「丁度いい」彼女と恋に落ちない俺

舟渡あさひ

まだ落ちてない……!

 友達の家で海賊の入った樽に剣を刺すゲームをしていた時、ああ、まるでこのヒゲのオッサンは俺のようだなと、そんな事を思った。


 あるいはドラマで岸壁を背に狭い足場を歩いているシーンを見た時にも。もっと言えば、崖際でロープに捕まるパートナーを、掛け声と共に引き上げる栄養ドリンクのCMを見た時にだって。


 恋塚こいつかさんに対する俺の心理は、まさにこんな風だと思うのだった。


 危機一髪。まだ俺は落ちていない。







「おはよう、淵上ふちがみくん」

「うん。おはよう」


 恋塚さんは隣の席のクラスメイト。彼女は朝学校に来ると、こうして俺に声をかけてくれる。


 正直、これだけでもピクリと反応してしまう自分がいる。しかしまだこのくらいは余裕な方だ。


 ヒゲオジのゲームで言えばまだまだ序盤、確率は低いと油断しているくらいの頃だし、ドラマのシチュエーションで言えば岸壁を背にしなくても足場に余裕はある。


 それでも少し気にしてしまうのは、彼女があまり自分から異性に話しかけに行くタイプではないということを知っているからだ。


 別に男子が苦手だとか、極端に引っ込み思案だとか、そんなことはないと思う。


 普段は女子の群れの中にいて積極的に異性に絡みにいくことはないというだけの、普通のどこにでもいる女子中学生なのだろう。


 だというのに、俺にだけは挨拶だけでなく、様々な用事で声をかけてくる。


 席替え前は他の男子に挨拶なんてしていなかったじゃないか、と思い悩んだ俺のたどり着いた結論が間違っているのでなければ、おそらく聞かれてしまっていたのだ。


 あの日の俺の、愚かなる正義感を。






「恋塚さんもいいよな」

「あー、まあわかる」


 それは掃除当番の仕事をせっせとこなしている時の、何でもない雑談だった。


 掃除場所が生徒指導室という僻地だったせいで気が緩んでいたのだろう。


 単に好みを話しているだけといえばそう。悪く言おうと思えば、クラスの女子の品評会をしているというようにも言えなくもない話題。


 恋塚さんの名前が出てきたのは、何番目のことだっただろうか。


「顔はやっぱダントツ早乙女なんだけどな」

「早乙女はなぁ……あの顔で彼氏いないわけないもんな」

「しかも高校生の幼馴染みだろ? どこのラブコメだよ」


 断じて言うが、今のところ俺は何も口を挟んでいない。強いて言うなら最初の方に「手ぇ動かせよ〜」とたしなめたくらいだ。


 あとは黙々と掃除をしながら、またベタな話題だなぁなんてのんきに考えていた。


「その点恋塚さんてさ、なんか丁度いい感じだよな」

「分からんでもない。控えめだけど暗くはないし」

「めっちゃ可愛い! ってわけでもないけど、ブサイクでもないし?」

「ワンチャンありそうだし?」

「ははははっ」


「いや失礼だろ」


 そう。割って入ったこの空気の読めない男が、俺である。


「魅力なんて誰にでもそれぞれのモンがある。ベクトルが違うだけで、恋塚さんにだって早乙女に負けない魅力があるだろうに。比較してこっちの方が手が届きそうだからなんて、恋塚さんに失礼だろう」


 注釈が多くて申し訳ないが、別に俺は堅物キャラなわけでも真面目キャラなわけでもない。


 今回だって、正直そんなに恋塚さんを庇ったつもりは無かった。


 どちらかと言えば、「万年モテないグループの俺らが何を偉そうに言えるねん」くらいの、友人同士の気安いツッコミのつもりだったのだ。


 当然友人達もそのくらいは分かっているもので、特に機嫌を悪くした様子もなく、


「魅力って、例えばどんな?」


 と、そう聞き返してきた。


「恋塚さんがこういう雑務とか宿題とかで嫌な顔をしてるのを見たことがない。少なくともそれは立派なもんじゃないか?」

「俺らん中でも一番文句言うの、なんだかんだ淵上だもんな」

「今だってさっさと掃除終わらせて早く帰りたいだけだもんな」


 確か、そんな会話をして、俺もうるせー、と笑いながら返して、あとはゲームの話でもしながら掃除を終えて帰った。そんな気がする。


 おそらくは。そう、おそらくは。


 この会話を聞かれていたのだ。


 何で掃除当番でもない彼女があんな時間に、あんな辺鄙な場所にいたのかまでは知らない。


 だが、そうでなくてはおかしい。彼女と交わした会話なんて、それまではプリントを回す時の「はい」くらいのものだった。彼女について何かしら言及した覚えも、あの時しかない。


