第5話 薪と刀
緑青の鯨は大地を泳いでいた。
海の如く、悠々と。
整備された道路も、摩天楼のビルディングも、“
ただ小魚とぶつかった。
その程度の感覚で、否、ぶつかった事すら気付かずに、縦横無尽に大地を泳いていた。
海に住まう鯨と異なるのは、“彼”が海面─この場合は地表だが─を泳ぐときに『毒』を撒くことだった。
その毒は無機物を緑青化させた。
その毒は有機物を死に至らしめるか、“彼”の眷属として『生きる』ことを定められた。
タオの眷属、エダは元人間だ。
70億近くいたはずの人間たちは、タオの出現によってみるみる数を減らした。
そしてエダは、仲間を増やそうと人間を襲い、世界各地で増えていった。
タオはどの大陸にも現れ、緑青の毒を撒き散らかす。
一度タオに核を落とそう、と議題が上がったこともあったが、どの国も自分の国に核を落としたくはないと揉め、結局落とせずにいた。
世界は緑青の錆に侵されつつあった。
移動中のヘリの中は緊迫した空気が漂っていた。
「こちら本部隊第一部隊大隊長金星、
無線からはまさに阿鼻叫喚の声が聞こえている。ヤシマ本人の荒い息遣いが、まだ彼が生きていることを告げているが、その呼吸は恐怖で震えているのがわかった。
時は遡ること1時間前。
サガミハラ地区にタオが浮上、街ひとつを緑青化して地底へと潜地。多数のエダが発生し、本部に応援の要請が入った。
都に居る庭師で部隊編成を行い、ヘリで移動できる範囲は対処にあたる。
近隣の場所で大規模なエダの発生が起きた場合によくある要請だった。
ヘリの移動時間は1時間弱。それ以上の距離は都の警備が薄れるので、『尊い犠牲』として放置される。
地上に残る庭師は、その地区の地上部隊として編成され、一定の訓練を受ける。だが都の部隊よりは、どうしても精度も練度も落ちてしまう。
彼らは都の庭師のようにひとまとまりに住み着いておらず、それ故に訓練時間の開始の遅れや、連携、結束力の弱さが問題になっていた。
今回も、地上部隊の招集が間に合わず、後手に回ったと報告があった。
『……“薪”だ』
「何?」
『エダの奴ら、お互い抱き合って薪になりやがった! しかも15メートル級が3体だ! 早く助けに来てくれ! 部隊の半数は薪に取り込まれた! 銀星が銅星を庇いつつ撤退しているが長くは保たん! 近在の部隊も薪3体と聞いてビビって援軍を渋ってやがる! 助けてくれ!』
「落ち着け。
『……っ了解。早く来てくれ』
無線は一旦切れた。
「聞いての通りだ。15メートルクラスの“薪”なんぞ俺だってそうそうお目にかかったことがない。お前らなら尚更だろう。嫌でも薪になったエダに触れる危険がある。皆、細心の注意を払えよ。ヤマト」
「はい」
名を呼ばれたヤマトは綺羅星のような瞳でアララギを見上げた。
「俺の『名こそ惜しけれ』を貸与する。薪一体の足を切断し、バランスを崩してタコ殴りの機会を作れ」
アララギは腰に差した太刀をヤマトに差し出す。銘のついた日本刀だ。切れ味、耐久性の高さと、正当な祈祷の済んだ名刀である。
「了解」
「
「無論」
ヤマトの瞳に、闘志が漲る。手渡された刀は、震えるほどの神気を放っているように感じた。
「俺たちは1番混戦になっている東側の薪割りをする。他のヘリの連中は中央と西側の薪を担当してもらうが、戦力は俺たちが1番強い。東の薪をタコ殴りにできたらすぐに他の薪割りに回れ」
「「「了解」」」
薪になったエダは、一旦薪本体から切り離し、個々に戻ったエダとして再度斬らねばならない。この手間の隙に複数のエダに囲まれ、緑青化される庭師が多い。
元々日本刀での接近戦は一対一を想定している。一体多数では一旦敵との距離を取り、追いついてきた足の速いモノから個別撃破するのが定石だが、薪となったエダの動きは読みづらい。集団でこちらに襲いかかる場合もあれば、突然薪本体から切り離されて、明らかに狼狽えて薪へ戻ろうとする個体もあり、行動基準がバラバラなのだ。
まるで人間のように。
そう、エダは元は人間なのだから。
