二十三年 八月  蜩

 さて問題です。「ひぐらし」はいつの季語でしょうか?

 正解は「秋」。暑い盛りに頑張って鳴く油蝉や熊蝉は「夏」です。(法師蝉も秋)

 蜩は晩夏の頃の明け方や夕暮れ時にカナカナカナ……と涼やかに鳴きます。哀調のある美しい鳴き声には、はかなさとともに透明感がある(俳句歳時記・秋・角川書店編より抜粋)という本意を知らなかったとは言わせないぞ。夏井いつき談(ウソ)



 蜩の遠のきて星またたけり


 心なしか夕暮れが早くなった頃、夕映えの朱色はすでに薄れて、空は黄昏の藍色に沈みかけています。風が吹いて足元が暗くなってきました。さっきまで、ゆく夏を惜しむように鳴いていた蜩の声も途切れがちとなり、空には星が瞬くのでした。(没句ですが、カクヨムの短歌俳句コンテストに投稿しました)


 蜩の山路や祖父の背中追う


 亡父の田舎は栃木の山奥にある鄙びた温泉郷でした。山の景色が素晴らしいのと硫黄温泉が気持ちよいので、子どもの頃は家族で毎夏遊びに行ったものでした。

「山に行くか?」或る日突然、子どもには滅法無口な祖父が誘ってくれました。わたしは小学校の四年生でした。祖父と二人きりで出かけるのはこれが初めてで、すこし緊張しましたが、好奇心に負けてついて行くことにしました。

 

 山と言うほどの高さは無く、原生林の豊かな森の中に入って行きます。木の根が木道のようにつきだしている細い道を、祖父はサンダル履きでひょいひょいと身軽に先へ行ってしまうのですが、都市近郊(都会ではないが田舎とも言い難い)育ちのわたしにしてみればジャングル探検隊です。必死に祖父の背中を追いかけました。


「おじいちゃん、待って!」


「……」


 待ってと言うと素直に立ち止まって、藪に絡め取られた孫娘が自力で脱出するのを見守って(見てないで助けてくれよ)くれるのですが、すぐまたのような山道を先へ先へと行ってしまうのです。


「おじいちゃん、はあはあ、この山、はあはあ、なんていう山なの?」


「……富士山」


 このとき素面しらふだった祖父が珍しくジョークを言ったのか、現地ではほんとうに富士山と呼ばれていたのかは、祖父が亡くなった今となっては、真偽を確かめることが出来ません。祖父の家にようやく帰り着いたのは蜩の鳴く頃でした。没。



☆ 蜩やカンテラ灯る露天風呂


 父の田舎に行くと道端で会う人会う人全部知り合いだからくつろげない、と父がこぼすので、ある年から別の温泉地(温泉だけは外せない)に行くようになりました。あれは群馬県のどこかの温泉だったと思いますが、露天風呂が旅館の中庭にありました。植え込みや板囲いで中が見えないように隠してありましたが、どこか雑でした。


 ここに時間制で一家族ごとに入るのですが、灯りが脱衣所に備えられたカンテラだけしかないので、夜ともなると狭い洗い場も天然石の大岩で囲んだ露天風呂も暗くてよく見えません。折から蜩が寂しげに鳴いていました。家族三人で「どこにいる?」「わたしはここ」と声を掛け合いながら一緒にお湯に浸かると、見上げた夜空は満天の星空でした。佳作。



* 兼題が季語なのが通販生活の「よ句もわる句も」です。

  写真が付くのが「夏井いつきのおウチde俳句くらぶ」です。

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