第10話 異国の庭師たち

タオは悠々と大地を泳いでいた。進路は西。

中央アジアの砂漠から計測された緑青の鯨は、そのままヨーロッパに向かって浮沈を繰り返しつつ、ゆっくりと一直線に進んでいた。


地上から階段を伸ばし、タオの侵食を避けるシェルター、─神殿居住エリアを中心とした古代都市のような構造の─『都』は世界に幾つか存在する。ロシア、中国、UAE、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカが大規模な都市を形成していた。

他の国にも都はあるが、都への階段の長さが不十分で、タオの跳ねる一撃で階段から都市から根こそぎ壊滅状態になってはまた新たな場所に突貫の都を作るといった状況を続けている。

それらの都には建築資材も人手も庭師も極端に少なかった。


タオの浮上で村や街が緑青化し、そこに住んでいた人間がエダ化する。

そのエダの襲撃に耐えられる数の庭師と日本刀が、世界には足りなかった。


だから世界中の金持ちが、日本の都にやって来た。日本には十分な庭師とカタナがある。金さえ払えば都の一等地に庭師の護衛付きで住めるし、何より自然物の食料が摂れる。だから、日本の都はこれまでになく栄えていた。


なので世界にある都に住んでいるものは、それなりの金持ちだが、あくまでそれなりにだった。本当の金持ちは日本にいるから。


ドイツ、ミュンヘン。

堅牢な建築物と石畳のこの街にもタオは襲ってきた。都市の三分の二は緑青化され、残りの居住区の権利を求めて、地上にいる人々は争っていた。貧しい者はテントで暮らし、冬の寒さで凍死する者も増えてきている。


タオが現れてから、温暖化で猛暑暖冬の気候は一気に百年前のそれに戻った。夏の暑さはそれなりに、冬の寒さは極寒へ。


このことから、タオを神の御使いと崇め奉る集団も作られ、庭師を敵視し、テロを行う輩も出てきた。庭師はタオとエダ、そしてそれらを神聖視する連中にまで気を配る必要があった。タオやエダには効かないが、庭師には銃が効く。御使いの信者によって殺された庭師も少なくなかった。


「シュルツ、今日の任務は?」

「昼から夜まで都周辺の見廻りだ」

食事レーションは?」

「さっき全部食った」

「ご愁傷様だな。ランチもおやつも無いなんて」

栗色の髪の青年がケラケラと笑う。シュルツと呼ばれた亜麻色の髪の青年が不貞腐れたように緑の瞳を栗色の髪の青年に向ける。

どちらも庭師の制服を着ており、徽章は金星三等星。腰には日本刀を提げている。


「ヴィムは今日は暇そうだな」

「ところがどっこい、これから上官二等星と共に金持ちの警護についてのミーティングがあるんだ」

栗色の髪のヴィムが肩をすくめてそう言った。青い瞳がチェシャ猫のように笑う。

「なんでお前が呼ばれて俺が呼ばれていないんだ?」

「それはまぁ、適材適所ってやつだろう。前線で活躍する血の気の多い金星サマより、見た目も物腰もいい僕の方が要人警護に向いてるってことだよ」

実際ヴィムは整った顔立ちをしており、シュルツは白い肌にそばかすが目立つ、ギョロリとした目の痩身の青年だった。

「この野郎」

「相手がグエンダでもそう言えるかい?」

「任せた」

「ほらぁ、やっぱりそう言うと思った」


グエンダはこの国で有数の成金金持ちだった。政治家であり、金で落ちぶれた貴族の名と城を買い、彼独自の貴族義務ノブレス・オブリージュをこれ見よがしにやっては地上にいる貧乏人の顰蹙ひんしゅくを買っている厄介な人物であった。自分にへつらう相手を重用し、懐に入る金の寡多で政治を動かしていた。

おかげでこの国の『都』はそれなりに栄えていたが、その分後回しにされ続けた地上は荒れ果て、毎日地上で生き延びた人たちのデモが起きていた。


「あーあ、俺も日本ヤハンの都に行きたいな」

「滅多なこと言うなよ。誰が聞いてるかわからないぞ?」

「あの国では未成年からカタナを扱わせて庭師として働かせているらしいぜ」

「僕たちよりずっと若い子が庭師を? それは虐待じゃないのかい?」

「才能のある者は年齢性別問わずだそうだ。それだけ庭師が必要で、それだけ庭師が死ぬんだろ」

「そんな所に行ってどうするんだい?」

「俺が働いて、ガキどもが保護されるように上に働きかける」


シュルツは母子家庭で、酒浸りな母に代わって幼い頃から違法と知りながら働いていた。そうでないと食事配給品はともかく、家賃が払えなかったからだ。


庭師に入隊したのは18歳で、それ以降、庭師の給金で母を養っていた。楽観的なシュルツだったが、それなりに苦労はしたし、過去の自分と同じ年頃の子どもが庭師として働かせられているという状況に、いい感情は抱けなかった。


「まぁ、現状じゃあ無理だろうね。庭師の数が足りなさすぎる。金星の僕らでさえ、雑用のような任務までこなしているんだから」

「だよなぁ」

ヴィムの言葉に、シュルツはため息を吐いた。

「あー、なんだって、が生まれちまったんだろうな? 神の裁きか?」

「裁きにしては金持ちが優遇されているっぽいけど? 貧乏人だって救いを求めているんだよ?」

ヴィムは広間から見える風景に視線を移した。遠くに見える、まばらな緑青の錆色、それを避けるように作られた簡易テントの集落。

「それにタオは生き物じゃない。『生まれる』ではなく『発生した』だろう? 言葉は適切に使いなよ」

「じゃあ聞くが、ヤツはなぜ発生した? 自然現象にしちゃ意思のあるような姿形をしている。進路もハリケーンのように気流に乗ってでも自転に従ってでもない。まるで生物が如く、自由気ままに動いているとしか、俺には見えない」


シュルツは苛立ちを抑えきれないように日本刀に触れる。このカタナには名が付いていたが、なんと言ったか、どんな意味なのか、21の頃から5年間使っているシュルツには分からなかった。


ただ、先週も銀星の仲間が2人、エダの犠牲になった。彼らの処理はシュルツとヴィムが今持っているカタナで行なった。また、御使いの信者たちにも、若い銅星が3人射殺された。


「そこは研究者の出番だね。僕だって分からないよ。気まぐれに動いているようで、なんらかの法則があるかもしれない。まぁ、僕たちができることは、タオやエダの犠牲を最小限に留めること。そろそろ行くよ」

じゃあ、とヴィムは手を挙げてシュルツの前から去った。


去って行く友人の姿を見ながら、シュルツはまた噂の真偽を聞きそびれてしまった。


一等星になれば日本へ行ける。


そんな噂話を。

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