ヘリから降下した庭師たちは、薪の巨大さに一瞬怯んだ。15メートルの動くモノというのは、こんなにも威圧感と恐怖を与えるのか。
地上部隊が崩壊する訳である。
「先に行く。薪が倒れたら一斉にかかれ」
ヤマトは銘刀を握りしめ、薪へと駆け出して行った。
「春の夜の 夢ばかりなる
銘の由来となった歌を詠む。この時代の銘刀は、昔の和歌という一定のルールで作られた歌を由来にしている物が多い。
「援軍だ! 下がれ!」
と逃げ惑う地上の庭師たちを避けつつ、左脚を袈裟掛けに斬る。ずるりと、薪はバランスを崩して、斜めに倒れた。
斬り取った脚から、複数のエダが生まれた。いや、元に戻ったエダが現れたと言った方が正解か。
その複数体のエダを、まとめて横薙ぎに斬る。
エダは一瞬で塵と化した。残るエダも、銘のある太刀を器用に振るうヤマトにとっては敵ではなかった。
斬れる。
銘を持つ刀とは、かくも斬れやすいのか。
無銘の刀は、数十体のエダを斬ると刃こぼれを起こし、使い物にならなくなる。
しかし、銘ある刀はエダを何十何百斬ろうと、刃こぼれ一つ無い。無論、使用後の手入れは必要だが、半永久的に使い続けられる。
以前の刀を、銘のあった刀を没収されて2年。ヤマトは、愛刀の事を思い出していた。
大事に使われているといいが。
倒れた薪の左腕を、九等星になったイワナガが斬った。銅星のくせに度胸と腕はある。が、予想以上のエダの出現にもたついていたので、ヤマトはそちらに走った。
「功を焦るな。一旦距離を取れ」
「はい」
イワナガの腕に触れようとした枝を唐竹割りにしつつ、ヤマトは彼女に告げる。イワナガは素直に後方に跳躍し、体勢を整え直し、再びエダに挑んだ。他の庭師たちも、右脚、右腕、首、と順に斬っていって、間合いを取りつつ順当に敵を屠っていた。
ぶん、と風が舞った。大太刀を持ったアララギが、いつの間にか薪の近くにやって来ていた。
「これより薪の胴体を斬る! 今まで以上にエダが溢れるからな! 触れられるなよ!」
触れたら降格だ、と叫びながらアララギは手足をもがれ、なおも起きあがろうとする薪の胴へと刃を滑らす。大太刀を下から上へ斬り上げているのに、刃が地面に当たっていない。それだけの技術と膂力が、この金星にはあるのだ。
斬り口から血のように溢れ出たエダは思った以上に多かった。エダ同士、ぎちぎちに抱きしめ合うように密着していたのだ。
アララギが大太刀を振るうと、一瞬で数体のエダが塵に帰す。大柄な体格に、大振りな大太刀の性能が十分に振るわれる。人刃一体。そんな言葉がヤマトの頭をよぎった。
ヤマトたちの奮戦により、3体の薪は全て割られた。溢れ出たエダも、悉くを塵に帰した。
流石に全員無傷とはいかず、数名の庭師が手足を緑青化され、仲間によって患部を切り落とされたが、ヤマトたち救援部隊は、1人の死者も出さず、任務を遂行した。
「ありがとうございます。おかげで命拾いしました」
最後まで前線に残っていたヤシマが、アララギに最敬礼をする。
「地上部隊の練度の問題は上にも報告しておく。数名の銀星じゃ対応しきれない例外が多いとな」
「申し訳ありません」
「俺たちだって地上の星を無駄に消したくは無い。これは俺個人の感想でもある」
ぽん、とヤシマの肩を叩き、アララギは背後に控えていた庭師たちに撤収だ、と叫んだ。
救援部隊の庭師は、そこここに転がっている日本刀─エダに取り込まれた庭師の刀─を回収しながらヘリへと戻った。
新たな鞘を拵えて、新たな星に配るためだ。
刀とて無限に作れるわけでは無い。有限たるものは有効に使ってこそ、というのが上層部の考えだ。だが地上の庭師たちにとっては、亡骸さえ無い同僚の、唯一の形見と言っていいものを回収されていくことに納得いかず、唇を噛み締め、手を強く握り締め、涙を流す者もいた。
「後日、合同の追悼式が行われるだろう。できるだけ参加してやれ」
アララギが静かな声で言った。
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