第36章 ディアドコイ戦争体験

ところがどっこい、ディアドッコイ

「何が神話だよ。ラグナロクじゃねーし」

 周りを見回したミハエルはそうごちた。

「ところがどっこい、ディアドッコイじゃねえか地球の。書斎で呼んだ本と同じ光景」

 続いてミハエルはリズムよくそういう。

「ミハさんこりゃあ一体どこに飛ばされたんだ?」

 フレッド……フレデリック=ローレンスが暢気な言葉を上げる。

「とりあえずこれ、ここの人達と仲良くしないと色々危なそうだね」

 アリウス=シュレーゲルがそんなことを言う。

 そう、3人は兵士に囲まれていた。

「まぁわたしに任せろ」

 そういってフレッド、アリウスより前に出るミハエル。

「エウメネスくん! エウメネスくんはどこにいる! わたしたち3人は彼の傭兵部隊のものだ! フォイニスク隊長から命が来て、わたしたち3人は空からはせ参じた!! エウメネスくんはどこだ!!」

 ミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒが叫ぶ。

「へーい。はいはい、僕に用ですかってか空から来た? また神話みたいなことを言う」

「浮くよ。ほら」

 ミハエルは種も仕掛けもなしに、霊波動で宙を歩いてみせた。

「ふっ、ふふ」

 それを見てエウメネスは吹き出す。

「ギリシア神話じゃないんだからさ」

 浮いてる姿を見て、そうエウメネスが言う。彼はミハエルが見てみると黒髪、中肉中背でどことなく日本人に似ている、とミハエル=シュピーゲル=フォン=フリードリヒは思った。

