第42話 ナターシャから見たノヴァ
「オーロラちゃん! そんなに焦らなくても俺もお店もどこにも行かないから!」
子供特有のスタミナで研究所はおろか王都も駆けていたオーロラちゃんの背中に声をかける。俺の言葉にピクリと反応した彼女は足を緩め、握っていた俺の手を離した。
振り返ったオーロラちゃんは疾走したからか少し息が上がっていて、俺の言葉に自分が少し暴走していたことを知ったのか、恥ずかしげに頬を掻いた。
「ご、ごめんなさいノヴァお兄様……私、楽しみで……」
「全然大丈夫だよ。でも走るのは危ないからね。時間の余裕もあるし、ゆっくり向かっても間に合うよ」
初めて会ったときもそうだけど、彼女は年相応にふるまうことがある。その一方で、さっきみたいに賢い一面も見せるんだから、驚くばかりだ。
「確かにそうね……でも、もう店は見えているわ。あそこがそのお店」
オーロラちゃんが指さした方に目線を向けてみれば、コーヒーカップの絵が描かれた看板があった。彼女が案内したかったのはカフェだったみたいだ。確かに、落ち着いて話をするには良い場所だ。
「さあ、ノヴァお兄様、行きましょ!」
「ああ……分かったよ」
走るのを咎められたものの、はやる気持ちはおさえられなかったらしい。早足でカフェへと向かうオーロラちゃんの背中を、小走りで苦笑いをしながら追いかけた。
×××
「ナターシャ、いますか?」
部屋の扉を開けて入ってきたのは、研究所にあいさつ回りに行っていたレティシア様だった。彼女の家でもあるアークゲート家は研究所に多額の支援援助をしている。私もまた、その恩恵にあやかっている一人。
「研究所の挨拶回り、終わった?」
「はい、なので今から王城の方に行こうかと。それで、便箋とゲートの方はどれくらいで出来そうですか?」
雇い主の質問に、私は考える。
「……便箋はちょっと改良するだけだからすぐできる。けど、ゲートの方はもうすこしかかる。ある程度形に出来た段階で、ノヴァさんに手伝ってもらう必要もある」
「なるほど、ではノヴァさんの協力が必要になった段階で私に連絡してください」
「了解」
そう言ったけど、レティシア様はまだ何かあるのか部屋から出ようとしない。
「もう一つの、アークゲート家とフォルス家の反発の件はどうなっていますか?」
そっちの件か、と納得すると同時に、やる気に満ちて研究所を後にするユースティティア嬢の後ろ姿を思い起こした。
「それならユースティティア嬢の方で、ある程度形には出来ているみたい。
実現するのはもう少し先だけど……」
「……ユティも部屋に籠りっぱなしですからね。たまには外に出てもらわないと……」
レティシア様の言いたいことも分かる。ユースティティア嬢は、集中すると私以上に周りが見えなくなる。きっと今も部屋に籠って、探っているんだろう。
フォルス家とアークゲート家の間の反発を無くす方法を。
「……レティシア様」
「はい?」
穏やかな笑みを浮かべるレティシア様に、私は思い切って前から気になっていたことを聞こうと思った。
「どうして、反発を無くすような開発を? やっぱり夫であるノヴァさん関連?」
その質問をした瞬間に、レティシア様の笑みは深くなった。作られた、見ていて恐怖を感じるような笑みへと形を変えた。
しかしその笑みは不意に引っ込んで、先ほどまでの穏やかな笑顔へと戻る。
「ごめんなさい……今はまだ話せないんです」
「そう。分かった」
雇い主がそう言うなら、私が何かを言うつもりは毛頭ない。そもそもレティシア様から聞き出そうとするなんていう考えすら浮かばない。でも。
きっと……ノヴァさん関連なんだろうなぁ、と思った。レティシア様との付き合いはそこまで長いものじゃない。けど、この人が動いているのは基本的にノヴァさんのためだけだ。
市民はともかく、貴族たちからは恐れられているレティシア様をそんな風にするノヴァさんが気になってはいたけど、同時にお姉ちゃんのろくでなしな婚約者の弟ってことから警戒もしていた。
まあ……さっき話したときの印象はそこまで悪くはなかったけど。感じが悪い、あのろくでなしとは違ってとても話しやすかったし。
なにより、彼のお陰で失敗作にしてしまった子達が息を吹き返したわけだし。
「ああ、そうでした。もう一つ欲しい情報があるんですけど」
部屋を出ようとしていたレティシア様は動きを止めて、もう一度私の方に振り返った。
「なに?」
聞き返せば、レティシア様は欲しい情報を告げる。けど私は、どうしてレティシア様がそんな情報を欲しがるのかが分からなくて首を傾げた。
「今すぐ使うわけではないんですけど、念のために」
「……はぁ」
こんな情報、一体何に使うのかさっぱり分からないけど、私は彼女に情報が記載された書類を渡した。
「こちら、頂いても?」
「構わない」
「そうですか、ありがとうございます。ではまた」
そう言って部屋を出て行くレティシア様の横顔を、私は確かに見た。
何か良からぬことを企んでいるような、張り付けた笑顔だった。
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