 あれを聞かれたのでなければ、彼女のささやかな接近を説明できる材料は何もないのだ。


 だから何なのかといえば、客観的に見たらどうなのかという話だ。


 少女がうっかり会話を盗み聞きしてしまいました。その会話で、俺はその少女を庇ったり褒めたりするようなことを言っていました。それ以降、少女が話しかけてくるようになりました。


 あれ? フラグ立った?


 そう思うのも仕方のない話ではなかろうか。仕方ないと言ってくれ。お願いだから。


 ともかく、それで俺は舞い上がってしまっているわけだ。


 仕方なかろう。俺だって多感な中学生男児。席が隣なだけで惚れるほど単純なつもりはないが、気のある素振りを見せられれば浮かれてしまうくらいには健全なのだ。


 彼女も彼女である。


 例えばある日のこと。漢字の小テストを行い、隣の席の人と交換して採点し合うといういつもの国語の授業風景の一部。


 そこでは特に変わったところは無かった。強いて言えば恋塚さんがなにやら怪訝そうな顔をしたくらいのことで、問題は授業が終わってすぐのこと。


「淵上くん、漢字苦手?」

「漢字が、というよりは、わざわざ勉強するのがな……ゲームやりたい」

「もぅ、だめだよ、それじゃ。……でも、定期テストの点数は良くなかったっけ?」

「一夜漬けは得意なんだ」


 それはそれですごいね、とクスクス笑う恋塚さん。


 だめだよと言われたから今度からは少しだけ頑張ってみようかとか、すごいと褒められたから一夜漬けは今後も継続しようかなとか。


 見事に振り回されている俺の内心を知ってか知らずか。


「ねえ。連絡先、聞いてもいいかな……? ほら、分からないところは教え合えるし、電話しながら勉強すればキッカケにもなるかなって」


 突然、彼女はそんなことを言い出した。


 彼女の方から連絡先交換の申し出?

 分からないところ聞いていいの?

 聞いてくれるの?

 電話しながら勉強? なにそのイベント。俺知らない。


 混乱を極める俺の脳にさらにダメ押しをされては、もう抗うすべなど無かった。


「……だめ?」


 口元をスマホで隠しながらの上目遣い。これに陥落しない男などいるのか。


 いる。いるとも。


 確かに連絡先は交換したし、本当に通話しながらの勉強イベントが起こってしまい、その日は脳が興奮してなかなか寝付けなかったが、だがしかし。


 俺はまだ落ちていない。崖に指がかろうじて掛かっているくらいギリギリだろうと、俺はまだ落とされてなどいない。


 嘘をつけ。正直になれよ。本当は落ちてしまったのだろう? 恋という名の迷宮にさ。


 そう言いたくなる気持ちはわかる。恋という名の迷宮(笑)はちゃんちゃら意味が分からないが、その気持ちはわかる。


 だが聞いて欲しい。俺は決して、「アイツのことなんか別に好きじゃねーし」みたいなちっぽけなプライドを胸に抵抗しているわけではない。


 彼女に手を出したら「丁度いいなんて失礼だ」と言っておきながら手近なところで妥協したと思われないだろうか、などと周囲の目を気にしてしまっているわけでもない。


 正直もう俺の目には恋塚さんが早乙女にも負けぬ美少女に見え始めているのだ。丁度いいも何もあるか。


 それでも俺が落ちてはいないと断固主張するのは、これまた彼女の発言に振り回された故であった。


「私、男の子のお友達って淵上くんが初めてだから……何か変なことしてたら言ってね?」


 連絡先を交換しての最初のやり取り。「よろしく」を送り合ってその後沈黙する奴らも大勢いるというのに、彼女はそんなことをつけ加えて言ってきた。


 俺の返事はわざわざ振り返らない。俺が初めてなんだ……! と舞い上がってなにやらカッコつけたようなことを返した記憶はうっすらあるが、翌日見返した時点でそれは黒歴史になった。現在封印中である。


 だが純粋無垢たる彼女は一体何を思ったか。


「ありがとう! 私、淵上くんが最初でよかった」


 見てくれこの右ストレートの威力を。一発でダウンしなかっただけ偉いじゃないか。誰か褒めてくれ。誰もいなけりゃ自分で褒める。


 よく耐えた俺。


 耐えなくていいじゃないか、とは言うな。だって彼女は〝友達〟と言ったんだ。


 調子に乗った俺の恥ずかしい返信をこんなにまっすぐ受け止められる純粋な彼女がだぞ?