「ディアドコイ戦争の時代に飛ばされたんだ。下手したら飛ばされた時点でアレクサンダー大王毒殺されてるかもしれん」

 ミハエルはフレッドとアリウスにそう小声で告げる。

 ミハエルの、彼の脳裏には、古代マケドニアの歴史が鮮明に浮かび上がってきた。

 フレッドとアリウスと円陣を組んで情報を共有する。

「へっ、そりゃあ戦の時代だわな。アレクサンダー大王の時代なら!」

 フレッドがそう答える。

「クラテロス戦の時期なら、エウメネスくんにとって重要な戦いだね。

 この時期のエウメネスは非常に窮地に立たされていたんだっけ。

 わたしたち3人がエウメネス側について戦うのは、歴史的に大きな意味を持つね」

 とアリウス=シュレーゲルが言う。

「クラテロス戦なら紀元前321年だな雲の上の友人の出雲健くんが生まれる大体621年前だ。アレクサンドロス大王の死後、ディアドコイ戦争が本格化した時期にあたるぞ。

 エウメネスくんとマケドニアで有名で大人気の軍人気質のクラテロスの対決はもうこの1戦がクライマックスと言っていいくらいだ。

 クラテロスはアレクサンドロスの有力な将軍の一人で、マケドニア軍の中でも尊敬を集めていた人物だ。

 対するエウメネスはギリシャ人――マケドニアからすると助っ人外人で、しかも生粋の軍人じゃない、書記官出身。

 だが、この戦いでのエウメネスの勝利は彼の軍事的才能を示す出来事となった」

ミハエルは窓から外を見やりながら続けた。

「この戦いでわたしたちが加わらなくてもクラテロスは戦死し、マケドニア軍はネオプトレモス(ネオゴリラね)と共に敗北を喫した。

 エウメネスにとっては大勝利だったが、皮肉なことに、マケドニア人将兵たちからの彼への反感はさらに強まることになったんだ」

 わたしとフレッド、アリウスが加わるとすれば、おそらくエウメネス側の戦力として重要な役割を果たすことになる。

 この当時のエウメネスくんは非常に孤立していた。

 『マケドニア出身ではない』エウメネスを支持する者は少なかった。いくら才能にあふれて、活躍しても、だ。おれやっぱこっちーって小学生並のチーム替え結構あったんだ」

 ミハエルは手で軽くジェスチャーをしながら、戦術について考えるような素振りを見せた。

「エウメネスの戦術はいつも興味深いものだった。

 彼はクラテロスの威厳を恐れ、マケドニア兵が敵将の名を知れば寝返る可能性も考慮して、クラテロスの姿が見えないよう工夫したとも言われている」

 つまりわたしたち3人のような異邦人(マケドニア基準で。つまりマケドニアじゃない者)やフォイニスクのような腕は立つけど義理堅い者を重用した。

 ミハエルはエウメネスの反応を見て、思わず微笑んだ。エウメネスが自分の霊波動に驚き笑ったことが、この時代と場所に来た緊張感を少し和らげた。

「真面目な話、わたしたちの存在が歴史を変えてしまう可能性もある。エウメネスの勝利は確定していたとはいえ、わたしたちが介入することで何かが変わるかもしれない」

フレッドは滅炎剣と滅氷剣の柄に手をかけながら言った。

「それがどうしたよ? 今さら歴史の心配をする余裕があるのか? 現実だと敢えて仮定してみても、他の星だしなそもそも」

 ミハエルは周囲を見回した。ミハエル達は簡素なテントの中に通されていた。

 部屋には木製のテーブルと椅子があるだけで、外では兵士たちが行き来する足音が聞こえる。

「エウメネスの軍がここにいるということは、この戦いはまだ始まっていないようだ。

 もしかしたら、わたしたちはクラテロス戦の直前に来た、で間違いないようだな」

 エウメネスは三人の前に立ち、彼らを見つめた。彼の目には好奇心と警戒心が混ざっている。

「あんたら、本当に空から来たの? それとも…何か別の術を使っている?」

 アリウスは静かに言った。

「わたしたちの来た世界の技術を説明しても、おそらく理解してもらえないでしょう。重要なのは、わたしたちがエウメネスくんの味方だということです」

 ミハエルはアリウスの言葉に頷き、エウメネスに向き合った。

(この男は歴史書に記されている人物だ。

 しかもわたしの母のゆかりの深い日本ではエウメネスくんに焦点当てて研究している人が何人もいる。

 アレクサンドロスの書記官から軍人へと転身し、マケドニア貴族たちの反感を買いながらも、その才能で勝利を重ねてきた人物。

 彼は本当に日本人のような黒髪と、東洋人を思わせる顔立ちをしている。

 これは歴史書には記されていなかった詳細だ)

「エウメネス、あなたに協力したい。近々クラテロスとの戦いがあることは知っている。わたしたちの力を貸そう」

 エウメネスは眉を寄せた。

「どうしてそれを? ぼくはまだ、クラテロスが進軍してくることを公表していないのに。飽くまでネオプトレモス軍て言ってるんだけど」

 ミハエルは静かに笑った。

「ネオゴリラか。信じられないかもしれないが、わたしたちはある種の……まぁそうだな、予言者だと思ってほしい。未来の一部を知っている」

 アリウスは静かに付け加えた。

「エウメネスさん、あなたはこれからマケドニア軍の中で最も尊敬される将軍の一人、クラテロスと戦うことになる。

 その戦いで勝利することはできる、でも、むしろ勝った後が危険な戦いになる」

 フレッドはテーブルに近づき、地面に棒で簡単な地図を描いた。

「クラテロスはここから進軍してくる。ネオゴリラ――ネオプトレモスと共に。ヘレスポントスの戦いだ」

 エウメネスの顔に驚きの色が浮かんだ。彼は三人を見つめ、その知識にますます興味を示している。

「あんたら…神々の使いって言いだすんじゃないだろうね? それとも魔術師? 僕が子どもの頃に読んだオデュッセウスの世界から来たとか言い出しそうなんだが……トロイの木馬ここに用意してきてもぼくはもう驚かないね」

