エピソード10 刺客の追撃

「ちょっと、待ってよ瑛さん」

 全力疾走で高架下をくぐり、オフィス街を抜けて公園に差し掛かったとき、伊織が音を上げた。額から汗が流れ落ち、肩で呼吸をしている。仕方無く立ち止まった曹瑛は、さほど息が上がっていない。体力の差をひしひしと思い知らされる。


「一体何がしたいんだよ、あんたは何者なんだよ」

 伊織はまるで陳腐なドラマのように夜の公園で声を張り上げる。暗闇で狂ったように刃物を振り回す男の姿がフラッシュバックして、脚が小刻みに震えている。

 ベンチで寝ていた酔っ払いが何事かと顔を上げたが、男同士のケンカとみてすぐに興味を失い背中を向けた。

 曹瑛は冷静な表情のまま、眉間を顰める。あんな恐ろしい事件があったのに一切動揺していない。


「伊織、靴紐が解けている」

 曹瑛が伊織の足元に視線を落とす。

「え、ああ、そう」

 伊織は拍子抜けしながらしゃがんだ。今日の靴は靴紐が無いタイプだ。伊織は首を傾げる。

 背後で呻き声がした。振り向くと、肩口に銀色のスローイングナイフを突き立てた拳法服の男が仰け反っていた。


「ええっ」

 驚いたまま固まった伊織の脇を曹瑛が走り抜ける。拳法服に刺さったナイフを引き抜き、鳩尾に膝蹴りを見舞う。

 曹瑛がナイフを持つ手を真横に薙いだ。伊織の頭上をスローイングナイフが飛んだかと思えば、別方向から襲ってきた拳法服の太腿に命中した。

 長髪の拳法服の男が伊織の目の前で脚を抱えてのたうちまわっている。地面にみるみる広がる血だまりに、伊織は慌てて飛びのいた。


 曹瑛を二人の黒い拳法服の男が取り囲んでいる。一人は眉無し、もう一人は坊主だ。二人は警棒を構え曹瑛を威嚇する。曹瑛は敵を視線で牽制しながら、死角を作らぬようじりじりと軸足を動かしていく。

你这个叛徒この裏切り者め

 二人は視線を交し、同時に警棒を振り上げ曹瑛に襲いかかる。 


 曹瑛は身を屈め、坊主頭の膝にローキックを放つ。坊主頭は呻き声を上げて転倒する。曹瑛は瞬時に体勢を立て直し、背中のホルダーから抜いた黒鋼の軍用ナイフの背で眉無しの警棒を受け止めた。

 金属がぶつかる甲高い音が響く。

 警棒と刃渡り十五センチのナイフ、バヨネットがせめぎ合う。眉無しが警棒を力一杯押し切る。曹瑛は突如バヨネットを退けた。


 眉無しはバランスを崩し、前傾姿勢になる。曹瑛は警棒を持つ手をバヨネットで切り裂いた。

「ぎゃっ」

 眉無しは腕を押さえて怯む。曹瑛は上半身を捻り、眉無しの脇腹に渾身のボディーブローを叩き込む。肝臓を強打され、眉無しは悲鳴を上げて転倒し地面に蹲る。

「うおおおっ」

 坊主頭が警棒を振り上げ急襲する。曹瑛はバックステップで攻撃を避けながら、眉無しが落とした警棒を拾い上げ構えた。


 坊主頭の警棒を曹瑛が受け止める。

「付け焼き刃の武器で俺に勝てると思うのか」

 坊主頭は曹瑛が苦肉の策に出たと思い、余裕の笑みを浮かべる。長年修練を積んだ自信が漲っている。

「試してみるか」

 曹瑛は口角を上げ、深い闇を宿した瞳で坊主頭を見据える。坊主頭は曹瑛の気迫に呑まれ、ゴクリと唾を呑む。


 坊主頭が警棒で曹瑛の胸元を突く。曹瑛はそれを警棒で弾き、坊主頭の顔面を狙う。坊主頭は慌てて顔を逸らし、警棒を横に薙いで曹瑛との距離を取る。

 曹瑛は警棒を軽やかに一回転させ、握り直した。そこから曹瑛の攻撃が始まった。警棒のかち合う音が深夜の公園に響き渡る。


 完全に曹瑛が優位だ。坊主頭は防御に徹するほか無い。伊織は二人の戦いを為す術なく遠巻きに見守っている。曹瑛の攻撃が坊主頭の上腕、大腿にヒットする。手加減なしの警棒の打撃に坊主頭は悲鳴を上げる。

