第9話 タカクラという男

タカクラという男は、得体が知れない。

あまり気を許すなよ。


というのは兄・ヤマトの言で、ユキ自身はそこまで警戒心を抱いていない。


まぁ、ひょっこり数日行方をくらませては本物の果物やパンを持って帰ってくるのだから、政府関係者とか、庭師関係者だとは推測しているけど、ユキはタカクラに面と向かってその質問を投げたことはない。


タカクラはヤマトが星堕ちをした理由を聞いてこない。だから、こちらもタカクラのことはあまり詮索しないようにしよう、と兄に進言したことがある。


ヤマトは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、ユキの言うことを受け入れたらしい。


それ以来、多少ぶつかることがあるにせよ、兄妹とタカクラの関係は良好だ。


ユキもヤマトの星堕ちの詳しいことは聞かされていなかったが、兄は、おそらくハルト《弟》の仇を討ったのだ。それで星を落としてしまった。


あのとき、自分は兄に背負われていた。脚を斬られたショックで言葉も発せられず、ただただ、目の前で起きた惨劇を見つめているしかなかった。


金髪の庭師。


それが弟をわざと殺した。


幼かった自分でも、それくらいはわかっていた。だから、兄が弟だった錆を握りしめて、己の非力を嘆いたことは、痛いほどわかった。


自分が転ばなければ、エダに触れられなければ、緑青化されなければ、脚を斬られなければ、ハルトは今も生きていたかもしれない。


脚を失った自分にも、不幸は降りかかってきた。

五体を欠損した少女を性的対象とする連中に目をつけられ、何度か酷い目に遭った。

ほとんどが兄のいない間に、いや、兄がいないことを確認しての犯行だった。


死にたいと思った。


でもハルトの分まで生きようと決めていたから。弟の分まで、兄を支えようと思ったから。


復讐に身を捧げた兄を、自分を養うために庭師を目指す兄を、ユキは側で見守っていた。


兄が無事庭師として成長し活躍し、金星として皆の尊敬を集めていたのは、ユキにとっても誇らしかった。


脚の斬り口の手術もできた。再生はもう不可能だったが、室内では簡易的な義肢をつけて、歩くこともできた。美味しい林檎や、焼きたてのパンというものも味わった。

温かい食事は、ユキの心をごく普通の少女に戻していった。


兄が復讐を遂げたとき、また地上での生活が待っていると思うと、軽く恐怖を覚えたが、今の兄は金星の実力を持っている。

以前とは桁違いの強力な武器がある。


そこでタカクラと出会った。


黒地の十等星の徽章を見て、ああ星堕ちしたのは君かぁ、とゆったりとした声で兄に話しかけてきた。


星堕ちの通知など、政府関係者か庭師関係者しか届かないはずだとヤマトは言った。だからタカクラは自分を監視するために接触してきたのだろうと。


確かに、そんな理由もあるだろう。

だがユキには、タカクラが自分たちを監視する以外にも、なんというか誠実に保護者として在ろうとしてくれる印象を受けた。

タカクラの眼差しが、父の眼差しに似ていたからかもしれない。


そしてタカクラは、ここがユキにとって一番重要だったが、ヤマトにもユキにも、性的強要をしてこなかった。

ユキは当時12歳。ヤマトもまだ14歳で背も低く、中性的な顔立ちがそそると、そういう趣味の大人が何度か声をかけていた。腰に下げた刀を見て顔色を青くして逃げ帰っていたのだが。


タカクラは安全だと、ユキは本能で理解していた。そして自分たちを庇護する気持ちがあることも。

利用されていることももちろん分かっていた。偽造コードの手伝いなど、タカクラは違法なことをしていたが、それも認証コードすらもらえない身寄りのない人々に対しての慈善活動にも見えたし、独自にサーバーを構築しているところは、反都主義者のような雰囲気を感じていた。


そして、ユキがタカクラを信用するもう一つの理由があった。


ある日、タカクラはユキのことを「サヤ」と呼んだ。そしてユキの予想以上にタカクラは慌てた。腰を浮かせてごめん間違ったと言って、椅子に座り直そうとして床に転げ落ちたのだ。

