第6話 緑青の鯨は電子の海を泳げるか

『エダとは、人間や動物といった生物がタオの緑青化で棒状の物体に変化し、仲間を増やそうと人間を襲うモノである。』


『緑青化とは、タオの毒に触れた無機物・有機物双方に使われる言葉である。緑青化された有機物のエダ化は8割、そのまま死亡するものが2割とエダになる者が圧倒的に多い。』


『エダとなった元人間は、現段階では日本の日本刀でしか殲滅せんめつできない。何故日本刀のみがエダに有効なのかは不明である。研究者は鍛刀の過程、もしくは何かを祈願・祈念して打つ行為そのものがエダに何らかの影響を与えるのではないかとされている(エダと祈祷・祝詞の関係は、ジェス・ハラヤマ氏の論文を参照のこと)。20XX年の北京会議でタオと共に核使用も検討されたが、最新鋭のレーザーなども通じないため、核も通用しないのではという声が大半で議論だけに留まっている。』


『タオとは地下を泳ぐ鯨に似たモノである。海の鯨が息継ぎをするために海面に顔を出すように、タオもまた、地上に顔を出したり、飛び跳ねたりする。その際、緑青化の原因となる毒を散布する。緑青の毒は有機物に付着すると侵食を開始し、1時間もかからずにエダ化もしくは死亡する。タオは鯨の形をとっているが、生物ではなく、地震や大雨といった自然現象と変わらない事が20XX年、アメリカ陸海軍とアーロン・グラッド博士達の合同研究により判明した。(科学雑誌Natur 20XX年8月刊行の論文を参照のこと)』


「お兄ちゃんから聞いたことしか載ってないよ」


携帯型の電子辞書を開き、タオとエダについてひとしきり調べていたユキは、タカクラに向かって、形のいい唇を尖らせた。


「そりゃ、ヤマトだって他の庭師だって、それ以上の情報を知らないのだから仕方ないよ。むしろ知ってる情報を全部開示してくれているのは、ユキちゃんにとっても嬉しいだろう?」


数日前、壊れたから修理してくれ、と持ち込まれた携帯型電子辞書は、20年以上前の中古品だった。しかし40をいくつか過ぎた年齢と思しきタカクラの手にかかれば、あっという間に直ってしまう。


ついでにウチのサーバーからデータをこっそり抜き出して最新版にしたから確認して欲しい、とタカクラに言われ、ユキはタオやエダの最新情報はないかと検索していたのだ。


結局、タオやエダの最新情報は見当たらなかった。庭師になったヤマトから初めて聞いた、6年前の情報と変わらない。


更新されていたのは、緑青化した大地のパーセンテージ、世界人口などだった。前者は増加しており、後者は減少していた。


「タオって海は緑青化しないのね。できないのかしら?」

「ユキちゃん、鋭いね。そこは研究者も賢い頭を集めて必死に解き明かしている最中なんだ。まぁ、地上と違って海は常に動いているからね。緑青化し難いのかもしれないって話だそうだよ」

「ふぅん」

ユキは細かなバグがないかをタカクラのパソコンのプログラムを走らせチェックし、目立ったバグがないことを確認して携帯型電子辞書をタカクラに渡した。


「ありがとう、ユキちゃんのおかげで仕事がだいぶ楽になったよ」

タカクラは片手でユキを拝んだ。ユキはくすぐったい気持ちになって、いつもの文句を言う。

「そんなこと言っても、もう例のデータは作りませんからね」


なんだかんだで偽造コードの作成は、この店の収入源の半分程を占めていたし、ユキも兄に内緒でコードを作成しては、タカクラから『ご褒美』をもらっていた。


「いつもありがとう」

タカクラは冷蔵庫から小さな銀紙の包みをユキに手渡した。

都でしか手に入らない、本物のカカオを使ったチョコレートだ。

「ヤマトには内緒だよ?」

「うん」

何故兄には内緒なのか。ユキはいつも不思議に思っていたが、ヤマトから聞く都のプラントシステムと、タカクラ個人が結びつくのは考えにくく、タカクラがきっと違法か、グレーゾーンの取引をして入手しているのだろうと想像していた。


