3 第一夜
あっという間に土曜日がやって来た。
まだ生活感のないアパートの鏡には、見慣れた自分の姿が映っている。才気を全く感じさせない地味で幼さの残る眼鏡男。最大限前向きに捉えれば朴訥で誠実で飾らない少年とも言える。いや、そう言おうと割り切った。
近くの量販店Uで購入した一張羅、黒のブルゾン3,990円と黒のジーンズ2,990円を身に纏って玄関のドアを開ける。
体験会のチラシに書いてあったのは、キャンパスから2km程離れたマンションの一室だった。
インターホンを押すと、ドアが開き、チラシを配っていた清楚な雰囲気の先輩が迎えてくれる。
「ようこそ!あなたの他にも、もう一人来ているの。今日はよろしくね。」
清楚先輩に連れられてリビングの扉を開けると、中には二人の男女がテーブルに腰かけていた。男性が立ち上がった。
「こんにちは!僕はリーダーの大沢です。大学生活にはもう慣れた?浮かれて遊んでばかりの新入生も多いけど、僕たちはちゃんと勉強もしながら、学生生活を送って行こう。」
朗らかな笑顔とハキハキした声。大学生活で初めて信頼できそうな人に会えた気がして、こちらも思わず笑みがこぼれてしまう。チェックシャツにくたびれたジーンズという垢抜けない装いも、どこか親しみやすさを感じさせた。
もう一人は僕と同じ、体験会に申し込んだ新入生のようだ。
「わ、私は『アサカ』といいます。よろしく。」
俯きがちの丸眼鏡の向こうでは、黒目が所在なく左右に動いている。きっと人と話すのが苦手なタイプ。ということは僕と同じだ。正直、ホッとした。
窓から差し込む光が陰り始めてきた。
春の夕方の淡い日差しの中で、リーダーの大沢さんと清楚先輩が窓側、僕とアサカが玄関側に並ぶ形で、体験会という名のレクリエーションが始まった。逆光になるリーダー大沢の顔が見えづらい。両家のお見合いというのはこういう雰囲気なのだろうかと、今後やってくるかもしれない遠い未来に想いを馳せる。
レクリエーションといっても特別なことをするわけではなない。
大学に入ったきっかけ、所属する学部、在学中にやりたいこと、不安に感じていること等を話し合うだけだ。
友人ができるか不安だと口にしたアサカに清楚先輩が答える。
「今日は私達二人だけだけど、メンバーは他にもたくさんいるわ。みんないい人達よ。私達、きっと仲良くなれると思うわ。」
清楚先輩の優しい声が部屋に響く。横目で盗み見たアサカの表情からは硬さが消えていた。目も泳いでいない。彼女の様子を見て僕もここでやっていけそうな気がした。
その後、僕は大学生活に抱える不安を吐き出した。勉強についていく自信がないとか、この4年間で何をすべきなのかわからないとか。言葉にして誰かに話すだけで、心が軽くなった。リーダー大沢は、焦らなくていいよと声をかけてくれ、全てを肯定してくれた。
「もう暗くなってきたし、そろそろご飯にしましょうか。」
僕らの「お悩み相談」が一息ついたところで、清楚先輩がキッチンに向かい、ガスコンロのつまみを回すと、温められた鍋からミルクのよい香りが室内に漂い始めた。シチューの香りだ。
シチューとごはんに生野菜のサラダが手際よく盛られ、テーブルに並ぶ。
"いただきます"で手を合わせてから食べる食事は、家族と囲むテーブルを思い出させた。本当は4月に入ってから毎日の孤独な食事が寂しかった。心許せる人達と語らいながらの夕食はシチューの温度以上に心をあたためてくれる。思わず少し涙ぐんでしまったけれど、多分、他の3人には気づかれなかったと思う。
まだ肌寒さの残る4月の夜にもかかわらず、帰り道の足取りは軽やかだ。
シチューを食べた後、次回は翌週の土曜日に集合することを伝えられ、今日は解散となった。もう暗いので、アサカを自宅の近くまで送って行くことになった。
「なんか、思ったよりいい感じのサークルだったね。アサカさんはどう思う?」
できる限り平静を装って声をかけたつもりだったが、女子と二人きりで夜道を歩くのはこれが初めて。緊張で上ずって声が妙に高くなってしまう。
「あ、私もよかったと思う。正直、特に入りたいサークルが無くて困ってたんだ。でもここなら、とりあえず入っても問題なさそう。友達も作りたいしね。」
「同感。先週、とりあえずテニスサークルの新歓に行ってみたんだけど、全然話合わなくてさ。テニスなんかやったこともないからしょうがないかもだけど。」
「それ、もしかして『スマッシュ』ってサークルじゃない?私もあそこ無理だった!」
「本当?よかったあ。僕だけじゃなかったんだ。なんか安心したよ。」
帰り道で見上げた夜空にはおおぐま座がくっきりと見える。コミュ障は仲間意識からか、同類には心を開く。そう言っていた友人の話を思い出していた。アサカがコミュ障でよかった。そして僕も。
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