そのとき「僕には君たちと同じ年ごろの子どもが居たんだよ」と小さな声で白状した。

「居た」ということは、今はもう「居ない」ということだろう。

ユキは深くは追及しなかったが、自分の子どもの面影を、ユキたちに重ねてくる大人に悪意を感じることはできなかった。


だからユキはタカクラが政府関係者でも庭師関係者でも、自分たちの味方だと思っている。


「ユキちゃん、この端末の起動チェックしてもらえる?」

「はぁい」

義肢をつけたユキが、とことことタカクラの元へ端末を受け取りに行く。


中古端末売買店であるタカクラの店は、今日もほどほどに忙しい。


親を失った子、子を失った老人、別のエリアから着の身着のまま逃げてきた人、緑青化で手足を切断している人、さまざまな人が、新しい端末とコードを求めてやってくる。


どの人も貧しく、孤独で切羽詰まっていた。


タカクラはそんな人たちに格安で中古端末と、偽証コードを売っている。




「なぁ、お嬢さん。俺の『カルテ』はあるかな?」

「少々お待ちください」

襤褸を纏った男が、ユキに声をかけてきた。『カルテ』は偽証コードの隠語だ。ユキはタカクラに近づき、袖を引っ張って「カルテのお客さん」と短く告げた。


「やあやあお待たせいたしました。あなたのカルテですね、端末はお持ちですか?」

とタカクラは営業スマイルで対応する。


ユキはその間、タカクラが男から聞き出す家族構成を盗み聞きして、偽証コードに書き加える家族のデータをパソコンに打ち込んでいった。このコードを端末に転送すれば、一家3人の家族の出来上がりである。


「はい、では少々お待ちください」

タカクラがユキのもとに男の端末を持ってきた。どう? という顔でユキが作った偽証コードのプログラムを一瞥する。

「大丈夫そうだね。じゃあオフラインにして有線で転送して」

「はい」

ユキはパソコンをオフラインにして有線ケーブルで端末とパソコンを繋いだ。オンラインで端末と繋げると足がつく可能性が高まることと、ウイルス入りの端末のサーバーへの感染予防のためである。男の端末の画面に偽証コードのプログラムが走っていく。ポンと軽い音を立てて、偽証コードの設定が完了した。


「お待たせいたしました。の『カルテ』もちゃんと入っていますのでご安心ください」

「すまんな」

男はタカクラに言われた代金を払い、足を引きずって帰っていった。


無愛想でぶっきらぼうな男は、近隣住民とコミュニケーションもろくに取れておらず、足の怪我か病でさらに孤独になったのだろう。

そういった人間は学校まで行くのにも相当苦労する。まず時間内に学校にたどり着くこと、毎日通わねばその日の食事にありつけないこと。

男は足が悪いようだから、毎日の学校通いが辛くなって、偽証コードに手を出したのだとユキは思った。


「ユキちゃん、ありがとう。大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です」

ユキが男性、特に粗暴そうな男に一種の恐怖を抱いていることはタカクラも気づいていた。あの客は最初から自分が対応するべき客だったと言外に告げていた。

「こっちの端末の起動も確認済みです。どうぞ」

ユキは偽証コードを作る前に起動を確認した端末をタカクラに渡した。

「ありがとう、ユキちゃんがいると本当仕事が捗るよ。じゃあ今日のご褒美タイムとしようかな」

タカクラはそう言うと、店先に「休憩中」のプレートを掲げてユキと共に奥へと引っ込んだ。店の奥には台所があり、2人分の椅子と小さなテーブル、レトロな冷蔵庫と電子レンジが置いてあった。

「今日はなんとアップルパイがあるんだなぁ! 電子レンジで温めると一層美味しいから、ちょっと待っててね」

タカクラは嬉しそうに冷蔵庫から一昨日持ち帰ったアップルパイを取り出した。パイ生地も林檎も、本物のアップルパイだ。ユキは思わずわぁ、と喜びの声をあげてしまった。


アップルパイを電子レンジで温めている間に、ヤマトが帰ってきた。台所に漂ういい香りに「また『手伝い』をしたのか」と不機嫌そうにユキを見た。

「まぁまぁ、ちょっとだけしか手伝ってもらってないし、責任は僕が負うから安心して。あ、ヤマトくんも食べる? アップルパイ。なんとアイスクリームのおまけまでしちゃう!」

タカクラは冷凍庫からアイスクリームのパックを取り出してヤマトに見せた。

アイスクリームのパックを見て、ヤマトの動きが止まった。金星だった頃に初めて食べたアイスクリームを、彼はことのほか気に入ってたからだ。


「……今日はまぁ、目を瞑ってやらなくもない」

ヤマトの返事に呼応するかのように、チン、と電子レンジの軽やかな音が聞こえた。

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