第2話 はじまりのはなし

最初は、大陸の西に異変があったという噂だった。


出稼ぎから帰ってきた男は、村へと続く道が変色していることに気がついた。


土くれの色が緑色になっている。それも、自然が織りなす緑ではなく、薬品が作る蛍光色に近い、毒々しい緑だ。


どこかの化学工場が薬物を違法投棄したか。

男はこの国の腐った部分をよく見ていた。自分たちの目に見えない場所であれば、何をしても何を捨てても何を焼いてもいい。


工場の建設された近くの村は、工場の吐き出す煙と汚水で廃墟となった。


工場で働く者は、長時間の労働で背が曲がり、まばゆい光と細かい作業で目を悪くするものがほとんどだった。


この国は、こんなもんだ。


男はそう憤りながら、緑色に染まった道を歩いた。


村についた男は呆然とした。

村全てが、緑色の錆─緑青─に覆われていたからだ。

動くものは何もなかった。

男は近くの柱に触れた。

柱はぼろぼろと崩れ、触れた部分は塵となった。


いったい何が起きているのだ?


男は仕事用に買った端末を起動させ、村の様子を動画に撮った。


『この村でいったい何が起きたんだ?』

そんなタイトルでライブ配信を続けた。


男の家も、家の中の家具も、畑も井戸も、全てが緑青になっていた。

気づけば手が震え、靴も緑色に染まっていた。


何があった。家族は、妻は、孫は、隣人はどこへ行った?


そのとき、地面が揺れた。


地震がないわけではないが、滅多に揺れぬ土地である。大きめの揺れに男は腰を抜かして地面にへたり込んだ。


その、男の目の前で。


巨大な鯨が、地面から跳ね上がった。


緑色になった土くれを、水のように撒き散らし。


頭から突きいでて、背から地面へと潜っていった。


水飛沫ならぬ緑青色の飛沫を浴びて、男は緑青の塊となって、果てていた。




「というのが、タオの最初の目撃者だ」


片目の潰れた教官が、隊服を着た若き少年少女たち─一定の訓練を経て、対タオ・エダ用武器である日本刀を所持することを許された通称『庭師』、階級は最下位の十等星テスター─に向かって語った。


「たまたまこのライブ配信を録画した者がいたからこそ、我々はタオの存在にいち早く気づき、世界中で対策が練られた。その間にも、タオは自在に地底を泳ぎ、世界各地で目撃されるようになった」


教官がモニターを指すと、目撃情報を示す円が、世界各地に表示された。中にはタオを、エダを撮った動画も混ざっている。


「アレが地上に飛び跳ねたり、地面すれすれを泳いだ跡は緑青化し、その波飛沫やタオに触れた我々人間は緑青化して死ぬかエダになる。我々人間がエダになる法則は未だ解明されていないが、エダになった元人間は仲間を増やそうと、生きた人間に接触を試みる。言葉は通じず、意思も仲間を増やすだけしかないらしいエダには、銃は効かない」


モニターに某国の軍人がエダを屠ろうと銃撃戦を繰り広げている映像が現れた。

しかし、銃弾を受けたエダはすぐさま再生して、どんどんと軍人たちに近づいてくる。

対戦車砲を発射して粉微塵になったとしても、すぐさま塵は集まり、棒人間の形に再生されていった。


そして、エダに近づかれた軍人は、その細い手に触れられると、じわじわと身体が緑青色になり、全身を覆う頃にはどんな逞しい人間も、枯れ枝のような棒人間になった。もしくは緑青色の姿の像になって生命活動を終えていた。


「コレに、なぜ日本刀が有効なのでありましょうか?」

少年の1人が、挙手をして教官に問うた。腰に下げるは打刀。近年鍛刀された無銘だ。だが、刀鍛冶が打った、本物の日本刀である。


「なぜ日本刀はエダの再生を止められるのか。それも未だにわかっていない。─マフィアのようなモノは日本にもいる。ヤクザという生き物がソレに当てはまるが、エダと対峙した際、日本刀を持って応戦したヤツがいてな。その男だけ、エダが倒せた。日本刀で斬ったエダは再生されなかったのだ。」


余談だが、日本刀でエダを倒した男は、狂乱の有様で外に飛び出し、近くにいた警官に銃刀法所持違反で現行犯逮捕された。


男の言葉の裏を取ろうと、警官たちははぐれエダに押収した日本刀で襲いかかった。エダは再生することなく、塵となって散ったと報告が上に出されている。


「そして日本刀を作ることができる刀鍛冶がいる地域と、シェルターとして建設された都に人が集まるようになった。世界中から、日本刀が買い求められ、エダを刈る人間が組織的に育成されるようになった。それが『庭師』であり、貴様らである」


若き庭師たちは、居住まいを正した。


「いいか、タオとエダにはまだ不明な点が多くある。研究者の話だと、タオは生物ではなく、『移動する自然現象』に近い存在だという。我々は、嵐や雷のような自然現象を相手に闘うのだ。しかしながら、奴らの対抗策として日本刀が有効なのは判明している。貴様らは、刀鍛冶地域と都を護る任務が与えられた。腰にいた刀と共に、力無き人々を救え」


はい、と若人たちは教官に向かって敬礼した。




「いつ聞いても不思議な話よね」

ベッドの上で配給品レーションのココア味の栄養ドリンクを飲んでいた少女が、小さく笑った。

「お前が聞きたいって言うから教えてやったのに、なんだよその言い方」

ベッドの端に腰掛けていたヤマトは、形の良い唇を尖らせて少女を軽く睨みつける。


「だって『なんだかよくわからないけれど日本刀ならエダが斬れるから日本刀を所持した部隊を結成しましょう』ってことで庭師が作られたんでしょう? よくわからないものをよくわからない原理で斬っているんだもの。不思議っていうか、よくそれで納得するなぁって」

