エピソード7 劇薬・龍神
「行こうぜ、河岸変えて飲み直しだ」
金髪の若者が曹瑛の脇をすり抜け、店を出ていこうとする。曹瑛は金髪を逃がさぬよう、瞬時に上腕を掴んだ。
「な、何しやがる」
「お前がタカヤか」
曹瑛は腕を握る手に力を込める。金髪は身を捩るが、曹瑛は万力のような力で腕を締め付ける。この細身のどこにこんな力があるのか、金髪は情けない顔でやめてくれと懇願する。額には脂汗が滲んでいる。
「瑛さん、何してんの」
伊織が慌てて止めに入った。曹瑛の怪力とも言える握力には身に覚えがある。
ご丁寧に、角度をつけて捻り上げた腕は関節が確実に極められている。彼の痛がりようは本気だ。
曹瑛は邪魔をするなとばかり伊織を睨み付ける。
「やめろ、タカヤは俺だ」
黒髪の男がタカヤだと名乗り出た。曹瑛はあっさり金髪を解放した。
「じ、じゃあな、タカヤ」
金髪はタカヤを置いて腕をさすりながら逃げるように店を出ていった。
「飲み友達がいなくなったじゃん、あんた相手してくれんのか」
一人取り残されたタカヤは動じることなく曹瑛を見上げる。その目は物怖じせず、挑発の色を帯びている。
長い前髪がかかる大ぶりな瞳、くっきりした二重まぶたがそれを引き立てている。ほっそりした顎のラインにすらりと伸びた鼻筋、やや厚みのある唇に皮肉な笑みを浮かべている。
街ですれ違えば、アイドルかと振り返られそうな小綺麗な顔立ちだ。
「お前の恋人だった男の話を聞きたい」
曹瑛の予想外の発言に、伊織は思わず曹瑛とタカヤを見比べる。顔も知らない相手に触れていい話題ではなさすぎる。案の定、タカヤの表情が一気に曇る。
「何でそんなこと、お前に話さないといけないんだよ」
タカヤは鋭い眼光で曹瑛を見上げる。
「新種のドラッグをやっていたはずだ」
曹瑛の問いに、タカヤは目の色を変え、息を呑んだ。それが紛れもない答えだ。
「警察には見えないね」
「違う」
タカヤは氷の溶けたグラスの中身を一気に飲み干し、観念したように溜息をついた。
「あんたが何を欲しがっているのか知らないけど、教えてやるよ」
タカヤは気怠そうに椅子にもたれ、前髪をかき上げる。
「アレに手を出して
曹瑛は沈黙を守り、続きを促す。これまでそれなりに平穏に生きてきた伊織は、そんな世界がこんなにも近くにあることに唖然としている。
「秋生は新しもの好きでさ」
タカヤは面影を懐かしんでいるのか、微かに笑みを浮かべる。
「特別なルートで手に入れたって自慢してた。最高に飛べるのにキメた後も頭がスッキリして、悪酔いが無いから上物なんだって。だけど、それには恐ろしい依存性と副作用があった」
曹瑛は手つかずのモスコミュールをタカヤに勧める。タカヤはヤケ酒を煽るように一気にグラスを傾ける。
「最初は只同然だったドラッグは翌週には値が跳ね上がった。秋生はそれを手に入れるために平気で盗みを働いて、地下試合で無茶をした。止めようとした俺も殴られたよ。一線は越えない奴だったのに……」
タカヤは悔しそうに唇を噛む。伊織はどう声をかけていいか、気の毒な思いでタカヤを見つめている。
「龍神だな」
曹瑛の瞳に不穏な光が宿る。
「そうだ、確かそう呼んでたよ。依存性が増すと幻覚が見えて、挙動不審になる。そこまではその辺のドラッグと同じ」
「人格が変わるのだろう」
曹瑛はそのドラッグのことを知っているのだ。伊織は感情の読めない曹瑛の顔を見やる。
「そうだ、普通は廃人になる。でも、秋生はそうはならなかった」
タカヤはゆるゆると頭を振る。
「地下試合で、相手を殺しかけた。相手が血塗れで泣き叫んでいたのに、運営の強面が三人がかりで止めるまで蹴り続けてた。俺、ゾッとしたよ。血腥い試合を見に来ていた観客もドン引きだ。秋生は疲れ知らずだった。龍神をキメている間はフルパワーで残忍な暴力を振るった」
開いた瞳孔はまるで獣のようで、完全に感情が欠如していた、とタカヤは言う。
「俺は秋生を止められなかった。手をつけられないほど凶暴になって、逃げるように別れた。そして、あいつは死んだ。二週間前のことだ。廃ビルの地下駐車場で野良犬みたいにさ」
タカヤの瞳には秋生を見放した後悔の涙が滲んでいた。
「
タカヤはテーブルに置いた拳を握りしめる。
「秋生は龍神をどこで手に入れた」
「歌舞伎町の廃ビルでやっている地下試合だって」
「ここはおごりだ」
タカヤの返事を聞くなり、満足したのか曹瑛は踵を返す。タカヤは弾かれたように曹瑛の腕に縋り付く。
「待てよ、あんたどういうつもりだ。龍神が欲しいのか」
「そうだ」
伊織は曹瑛の返事に卒倒しそうになる。ここまで悲惨な話を聞きながら、そんな恐ろしいものを入手しようとするのか。日本に来た目的は龍神というドラッグなのか。
「あんたも破滅するぞ」
「心配するな、目的が違う」
曹瑛はテーブルに金を置いて店を出て行く。置き去りにされ、タカヤは呆然と立ち尽くしている。
「瑛さん、一体どういうつもりなんだよ」
「説教はいい。行くぞ、歌舞伎町」
曹瑛はサングラスをかけながら伊織を横目で見やり、真鍮のジッポでマルボロに火を点ける。
「ダメ、絶対、行かないぞ。あの子の話聞いただろう。健康に悪いって」
伊織は曹瑛に食い下がる。
「俺は毒はやらない」
「じゃあ、転売する気だ」
目の前に人指し指を突きつけられ、曹瑛は大きく舌打ちをして溜息をつく。
面倒臭くなったのか、正義感に燃える伊織の額に強烈なデコピンを放った。
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