第52話 ユティさん、痛恨のミス
昼下がりの執務室で、俺は真っ白な便箋と向き合っている。今日しなくてはならない仕事は全て片付けて今は自由な時間。いつもなら剣の稽古をしたりゆっくり過ごすけど、今日は少し違っていた。
今はユティさんと文通の最中だ。
「……コーヒーだな」
彼女から送られてきた質問はコーヒーと紅茶とお茶どれが好きかというもの。それに返事を書く。突然のユティさんからの連絡に驚いたけど、なんでそんなことを聞くのかと思って質問を付け加えた。
もしかして、お話ししたい場所の件ですか? と書き込んで、アークゲート家の家紋を三回押す。消えていく手紙を見送って窓から外を見た。
「今日も良い天気ですね」
いつものように部屋で俺の補佐をしてくれているターニャに声をかけられて、「ああ」と答える。ここ数日は雨が降ることはもちろん、曇りになることもない、快晴続きだ。
そんな事を思っていると、机の上の便箋に文字が書き込まれる音を聞いた。ユティさんからの返信だ。
「……なになに?」
書き込まれている文章は長いけど、要約すると今のところはまだ秘密ということらしい。
便箋を少し離れて眺めていたターニャは苦笑いをする。
「……秘密です、と書いてありますね。これはもはや答えなのでは?」
「いや、違うかもしれない……多分」
ターニャの言うことが正しいような気がしたけど、まさか聡明なユティさんがそんな筈はないと思って苦笑いする。でもあの人、結構抜けているところがあるようにも思えるからなぁ。
とはいえそれ以上何かが書かれるようなことはなくて、ユティさんとのやりとりはこれで終わりっていう感じだった。
「……それにしても、この調子なら今年も親睦会は問題なく行われそうですね」
「あぁ、そういえば例年天気には恵まれているんだっけ?」
親睦会っていうのは、フォルス家が主催する貴族の集まりの事だ。年に一度開催される大規模なパーティで、この親睦会を通じて南側の貴族の団結を図るっていう意図があるとかないとか。
なんでこんなに曖昧かって言うと、今まで出たことがないからだけど。
「らしいですね。ひょっとしたら今回は呼ばれるかもしれませんね」
「……確かに。今まではただの三男坊でしかも覇気が使えない出来損ないだったけど今はシアがいるし、父上もアークゲート家を蔑ろには出来ないだろうからね。でも俺はともかくフォルス家とシアは相性が決定的に悪いからなぁ」
顔を青くしていた父上の姿を思い浮かべながら苦笑いする。本人的には呼びたくなさそうだけど、家柄的には呼ばないわけにはいかないっていう父上の心の叫びが聞こえた気がした。
「でも、今回からはあの猿が計画するんですよね? 旦那様をお呼びになるでしょうか?」
ターニャの言う通り、今回からはゼロードの兄上が親睦会の準備を一手に引き受けている。父上の屋敷に頻繁に顔を出しているのもそのためだ。彼は心底めんどくさそうだったけど。
そんなゼロードの兄上は家族の中でも俺の事を強く嫌っている。俺に忠義を尽くしてくれているターニャが兄上の事を嫌わない訳もないから、彼女がそう言うのも無理はない。
「うーん、でも流石のゼロードの兄上でもシアの事は蔑ろにはできないんじゃないかなぁ」
昔は大きすぎると思っていたゼロードの兄上だけど、最近はシアを始めとするアークゲート家の人達の凄さを目にしているからか、そうは思わない。
きっとゼロードの兄上だって、自分よりもシアの方が大きな力を持っているってことは分かっていると思うし。
「個人的にはフォルス家の親睦会なんかに顔を出さずに奥様と仲睦まじくしているのが一番良いと思いますがね」
「まあ、それは俺も賛成かな」
冷たく言い放つターニャの言葉に全面的に賛成だった。呼ばれればもちろん行くけど、これまで一度も参加したことがないのに急に参加して退屈な時間を過ごすなら、シアやターニャと一緒に屋敷でゆっくりした方が何倍もいい。
「逆に、この屋敷はこの屋敷で親睦会しますか?」
なんとなしに言ったターニャの言葉を聞いて、頷く。
「あー、それはそれでいいかも? ユティさんとかオーロラちゃんとか呼んでって感じで?」
「もしやるなら、準備はこのターニャにお任せください!」
「いや、それなら準備しないといけないのは俺でしょ」
「ならば奥様と二人で共同作業と、私のサポートで!」
なにやら、やたらテンションが上がっているけどこういう準備とか好きなタイプだったのか。
それにしてもこの屋敷で親睦会、っていうのは良いかもしれない。普段からお世話になっている人も多いし。
「でも本当にいい案だね。流石に今すぐってわけにはいかないけど、ある程度時間が経ったらシアと一緒に計画してみようか」
「はい、奥様も喜ばれるかと。それに旦那様が企画した親睦会ならば使用人一同も感激すると思います」
「そ、そこまでか」
キラキラした目でそう言われて、少し気おされる形になる。期待されるの結構苦手なんだよな。
そう思ったところで、文字が書き込まれる音が響いた。目を向けてみれば、机の上の便箋に文字が書き込まれている。ただし今回は桃色の便箋の方だ。
「オーロラちゃん?」
便箋をくれた相手の名前を呟いて、便箋を手元に寄せる。彼女とは一番文通をする仲だ。何度もやり取りをしていると便箋が足りなくなるから、アークゲート家に行った時だけじゃなくてシア経由で便箋をもらうこともあるくらい。
といっても会話する内容は本当に他愛のないことで、今回も書いてあることはグレイスさんのスパルタ教育や、リサさんとの面白おかしい話とかだった。
「便箋を改良して一番喜ぶのは彼女でしょうね」
「だろうなぁ……」
文字の節々から、喜んでいる様子が伝わってくる便箋を見てターニャに同意する。そういえば、シアが言っていたゲートの機器の試作品もそろそろか。
他愛のない返事を書き込んで、オーロラちゃんの元に手紙を送る。
しばらく待ってみれば、文字がまた便箋に書き込まれた。
「…………」
「……これは」
オーロラちゃんの書いた内容を見た俺は言葉を失い、覗き込んでいたターニャは苦笑いで呟いた。
書かれた内容は、ついさっきユティさんがオーロラちゃんの部屋に来て、美味しいカフェについて何件か聞いたということだった。二人で話すのに良い雰囲気の場所を聞かれたから、良い感じの場所を伝えたという。
「……ユティさん、全部ばらされてますよ」
部屋に籠りっぱなしのユティさんが外に詳しくなくてオーロラちゃんに聞きに言ったのはなんとなく分かる。それ自体は正解だったと思うけど、彼女を口止めしなかったらしい。
ユティさんが秘密だと言ったことは、彼女の妹の無邪気なやりとりで、全て分かってしまったのだった。
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