 曹瑛は敵の得意武器を自由自在に使いこなし、その技量は敵を遙かに凌いでいる。


 鳩尾に鋭い一撃を食らい、坊主頭は怯んでよろめく。曹瑛は背後に回り込み、警棒で頸動脈を締め上げる。坊主頭は脚をバタつかせていたが、やがて白目を剥いて抵抗をやめた。曹瑛は警棒とともに坊主頭を地面に放り投げた。

 

红虎赤き虎よ去死吧死ね

 最初の襲撃で負傷した長髪の男が拳銃を取り出し、曹瑛を狙う。撃鉄を下ろし、引き金に指をかけた瞬間、背中に衝撃を感じた。足元にワンカップのガラス瓶が転がっている。

 振り向けば、慌てて逃げ出す伊織の背中が見えた。正面に向き直ると、殺気立った曹瑛の顔があった。


「ヒッ」

 曹瑛は長髪の拳銃を持つ手を押さえ込み、地面に向けて一発撃った。

「ひぎゃっ」

 銃弾は足に命中し、長髪は激痛に身悶える。曹瑛は取り上げた銃で蹲る長髪の後頭部に狙いをつける。


「やめろ、それはダメだっ」

 銀杏の木の幹に隠れていた伊織が必死で止めに入る。曹瑛は舌打ちをして銃をくるりと回転させ、銃把で長髪の後頭部を殴りつけて気絶させた。


***


 マンションのダイニングテーブルで伊織と曹瑛は無言のまま向き合って座っていた。

 曹瑛はふてぶてしく脚を組んで斜めに座り、真鍮のジッポでマルボロに火を点けた。

 換気扇の回る耳障りな音がやけに大きく響いている。

「どういうことか説明してください」

 伊織は怒りと戸惑いがない交ぜになった感情を抑え、震える声で尋ねる。曹瑛は伊織を一瞥し、タバコの煙をくゆらせる。


「お前はクビだ」

「えっ」

 思わぬ台詞に、伊織は唖然として目を丸める。

「契約は解除だ。日本ではクビ、と言うのだろう」

 曹瑛は伊織と目を合わせず天井に向って煙を吐き出す。伊織は俯いて考え込む。


「俺は先週、八年間頑張って務めた会社をクビになったばかりなんだ」

 伊織は絞り出すように話し始める。

「奇遇だな、俺も長いこと所属していた組織と決別した」

 曹瑛はタバコの灰を灰皿に落とし、再びフィルターを咥える。

「それで、元同僚から外国人の観光案内だってこのバイトを引き受けた」

 伊織はテーブルの木目をなぞっていた視線を再び曹瑛に向ける。


「そしたらとんでもない目に遭って、踏んだり蹴ったりの上に、クビなんて」

 伊織は恨みがましい目で曹瑛を睨み付ける。曹瑛は口の端から煙を吐き出しながら、胸ポケットから厚みのある茶封筒を取り出し、伊織の前に投げる。

 伊織は封筒を手にとり中を覗き込むと、万札がぎっしり詰まっていた。


「お前の取り分だ。二週間分の日当と、ボーナスもつけてある。これで文句は無いだろう」

 曹瑛は面倒くさそうに言い放つ。

 金を受け取れば、バイトは終わりだ。こんな危険な男と二度と関わることもない。池袋の安アパートに帰って、ベッドでゆっくり横になれる。明日から就職活動に励むのだ。またもとの平和な生活だ。


「これは受け取れません」

 伊織は思い切って曹瑛に封筒を突き返した。曹瑛はゆっくりと煙を吐き出し、タバコの火を灰皿に押しつけ揉み消す。


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