第12話 のぞき

 ジュリーは車の運転を覚えてご満悦である。もう事故は起こさなかった。というより、事故に類する事象は起こさないようになっていた。白みがかった幻影の街を走り回っている。カレンの「ガレージを離れちゃダメよ」という言葉を忘れたわけではなかったが、初めて自在に車を運転できるようになった爽快さは、カレンの言葉を反故にするに十分だった。


《こちらからは見えているけど、向こうからは見えないんだわ。要するに、この世界では、私は透明人間ってわけか。そう言えば、音だって、向こうの音は聞こえるけど、こちらの音は聞こえないようね》


 すべてが一方通行なのだ。そのことに気が付いたジュリーの口元から怪しい笑みがこぼれた。男も女もすることは同じである。それは、

「の・ぞ・き」  

 である。

「そんな事しないよ」

 とおっしゃるあなた、あなたは大嘘付きです。

 夜を待って、渡辺が住む学生寮の共同風呂に忍び込んだ。透明人間なのだから夜である必要はないのだが、のぞきは夜と相場が決まっているようだ。風呂からは渡辺とポールのたとたどしい日本語が聞こえる。ポールも来ているらしい。そう言えば、日本の大浴場は最高だなんて言ってたな、などと思いながら、浴室の中に入って行った。

「ちっせー、おまけに帽子かぶってるし」

 渡辺の股間の一物をのぞき見したジュリーは思わず吹いた。だが、声は届かない。

「でっけー」

 湯船から上がったポールの一物をのぞき見したジュリーは思わず叫んだ。だが、この叫び声も届かない。

 調子にのったこの女、今度は、中華料理『山竜飯店』に向かった。いけないこととは分ってはいたが、好奇心は易々と良心の障害を乗り越えていた。竜一は風呂から出て体を拭いているところだった。

「ちょうどいいサイズだわ。帽子も脱いでるし、よかった」

 何がよかっただ。

 ジュリーは、竜一の生活をもっと見てみたくなった。好きになった異性の生活を詳しく知りたがるのは、古今東西、男も女も変わりはない。『オー・マイ・ダーリン・クレメンタイン』の世界だ。

 竜一は風呂から出ると、店の残りの食材で簡単な料理を作り始めた。その間、平太は風呂に入っている。平太が風呂から出ると二人でつつましやかな夕げを囲む。店が終わってからの食事だ。すでに10時を回っている。

「ちゃんと宿題やったか」

「ゲームはやめて、早く寝ろよ」

「目覚まし掛けたか」

「テレビ消せ」

「歯磨きしたか」

 竜一の声がする。

 パジャマに着替えた竜一は、仏壇の前に座ると手を合わせ、何かブツブツ言っている。お経でも唱えているのだろう。仏壇には先祖の位牌とともに先立った妻の笑った写真がある。ジュリーは軽い嫉妬を覚えた。平太がテレビのスイッチを消すとともに竜一の声が聞こえてきた。

「ジュリーが無事に戻れるように、桂子、お前からもお釈迦様に頼んでくれ……」

「………」

 ジュリーは、衝撃を受けた。そして、何よりも自分のしていることが恥ずかしくてたまらなくなった。竜太の店を飛び出し、一目散にガレージまで走った。何と自分という女は下等な人間なのだろうか、走りながら泣いた。次から次へと涙があふれ出て来た。


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