第9話 次元の狭間

 Gは、二日前に入国していた。カレンの睨んだ通り、すでにジュリーをターゲットとして捉えていた。ただ、正確にはジュリーaの方だ。仕事のほとんどをジュリーaに代行させてサボっていたのが幸いした。人間何が幸いするか分からない。

 研究室から600メートルほど離れた所に建っているマンションの最上階の空き部屋に潜み、いつでも射殺できる状態にあったのだが、Gには一つ引っ掛かることがあり、狙撃は延ばされていた。それは、ビチババが依頼の理由として挙げていた常温核融合発電システムの開発阻止に関してだった。簡単に請け負ってしまったのだが、調べれば、システム開発はすでに終わり、すでに実用段階に入っているようだ。

「騙された。単に、常温核融合システムの発表で石油価格が暴落し大損害を受けた腹いせに利用されただけなのだ」

 こんな安請負をしてしまうとは…俺も焼きが回ったか…、痔の手術と胆石の手術が続き半年以上も現場を離れていたのが悪かった。ひどい痛みが続き、情報収集どころではなかったのだ。

 だが、ひとたび受けた仕事を反故にすることは自分の美学に反する。ビチババに対する事後処理は仕事を終えてからの事だ。そう思い直すと、黒光りのする愛用の狙撃銃アーマライトM116のスコープに目をあてた。


「やはりな、あのCIAの元副長官、ジュリーに伝えたか」


 スコープ通して目に入ったジュリー(ジュリーa)は、二人のSPに挟まれ、警護されている。確実に仕留めるには、Gの腕をもってしても簡単にはいかない状況になっていた。二人のSPとは、ポールaと渡辺aである。

「やれやれ、ちょっと躊躇している間に面倒なことになったな。ま、なんとかなるか」

 Gは、そうつぶやくと煙草に火を付け、白い煙を吐くと溜息をついた。


「いやよ、絶対いやよ、乗らないわ、私を何処へ連れて行く気よ。この世界から消してしまうってことは、死んじゃうって事じゃない」

 ガレージでは、スバルサンバーに乗る段になってジュリーが金切声を張り上げて暴れている。

「ママ、絶対帰って来られるから、大丈夫だって」

 カレンが懸命に説得する。

 そんなこんなですったもんだしている時、ガレージに声が響いた。

「あのー、注文の中華丼、持ってきましたけど。遅くなってすみません、店が混んでたもんで、時間かかっちゃって……」

 山岡竜一が岡持ちを持って立っていた。

「研究室、誰もいらっしゃらなかったんで……」

 ジュリー、カレン、渡辺、ポールの四人は、中華丼の出前を頼んでいたことを忘れていた。


 とりあえずひと休みという事で、そのままガレージで中華丼を食べた。ジュリーはあわれもない姿を竜太に見られたことで恥じ入っている。中華丼もなかなか喉を通らない。

《竜一さんにあんなとこ見られちゃったわ。竜一さん、私の事あきれ果てたでしょうね。もうこの恋は終わりだわ》

 なんてことをこの女、柄にもなく思っている。涙がにじみ出てしずくがポツンと中華丼の上に落ちた時だった。

「一人ぼっちは可哀想だよ。俺でよかったら一緒に行ってもいいよ。平太の面倒見てくれる人がいたらの事だけど」

 事情を渡辺から説明された竜一の声だった。

「どこに隠れるか知らないけど、一週間ぐらいなら付き合うよ」

 竜太は、そう言うと、ジュリーに微笑みかけた。

 ジュリーは、身体に雷が落ちたように固まった。そして、食べかけの中華丼を持ってその場に立ち尽くした。やがて、その青い瞳から涙があふれ出た。

「竜一さん、嬉しい」

 そう言うのがやっとだった。

「二人っきりになるけど、変な事しないことは誓うよ」

 竜一は、笑っている。

《変な事!?……それ、してもらって構わないんだけど…》

 と、ジュリーは思う、が、こんなことは口には出せない。

「ママ、おじちゃん、ああ言ってるんだから付き合ってもらったら。平太の事だったら私が面倒見るし」

 カレンが、ほくそ笑みながら言った。

 母親の心の中は見透かしているのだ。竜一の息子の平太とは小学校六年生で同級なのだが、この年頃の男の子と女の子は、二~三歳の精神年齢の差がある。平太の事も弟くらいに思っているようだ。

「竜一さん、ご免なさい。取り乱した姿見せちゃって、私、恥ずかしい。でも、竜一さんの今の言葉聞いて、一人で行く気になったわ。竜一さんを危ない目に合わせることなんてできない」

 さっきまでの憐れもない姿が信じられないくらいにジュリーは素直になっていた。

 中華丼を食べ終えると、

「ああ美味しかった。じゃあ、行くわね」

 と言って、スバルサンバーに自ら乗り込んだ。

 カレンがリモコン操作でワープシステムを作動させている。

 窓を開け、ジュリーが叫ぶ。

「竜一さん、帰ってきたら……」

 その時、リモコン操作で窓が閉じられ、次の言葉は聞こえなくなった。だが、窓に顔を擦り付けるようにしてまだ何か言っている。

 やがて、スバルサンバーは、緑のプラズマに包まれ、七色の閃光が交差し始めた、そして、消えた。

 竜一が岡持ちを持ったまま、口をポカンとあけて立ち尽くしている。竜一は、ワープの現場は初めてだったのだ。



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