹を見つつ、夜更かしするんじゃないぞ、と一言釘を刺しておく。はぁい、と上の空の返事が返ってきたので、ヤマトは1時間ほどしたら卓上ライトのコンセントを引っこ抜こうと思いながらソファに寝転んだ。


 そして自分に与えられた哲学者の本を開く。


「人は、圧倒的な力というものを欲しがるのだ」


その一文がヤマトの頭に残った。

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