緑青のタオ

東 友紀

第1話 観光ツアーの不運な男

緑青のタオ


ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。


男は失禁しながら逃げていた。

背後から襲ってくる緑青の元人間、『エダ』から。


エダは脆いが、足の速さは普通の人間と変わらない。

男は足の速いエダから必死で逃げていた。

見た目はただの緑青の棒人間である。男を追いかけながら、走る振動でぼろぼろと緑青の足が崩れていく。崩れていきながらも、なお男を追いかけてくる。


ひとたびエダに触れられれば、その触れられた部分は緑色に錆びつき、人間を浸食していき、新たなエダとして生まれ変わり、また仲間を増やすために地上を彷徨う。


エダのデンジャラス観光ツアーなんか来なければよかった。


男は『都』の人間だった。

都の人間といっても、最下層の、ようやく居住を許された小金持ちで、彼専門の『庭師』はいない。


何が「ちょっと近くでエダを見てみませんか? 観光バスの中から見るので安全ですよ」だ。観光バスに気づいたエダたちに襲われた際に、猛スピードで逃げるバスの窓から身を乗り出していた男は振り落とされた。


安価な観光バスには、専門の庭師がいたが、銅星のガキが1人だった。


空中都市から出なければよかった。そんな後悔が男の心に溢れていた。


空中都市、都は安全だった。


地上と繋がる橋と支柱には、銅星と銀星クラスの庭師がそれこそ星の数ほどいて、エダと『タオ』から都を守っていた。


タオは地底を泳ぐ鯨の形をした化け物だ。鯨のようにときおり地上に息継ぎをしに浮上する。ただ、普通の鯨と違って、タオは緑青の毒を周囲に撒き散らしながら地上に出てくる。


タオの緑青の毒に触れた無機物は、緑青化し、わずかな振動や風でもろもろと崩れ去っていく。


タオの緑青の毒触れた有機物─生き物─は、その場で緑青の像となって絶命するか、エダとなって生きた人間を仲間にしようと地上を彷徨う。


死ぬ者とエダとなる者の違いはわからない。上の連中は知っているかもしれないが、少なくとも男にはその違いがわからなかった。


俺はエダになるのも死ぬのも御免だ。


小金で栄養価の高い食事を摂れるようになった男は、突き出た腹を忌々しげに睨んだ。これじゃあ追いつかれる。


男は案の定、己の体を支えるのに限界となった足がもつれて転倒した。

エダの一体が男の足首を掴んだ。男はぎゃあと叫びながら逃げようとする。掴まれた右足首の感覚がなくなっていくのがわかる。緑青の毒に侵食されているのだ。


生きながら自分がエダへと変貌していくのがわかった。男は普段なら尊びも祈りすらもしない神へ助けを求めた。


ざん。


急に足首が軽くなった。

見上げると、隊服を纏った少年─先ほどのバスの護衛のガキだ─が刀を抜いて立っていた。

「こちら庭師八等星、コードネーム『ヤマト』、只今よりエダの剪定に入る」

『了解。応援は不可だ。1人で対処しろ』

「わかりました」

インカムでやり合う声が淡々と響く。


男は応援が来ないという事実に怒りを覚えた。

「銅星1人でエダが倒せるのかよ」

「黙ってくれませんか。貴方が軽挙を起こさねば、僕だってこんな仕事をしなくて済んだんです」

そう言葉を残すと少年は、十数体のエダの集団に突っ込んで行った。


男には少年がエダを斬り伏せている姿が、舞っているかのように見えた。右からきたエダを袈裟懸けに斬り、その勢いのまま左のエダの胴を断つ。


ものの数分で、十数体いたエダが『剪定』された。

「エダの剪定終了。パッケージを連れてバスに戻ります」

『了解』

少年は短いやり取りをして、男の側に立った。


そして、緑色に染まりかけている男の右足首を、躊躇いもなく切った。

男は悲鳴をあげた。痛みはない。だが目の前で右足を切り落とされた衝撃は精神的苦痛となって男を襲った。


「何しやがるクソガキ!」

「あなた都の人でしょう? 再生医療でもなんでも受けて、また足を生やすことができるんですから、応急処置くらいおとなしく受けてください」

「何も言わずにいきなり切る奴があるか!」

「言ったらおとなしく切らせてくれるんですか?」

「う」

少年は男を立たせ、肩を貸した。男はおとなしくそれに従う。


「お前、強いんじゃないか? なんで銅星なんだ?」

「あなたには関係ありません。さ、バスに向かいますよ」

2人の背後で、エダがサラサラと崩れ『枯れる』音が聞こえた。

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