第11話 少年はモーツァルトを知らない
「何をしている」
ヤマトは鯉口に親指をかけながら、都の入り口の階段を登り切ったところにある広場の隅にいた集団に声をかけた。
「うわ、星堕ちだ」
「星堕ちには関係ないだろ」
「そうよ、裏切り者のくせに今更得点稼ぎ?」
3、4人の銅星の庭師が引き攣った顔で口々にヤマトを非難した。
「関係はないがな。
ヤマトは銀色の星がついた徽章を見せる。上級星の言に、余程の無茶がない限り下級の星は抵抗できない。
銅星の庭師たちは声を詰まらせ、しぶしぶと階級と名前を告げる。
「このことはアララギ二等星に報告する。大人しく処分を待ってろ」
ヤマトの言葉に銅星の庭師たちはくそったれと暴言を呟きながら、足早に現場を立ち去った。
そしてヤマトはその場に取り残されている少女に声をかける。
「余計なお世話だったか?」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
地面にへたり込んでいたイワナガは、よろめきもせず立ち上がり、綺麗な会釈をヤマトにした。
「顔を殴るなんてあいつらも相当馬鹿だな。救護室で手当をしたら、アララギさんのところへ来い。俺は先に報告しておく」
「はい」
ヤマトはイワナガの方を振り返りもせず、アララギのいる天幕へ真っ直ぐ向かった。
見たことを正直に上官に報告したヤマトは、そのまま直立不動の姿勢を取って、イワナガの到着を待った。
己が上官ははぁ、と呆れの含まれた溜息を吐いた。
「暴行の理由は聞かなかったのか?」
「はい。彼女のことですから、昇級するという噂で因縁をつけられて、でしょう」
だいたいこの後本人が来るのだ。本人に聞いてくれと言わんばかりの態度でヤマトは答えた。
「まぁ、イワナガに昇級の話があるのは確かだ。アイツなら指揮もすぐ取れるだろう。冷静で状況判断も上手い。
「次は八等星に?」
「ああ。順当に昇級してもらう予定だな」
「彼女が九等星になってから2ヶ月も経っていない気がしますが」
「俺と2人で薪を一体倒している」
「そりゃ
「だろ?」
「暴行をした連中はきっちり絞めてくださいよ」
「わかってる。2度とやる気にならねぇようにみっちりお灸を据えてやるさ」
付き合いの長い2人は、他に人がいないと砕けた物言いになる。ヤマトが10歳の候補生時代から見守ってきたアララギだ。ヤマトの中に強い正義感があるのも見抜いている。だから、私刑中のイワナガを助けてやり、それを自分に報告しにきたのも、昔から見れば好ましい変化だった。
「失礼します」
入り口からイワナガが顔を出した。顔のあちこちに絆創膏を貼られ痛々しいが、本人はいたって落ち着いている。するりと猫のように天幕内に入り、アララギとヤマトに対して敬礼する。
「おう、そのツラの理由を説明しろ。と言っても昇級の噂を聞いた馬鹿どもが妬んでやったことらしいが」
「はい、おっしゃる通りです」
顎のラインに沿って切り揃えられている黒髪が、少々乱れている。
それでもこの少女の凛とした佇まいと落ち着いた雰囲気に一片の乱れはない。
ヤマトはこの少女の強さの元がなんなのか気になった。
10歳から候補生として鍛錬を積み、15歳で庭師になり、そこからしばらく足踏みが続いたが、最近庭師としての才能が開花し、飛び級の勢いで上達してきている。
「何か」がなければここまで伸びぬだろう。
─恋、なんじゃないかな。
妹に彼女の話をしたとき、ついでに強さの理由も聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。色恋に疎いヤマトには到底辿り着けない理由だった。
相手は誰だと思う? と重ねて尋ねてみたら、上級の庭師だろう、目指す相手、隣に並んで戦いたい相手、おそらく年上、そのあたり。と答えが戻ってきた。
ヤマトにも目指す人物がいないわけではない。しかし目指す金星に恋心を抱くかというと、やはり何か違う気がする。
金星の男性上官は皆豪放磊落で、女性上官たちは皆女傑ばかりだ。
金星の女性は年上だし、ヤマトは気分的に姉か母親のような感覚を抱く。まぁ自分に恋愛感情がないこともあるのだろうが、異性として見ることができない。
それでいいだろう。自分には守るべき妹がいる。それが今のヤマトの強さの元だ。
「馬鹿どもがこれ以上馬鹿をやらないように、お前さんの昇級の通達を早める。銀星まで行けばあからさまな馬鹿は減るだろう。これからも精進してもらうぞ」
「はい」
「おう、ヤマト。先輩からも一言言ってやれ」
アララギがヤマトに話を振った。ヤマトは何を話そうかと暫し思案したが、口から出たのは次のような言葉だった。
「馬鹿はどこまでいっても馬鹿のままだから、侮れられないように腕を磨いて、ついでにその無表情をキープしてろ」
「了解しました」
「おい、ついでが余計だ」
「愛想振りまくだけが処世術じゃないでしょう」
無愛想だと陰口を叩かれ、それでもそれなりに世渡りをしている少年は、愛想のない顔で上官を見た。
「イワの笑顔は可愛いもんだぞ? お前、見たことないだろ」
「アララギ二等星」
イワナガの形のいい眉が顰められた。彼女の頬が少し赤く見えるのは気のせいか。
─まさか、なぁ。
ヤマトはふと心中に浮かんだ疑問を口から出さずに飲み込んだ。よく観察すれば、アララギの前だと彼女は若干俯きがちになることがある。いや、それだけではこの疑問は解決しない。決定打が足りない。
だいたいヤマト自身に恋をしたときの言動の変化の知識がない。だから、このイワナガの普段との違いが、恋の所為なのか金星を目の前にした緊張の所為なのかわからない。
少年は、恋とはどんなものなのかを知らなかった。
「さて、遅くなったが今日のお前さんらの任務を告げる。遅れた理由は俺が引き留めたと言えばいい」
「はい」
「了解」
2人は姿勢を正して今日の任務を受け取った。
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