タカクラは、ヤマトに毎日の配給品を受け取りに行ってもらっている代わりに、月に数日、家を空けて何処かへ行ってきては、『本物』の果物やパンなどの高級品を土産に帰ってくることがあった。


土産を初めてもらったヤマトは、あからさまにタカクラを警戒し、自分を監視している関係者かと問い詰めた。ヤマトが庭師になるまで、人工食材で作られた配給品しか食べてこなかった兄妹は、都では自然の、遺伝子組み換えもされていない純粋栽培の食材や食物が存在する事、そしてそれがどれだけ高級品なのか、ヤマトが金星になって初めて学んだからだ。


タカクラは出所は言えないが、と前置きをしてから「真っ当な取引をして手に入れたものだから、育ち盛りの君たちが食べるといい」と、土産の林檎と食パンを兄妹に差し出した。

無論、ヤマトは警戒し、受け取らなかった。ユキもそんな兄に遠慮して食べなかったが、『フジ』という品種の林檎の艶やかな色と香りは、今でも鮮明に思い出せる。


ヤマトが星堕ちになったことで、今までの生活が一変し、ユキの体調は不安定になっていた。もともと配給品の内容物にアレルギー反応があったユキは、食べられる味が固定されていた。しかも銅星の庭師レベルでは配給品のローテーションが殆どなく、数日水だけで過ごすことを強いられた。年頃だというのに、ユキに初潮が来てないのはそのときの栄養失調が響いているのだろうと、町医者のクルメが言っていた。

今まで受けていた恩恵が目の前にある。ユキは兄に内緒でその恩恵を享受し、その見返りとしてコード作成を手伝った。


偽造コードの作成は、兄妹にも恩恵をもたらした。兄妹のコードは正当な手続きを踏んで作られたものだったが、そこにタカクラが手を入れたのだ。そのお陰で、銀星以上の者しか入手できない味を口にすることができた。ユキは味は固定されているが毎日食事が摂れるようになり、ヤマトも、味のない泥のような配給品から、数種類の味のある配給品が食べられるようになった。


そのあたりはヤマトも有難いと思っているが、いかんせんネットワークの壊滅しているこの世界で、独自のサーバーを持っているタカクラは明らかに異端であった。それに星堕ちの事も知っていたのは、彼が庭師を知る機会を持っていたか、もしくは関わっていたことを示唆している。


油断ならない男だ。

ヤマトはそう思っていた。

だが、ユキが毎日食事ができるようになったのも、義肢をつけて、狭い範囲だが歩き回れるようになったのもタカクラのお陰なのだ。

その辺りは、用心棒としてたまにやってくる強盗相手に刀をちらつかせて追い払う事でチャラとしている。

ヤマトが返す礼としては、足りないと自覚しているが、これ以上の民間人への干渉は、庭師の規定に引っ掛かるので仕方ないと割り切っている。


「タオってなんで生まれたんだろうね?」

「さぁて、そこも研究者の頭を悩ます問題だね」

タカクラは本物のコーヒーを飲みながら、まだあどけなさの残る少女の問いに応えた。


タカクラへの詮索は最小限にしておけ、と兄にきつく言われているが、今までのやり取りから、タカクラが庭師か都の関係者であることはなんとなく推察できる。

だから、その辺りはユキも大人しく口を挟まなかった。


しかしそれならなぜ星堕ちした兄を、自分たち兄妹を拾ったのか。


タカクラはそこも成り行きだよ、と笑って誤魔化している。

その笑顔に邪気も違和感もないので、同情か好意なのだろうとユキは受け取っていた。


ヤマトはそうは思っていないようだが。


ユキはミルクチョコレートをゆっくり口の中で溶かし、ココア味の栄養ドリンクで胃に収めた。



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