 同時に、ミハエルは考えた。この時代の人間にとって、未来からの訪問者という概念はないだろう。

 神話や魔術の世界に結びつける方が自然なのだ。

「魔術師と言っても良いだろう。実際魔法使えるしな。わたしたち3人。わたしは霊波動も呪禁じゅごんも使えるが」

 ミハエルは答えた。

「しかし、重要なのはわたしたちの力があなたの助けになるということだ。クラテロスは強敵だ。彼のマケドニア兵士たちの忠誠心と戦闘力は侮れない」

 エウメネスはしばらく黙っていたが、やがて決断を下したように頷いた。

「わかった。今夜の戦略会議に参加してほしい。もし本当に未来を知っているのなら、あんたらの助言は貴重だ」

 彼はテントを出ようとして立ち止まり、振り返った。

「それと…浮いて見せてくれたその術だが、戦いでも使えるのか?」

「ファランクスはよけやすいよー」

 ミハエルはそう気楽に答えた。



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★



 エウメネスはミハエルの気さくな回答に頷きながら、片眉を上げた。彼の目には一瞬の驚きと、それに続く興味の光が宿っていた。

「ファランクスが避けやすいだって? そんな話聞いたことがない」

 エウメネスがテントを出ていくと、夕日が地平線に近づいていることが窓から見えた。

 テント内には三人だけが残された。

 ミハエルはすぐに椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。

 あの男は本当にエウメネス・カルディアノス…フィリッポスに気に入られ、ペルディッカスの右腕にして、アレクサンドロスの元書記官。

 妙に人懐っこい雰囲気を持ちながらも、その目には鋭い洞察力が宿っている。

 そして何より、歴史書には書かれていない東洋的な容姿。これは何を意味するのだろう。

「ところでミハエル、今夜の戦略会議で何を話すつもりだ?」

 フレッドは剣の手入れを始めながら尋ねた。

「本当に歴史を変えるつもり?」

 アリウスも椅子に座りながら静かに口を開いた。

「わたしたちの介入によって何かが変わるのは避けられないよね。

 問題は、どの程度変えるかだ。

 エウメネスがクラテロスとネオプトレモスに勝利することは、歴史上の事実。でも……」

「そうだな」

 ミハエルは頷きながら立ち上がり、テント内を歩き始めた。

「ディアドコイ戦争は、うちのヴァーレンスディアドコイもそうだったが、複雑な出来事の連鎖だ。

 エウメネスはこの戦いに勝っても、最終的にはアンティゴノスに捕らえられ処刑される。

 もしわたしたちの存在がその運命を変えるとしたら……」

「やはり正確な情報を伝えるべきだな」

 フレッドがいつもとは違う真剣な表情で言った。

「クラテロスとネオゴリラのう○こ投げ――もとい! ネオプトレモスの戦術、兵力配置、弱点……あらかじめ知っておけば、エウメネスはより効果的に対処できる」

 ミハエルは手を振りながら考え込んだ。

「この戦いだけでなく、その後のアンティゴノスとの対立についても警告すべきかもしれない。

 マケドニア以外のギリシャ人の言う事なんて聞けるかよ! って『銀盾隊の裏切り』がエウメネスの敗北を決定づけた」

 ミハエルのその言葉にアリウスは慎重に言葉を選んだ。

「しかし、歴史を大きく変えることの影響は考えちゃうね。VRだとわかっていてもね。

 エウメネスが生き残れば、その後のセレウコス朝やプトレマイオス朝の歴史も変わるかもしれない。それは……」

 フレッドは肩をすくめた。

「何を言ってんだよアリウス? もしこれが本当に過去なら、おれたちはすでに歴史を変えつつある。

 そもそも、おれたちがこの時代に来ること自体、歴史書には記されてねーぞ」

 三人は沈黙に包まれた。

 テントの外からは兵士たちの話し声や移動音が聞こえてくる。やがて、ミハエルが決断を下すように頷いた。

 テントの入り口が開き、若い兵士が顔を覗かせた。

「夕食の準備ができました。後ほど、戦略会議が始まります」

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