「飯が食えりゃあなんだってやるさ。たとえそれが、なんで効くかわからない武器でも、ブラックボックスでもなんでもさ」

そう言うと、ヤマトは手に持ったハム風味の四角い固形食レーションを齧った。


日替わりで味が変わる配給品をもらえるのは、ヤマトが銅星と呼ばれる下級の八等星アハトでも庭師だからだ。


地上にいる一般の人々は、その日1日をまかなえるカロリーと栄養だけある不味い固形食と、ただの水しか貰えない。



地上にいる人々向けのプラントは、都の縁にあり、地上にいる人々用の固形食をオートメーションで作っている。


そして日に一度、都の外に『配給』される。


配給場所は『学校』と呼ばれていた、広いが小さく区切られた建物内で、都からのボランティアが、プライベートヘリで広場校庭に降り立つ。彼らは庭師を護衛に連れて地上の人々に温情として食糧を配っているのだ。

隣接する『体育館』で配給が行われないのは、そこが病院の機能を果たしているからだった。


病院にはエダに身体を触れられ、全身が緑青化する前に庭師によって患部を切り落とされた者でいっぱいだった。


再生医療は金持ちにしかできない。彼らは不自由な身体で安物の義肢を買い求め、不衛生な環境下でリハビリを続けている。


ボランティアは豊かな都育ちで、地上の生活を知らないものがほとんどだ。


タオとエダの脅威に怯えながら、「金が無い、たったそれだけの理由で都に住めない、再生医療も受けられない可哀想な人たち」のために、自ら危険を冒して、都から出て食糧を配る。彼らは、心底そんな使命感を抱いてこの配給を行なっている。


配給は午前10時から13時まで。


それまでに最寄りの学校にたどり着けない老人や妊婦、身体に障害がある者は、その日1日、食糧にありつけない。配給は基本本人が受け取りに行くものであり、代理は夫婦親子きょうだいのみで、それも証明のコードが必要である。


そもそも証明コードを提示する端末を持つ人は少なく、地上に残っている人は、タオやエダに身内を殺された身寄りの無いものがほとんどだったから、自然と学校の周辺に居を構えるものが多かった。


学校の周辺には、8畳ほどの小さな平屋が建ち並び、木造・トタン・コンクリートなど様々な素材で、まるでモザイク画のような様相を醸し出していた。


家を建てる金すら無い人々は、その家々の隙間にテントを張り、食糧を確保するために夏の暑さや冬の寒さに耐えながら生き延びている。



「そこは感謝してるけどさ。お兄ちゃん、無茶しそうなんだもん」


ヤマトたちは、学校からやや離れた、コンクリートで作られた2階建ての建物を根城にしていた。


1階部分は店舗で、2階のこの部屋が居間兼寝室であった。


部屋には少女が使っているベッドと、少年がようやく寝転べそうなソファがひとつ。サイドテーブルにノートパソコンと小さなLEDのランタンとラジオがあるだけで、部屋はいっぱいだった。


「無茶してるのはお前だろ、ユキ。俺がいないときに下の店の手伝いはするなっていつも言ってるだろ」


「だってタカクラさん、私はコード作りが上手いって褒めてくれるもん」


「端末の修理ならともかく、偽造コード作りに加担するなって言ってるんだよ」


俺は庭師で一応公務員なんだぞ、とヤマトは妹の頭を軽く小突いた。


1階の店舗は、中古端末を扱う店で、タカクラという男の住まいだった。金が貯まったので端末を買いにくる者、庭師を辞めて窮した者が売りにくる端末を買い取り、新しいあるじに渡せるよう、初期化・アップデートを行うことを表向きの生業としている。


どうもタカクラは裏で偽造コードを付けて端末を売ることがあるらしい。

コードさえあれば、食糧レーションがコードの数だけ手に入る。


毎日配給に行けぬ者─タカクラのように客を待つ生業を持っている者─にはありがたいものだった。


ヤマトは、妹の面倒を見てもらう代わりに、強盗が来たら対処してほしいという条件でこの2階の部屋を借りている。エダの襲撃で両足を失ったユキに、端末の修理やハッキング防止のプログラミングを教えたのもタカクラだ。


妹が手に職を持ち、自立するのは喜ばしいことなのだが、偽造コードの作成には手を出してほしくない。バレたらエダの集中する郊外に追放されてしまう。

両足を失っているユキなど一瞬で緑青化されてしまうだろう。


「とにかく、コード作りは禁止。でないとココア味の栄養ドリンク飲ませねーからな」


「お兄ちゃん横暴! 私の配給品でしょう?」


「貰ってくるのは俺なんだから、俺が飲んだっていいんだぞ。代わりに俺のコーラ味の栄養ドリンクをくれてやる」

「やだー」


下級庭師の食糧を作っているプラントは有人だった。気まぐれのように、固形食の味が変えられるのは彼らのお陰である。


ヤマトはそのプラントの作業員に幾許かの金を渡し、ユキの好きなココア味の栄養ドリンクを優先的に受け取れるよう、根回しとコード調整を行っている。


ボランティアには、妹にアレルギーがあり、ココア味の栄養ドリンクしか飲めないのだと言っている。お人好しの彼らはヤマトの言葉を信用した。


「明日は久しぶりに雨が降るらしいよ。お兄ちゃん任務中に風邪ひかないようにね」

「ああ」


タオとは、エダとはどんな原理原則で動いているのか。緑青化は患部を切り落とす以外に食い止められないのか。何故エダは集団でいるのか。タカクラは何者なのか。いろいろなことを頭に浮かべながら、ヤマトは固形食を食べ終えた。

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