第53話 ティアラ・アークゲートは理解できない
週に一度、憂鬱な日というのがある。
それがアークゲート家の当主、いや、あの邪神に報告をする日だ。
「……ちっ」
纏めた報告書を見て、軽く舌打ちをする。姉上が当主だった頃に比べてあまりにも簡単で一週間もかからない仕事。けれど私がアークゲートの屋敷を訪れるのは週に一度しか許されていない。
あいつは姉上の屋敷を奪うのみならず、そこに住む人々すら追い出した。しかも週に一度しか来るなという制約までこの前付け加えられた。本当に忌々しい。
あいつの事もイライラするけど、それ以上に気に食わない奴らもいる。生意気になったオーロラにノヴァ・フォルス。特にノヴァ・フォルスはアークゲート家を愚弄した。従順ではなくなったオーロラも問題だが、あの男の方に比べればまだマシか。
「まったく――」
「こんにちは、ティアラ叔母さま」
背後から聞こえた声に、全身から血が失われたかと思うほどの冷たささえ感じた。声を上げそうになるのを必死に堪えて、振り返る。そこにはこの場にいない筈の奴がいた。
アークゲート家現当主、レティシア・アークゲート。私が邪神だと思うほどの化け物だ。
突然の登場に早鐘のように鳴り響く心臓を必死に落ち着かせようとする。声を出さなかっただけでも褒めて欲しいくらいだ。
「と、当主様……どうしてわざわざこんなところへ……」
繕いながらも、私はさっきまでの事を必死に思い返す。あの男やこいつの悪口を口に出していなかったかを何度も何度も思い返したけど、確信が持てなかった。
「いえ、いつもティアラ叔母様には来てもらっているので、たまには私が取りに行こうかと」
「そ、そうでしたか……ご足労頂き、ありがとうございます」
どうやら口には出していなかったようだ。一安心だが、どうしてこいつがここに来たのかはまだ分からない。なぜ今週だけ? まさか、オーロラが告げ口したのか?
考えて、だがそれはないと結論付けた。あの様子ならオーロラが何かを言うことはないだろう。というか、そもそも私は間違ったことは言っていない。いくらこいつとて、アークゲート家を思う気持ちはある筈だ。
「そうそう、聞きましたよ。王都でオーラと口論したらしいですね。しかもノヴァさんの前で」
心臓が止まるかと思うほどの重圧を感じ、冷や汗をかく。そうか、あの男が告げ口したのかと納得がいった。
「……王都でちょっとした騒ぎをしたことは謝罪します。ただ私は、ノヴァ様にアークゲートの力になって欲しいと思っただけです」
「力になって欲しいですか……力になって当然、ではなく?」
「…………」
あふれ出る魔力の奔流が強くなる。恐ろしい。あの時の記憶が蘇って体が震えそうになる。
けれど、それでもまっすぐに見つめ返した。
「……これまでアークゲート家に関わった男は全員がアークゲート家のために力を尽くしました。それは当主様もよく分かっていることでしょう」
「…………」
「アークゲート家は……いえ、姉上は全てを利用しました。アークゲート家以外の物も、アークゲート家の男も、アークゲート家の一族すらも。そうしてアークゲートをさらなる繁栄に導いたのです」
こいつが姉上の事を良く思っていないのは分かっている。けど、我が一族が姉上のお陰で栄えたのは間違いない事実だし、こいつだって同じような事をしているのは分かっている。
「だ、だからこそノヴァ様にはそれを望みました。全ては我が一族のため! 思い出してください。傑作であるオーロラを作ったのは誰なのかを!」
「…………」
私の言葉に、何も言い返さなかった。そうだ、姉上は常に正しい。姉上こそが至上の存在なのだと、そう確信した。
「面白いですね」
「……え?」
けれど目の前のこいつは訳の分からない一言で一蹴した。浮かべた明らかに作り笑いだと分かる表情を見て、体の震えがついに収まらなくなる。
同じだ。あのときと同じ。
理解の及ばない、私とは存在する次元が違うものの恐ろしさ
「人を作品扱いする感性もどうかと思いますが、まともな作品を作れもしない技量で傑作を語られても笑い話にしかなりません」
「なにを……言って……」
こいつは……なんなんだ?
「だってそうでしょう?」
こいつは本当に、姉上の娘なのか?
「オーラはもちろんのこと、そもそもあなたが崇拝する偉大なる母上は、何も手を加えなかった私に及ばなかったのですから」
あまりの魔力の重圧に、少しだけくらくらし始める。どれだけ魔力で妨害しても、それをあざ笑うような魔力が上から叩きつけられていて、上手く考えがまとまらない。
「まあ、ノヴァさんが可愛がっているオーラと戦うようなことはしませんし、そもそもオーラは妹であって作品ではないのですが」
一歩、怪物が近づいてくる。私よりも小柄で、はた目からは華奢に見える体つき。その姿はか弱い女性にしか見えない。けれど私には、それが理解不能な力を内包した存在にしか見えなかった。
「ああ、そういえばあなたの発言の中で一つだけ正解があるかもしれませんね」
覗き込むようにしているのだと思う。けれどその顔は歪に揺れていて。
違う……私が、こいつを認識することすら拒絶しているんだと気づいたとき。
「アークゲート家には良い子はいない、ですか。確かにその通りですね。もちろん、悪い子の度合いは異なるでしょうけど」
違う、こいつはあの男から聞いたんじゃない。どうやって知ったのかなんてわからないけど、全てを知っていると確信した。そのくらい、私の言葉を繰り返したときの口調は完璧に再現されていた。
ニッコリと怪物が嗤った。身震いするほどの作られた笑顔だった。
「なら、アークゲートで一番悪い子の機嫌を損ねたらどうなるかも、よく考えた方が良いですよ」
「…………」
「今後、ノヴァさんとオーラに接触するのを禁止します。まあ、すれ違って軽い挨拶くらいは構いませんが」
「……は、はい」
私の横を通り抜けて、視界から怪物が消える。
「それじゃあ報告書は頂いていきますね。ではティアラ叔母様、お元気で」
その言葉を最後に、体に圧し掛かっていた魔力は消えた。体に降りかかる魔力が消えたのに、私は床へと崩れ落ちる。もう立っていることなど出来なかった。
「はっ……はー、……っ……はぁ……はぁ」
無意識で止めていたからか息が溢れた。体の震えが止まらない。恐怖が一向に消えない。
「なん……なんだ……分からないっ……」
もうすべてが私の知っているものと違い過ぎる。もう何も分からない。姉上が信じたものと、そんな姉上を信じた私。今まであったものからは到底理解しきれないモノに対して、頭を押さえるしかできない。
「分からないっ……」
本当に何も分からないけど、一つだけわかることがある。
あれはやっぱり怪物だ。なにが冷酷な魔女だ、なにが心のない悪魔だ。
あれは、世界すら壊せる程の邪神だ。
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