 初めて異性の〝友達〟が出来て喜んでいるのだぞ?


 それだと言うのに、初めて出来たその友人が、いきなり告白などしてきた日にはどうなるか。


 嬉しい……私も、淵上くんのことが……!


 これは俺の妄想である。


 そんなつもりじゃ、なかったのにな……。


 現実はこっち。ほぼ確実にそうだろう。


 ただの友達に邪な気持ちを向けられて、しかもその相手が初めての、かつ唯一の異性の友人であったりしたら。


 それがきっかけで、初めての異性の友人を失う事になってしまったら。


 彼女はひどく傷ついてしまうのではないだろうか。下手をすれば異性に対し完全に心を閉ざしてしまうかもしれない。


 その時俺は責任を取れるか。


 取れるものなら取りたい。結婚的な意味で。


 しかし実際課されるとしたら民法的なあれであろう。それは御免である。


 こうして、俺は心に決めたのだ。


 何があっても俺は彼女の友達でいる。……せめて、彼女が俺以外の男友達も普通に作れるようになるまでは。


 それまでは決して、恋になど落ちてなるものか。






 それから、俺の耐え忍ぶ日々は続いた。


 得意技は身だしなみチェックである。ある時から持ち歩くようになった手鏡を見ることにより、「この顔で好かれるわけないだろ」と言い聞かせ平静を保つのだ。


 この相棒のお陰で、俺はどんな誘惑にも耐え抜くことが出来た。


 ありがとう手鏡。ありがとうこの顔に生んでくれた両親。お陰で自惚れずに済んだよ。


 そんなある日、俺は宿題を家に忘れた。先生からの指示により、放課後居残って昨晩終えたはずのプリントを再び片付けることとなる。


 とはいえ一度終えたもの。記憶にある通りに書き出すだけの作業はすぐに終わり、職員室への提出も済ませ、さあ帰ろうと昇降口へ向かう最中、声が聞こえた。


「で? 淵上のやつ、まだ気づきそうにないの?」

「うん……」


 そこは生徒指導室前。声の主は、掃除当番である早乙女と恋塚さん。他の女子の騒ぐ声も更に奥から聞こえてくる。


 なるほど、職員室に寄ってから帰ろうとすると通りがかることになるのか。もしかしたらあの日の恋塚さんもそうだったのかもな。


 ……俺の名前出てなかった? 今。


「あいつもとんだ朴念仁ね〜。あんなに分かりやすくアプローチしてるのに一向に気づかないなんて」


 おい、まるで恋塚さんが俺に気があるような言い方をするな早乙女。友達と仲良くなろうという純粋な努力を下心に変換するなど、良くないだろう。俺の精神衛生的に。勘違いしちゃう。


「うん……」


 うん……? うんって言った? 恋塚さん? 待ってくれ、まだ決定的なことは何も言っていない。まだセーフ。まだ落ちてない。


「もう告白しちゃえば?」


 待ってくれって!


「それも、考えたんだけどね……」


 Oh…………。


 もうこれは決定的で良いのではないだろうか。必死で崖っぷちにしがみつく指先を踏みつけられたような気分だ。


 いいのか? 落ちても。


 いいのであれば、俺は何の躊躇いもなくこの指を離そう。さらば現実。こんにちは天国。


 憑き物が落ちたように、俺の心を締め付ける鎖が今、ほどけ落ちようとしていた――!


「でも、もうちょっとだけ、このままでも良いかなって」


 はい?


「日和ってるの?」

「そうじゃなくて! ……友達として過ごす時間もね? 私にはすごく新鮮で、大切だから。もうちょっとだけ、浸っていたいの」

「あんたがそれでいいなら、いいけどね」


 俺は? 俺はいいのだろうか。


 答えは決まっている。彼女がそう望むなら……。


 鎖は再び俺を締め付け、離れようとしていた指は再び崖に食込む。


 俺はまだ落ちていない。


 落ちていないったら、落ちていない……!!

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「丁度いい」彼女と恋に落ちない俺 舟渡あさひ @funado_sunshine

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