第3話
僕の代表作となった絵のタイトル通り、亡き彼女の事を杖の少女としておこう。その少女は、Yさんよりは少し短めのショートボブで、少しクラシカルな装いであることが少なくなかった。ついぞ専攻が何なのかも知らないまま、僕は斜め前にかつかつと杖をもって座る姿を見るだけの日々をおくっていた。
春の日からその子は目についていたので、同じような薄手のカーディガンを僕も着ていた時は、趣味の近さに喜んだものだ。
革の良さげなカバンに付いた赤十字がよく目についたが、夏場だけは『星月夜』のトートバッグをよく持っていた。
当時住んでいたアパートのベランダに、僕は安物の天体望遠鏡を設置した。ゴッホの画集も買った。もちろん、文系よりな僕にとって、星々の名前はさっぱりわからない。けど、その日からは夜空を眺めることが、明日の吉凶を占う陰陽寮の役人の務めの如き欠かせぬ日課となった。今のアトリエにきたときにもまだ持っていたが、数年前の台風でレンズが割れたのをきっかけに、その後、捨てたのかどうかも覚えていない。
彼女とどうして話せなかったのか。幼い頃は人見知りもしたものだが、大学の頃にはすっかり常人並みに話せた。多くは無いが、男女問わずそれなりに話す知人もいた。
だが、杖の少女だけは話せなかった。少女。おかしな表現だ。きっと同い年くらいなはずなのに。それくらい、自分とは別の世界の存在に未だに感じているに違いない。
今みたいな寒空をみると、特に彼女を思い出す。
ある冬の日、階段を歩くのが億劫でエレベーターに乗ったところ、彼女が既に中に居た。僕は二階にいて、上行きを待っていた。降りる様子もないし、妙に身の引き締まる寒さを感じた僕は、少女の顔をわずかに一瞥するとそっと乗り込んだ。4と表示されたボタンを押す。閉める。こんな子どもの時からしている動作のひとつも、未だに脳裏をよぎるくらいに、その数秒は偉大だった。
鮮明に覚えているのは、僕が乗った時点で、既に内側には何のボタンも光っていなかったこと。
杖の少女はきっと二階で降りるつもりだったんだ。扉の向こうに僕がいなければ。
少女はその日、事故死したと聞いている。階段から落ちたそうだ。
それからしばらくして、陽の目をわずかに浴びた僕の絵だが、その少女の印象をモデルにしていると、指摘する人は誰もいなかった。それから以後、僕の画家生命に対する祝福となった肖像画の女は、現実を生きる僕への呪いとなったのだ。名前も知らない、キャンバスの中にいる杖の少女に誘われて、未だに恋人すらつくれないで、あの日のような寒空を何度も越してきた。
僕にハッピーエンドは訪れない。筆を持ったその日、運命は油絵となった。
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