エピソード6 バーGOLD HAERT
池袋から新宿へ戻ってきた。曹瑛が服を調達したいというので、新宿マルイメンに連れていくことにした。長期滞在の割にスーツケースが小さいと思ったら、服は現地調達するつもりだったという。
伊織は普段着を買うときはユニクロだ。洒落たセレクトショップに行くと、妙に意識高い系の店員に絡まれるのが苦手だった。
フロアを歩いていると、曹瑛への客引きがすごい。整った顔立ち、長身でモデル並みの抜群のスタイルから服に金を掛ける人間だと察知しているのだろう。
「適当に選んでくれ」
曹瑛はシックな色味の大人カジュアルの店で買い物をすることに決めたようだ。曹瑛は服にさして凝りはなく、比較的客引きがうざったくなかったからここを選んだという気がした。
「スタイルがいいから選び甲斐がある」
「色白だから少し派手な色もいいかもね」
「この生地は軽くて着心地がいいのよ」
なぜかオカマ口調の店員はハイテンションで曹瑛のコーディネートをしている。曹瑛の無愛想な対応をものともせず、盛り上げているプロの対応は見上げたものだ。
***
コンビニで飲み物を調達してマンスリーマンションに帰ると、曹瑛は新しい服はそっちのけで白露茶荘で買ったものを真剣な眼差しで確認している。気が済んだのか、ベランダに出てタバコを吹かし始めた。
空港送迎から食事に買い物、それなりにガイドとしての仕事はこなせただろう。伊織はバイト初日を振り返り、ほっと息をつく。
日本は治安が良いし、曹瑛ほど日本語が達者なら観光地を周遊するのは何も支障はないはずだ。日当三万円は少し惜しい気もするが、住み込みまで強要されるのは予定外だ。それに、バイトの間は就職活動ができないのは厄介だった。もう一度交渉してみよう。伊織は決意した。
タバコを吸い終わった曹瑛がベランダから戻ってきた。
「歌舞伎町はここから近いな」
「あの、やっぱり帰ってもいいですか」
二人同時だった。曹瑛は無表情で伊織を見据えている。深い闇を宿した双眸に、伊織は萎縮して口籠もる。
「この店だ」
曹瑛には目的の店があるようだ。示すスマホの画面に表示されているのはGOLD HEARTと書かれた蔦の絡むハートのロゴとブルーライトの落ち着いた雰囲気の店内写真だった。カウンターの背後にずらりと並ぶ酒瓶の写真から純粋に酒を楽しむ店に違いない。いかがわしいぼったくりバーや風俗店というわけでは無さそうだ。
「住所は新宿二丁目か、ここから余裕で歩いて行けます」
伊織の返事を待たずに、曹瑛はソファに引っかけていたスーツの上着に袖を通す。
「行くぞ」
今、あんたは地図で場所を確認していただろう。自分で調べて余裕で行けるはずなのに、何故連れ回されるのか。
「お前はすでに棺桶に片足を突っ込んでいる。一人で”留守番”ができるというなら好きにしろ」
ドアノブに手をかけた曹瑛が不満げに棒立ちする伊織を振り返った。
曹瑛の言葉に伊織は一気に青ざめる。仕事を引き受けたことを中国では棺桶に片足を突っ込んだ、と表現するのだろうか。曹瑛の言葉のチョイスは時々意味不明だ。
脅し文句に負けた伊織は、曹瑛について歌舞伎町へ向うことにした。
夜の新宿歌舞伎町は眠らない街だ。ギラギラしたネオンの輝きが夜空を焦がし、星の瞬きは霞んでいる。
有名な歌舞伎町一番街のゲートを横目に、二丁目を目指す。かつてのいかがわしい雰囲気は随分なりを顰めて、健全な雰囲気になったと聞く。ほろ酔いの会社員や羽目を外した学生サークル集団がはしゃぎながら通り過ぎていく。
曹瑛は頭に地図が入っているようで、雑踏をすり抜けて進む。長身なのにやたらフットワークが軽い。伊織は懸命に後を追った。
「ここだな」
ゲイバーに隣接する雑居ビルの前に案内看板が出ている。曹瑛のスマホで見た蔦の絡むハートのロゴで、洒落たフォントでGOLD HEARTと書かれていた。
煉瓦造りの壁にアンティークのランプが灯り、店名を焼き印した木製パネルを照らしている。重厚な黒木の扉を開けると、微かなタバコの匂いが漂ってきた。
落ち着いたブルーのダウンライトが照らす店内にはカウンターとボックス席があり、少人数のグループがグラスを傾けて会話を楽しんでいる。
場所柄、同性カップルの姿もある。彼らのリラックスした様子を見れば、マイノリティに理解のある店のようだ。
曹瑛は店内を一瞥すると、一番端のカウンター席に座る。雰囲気に圧倒され、ぼんやり突っ立ていた伊織も慌てて席についた。
「適当に作ってくれ、ウォッカベースでいい」
曹瑛の注文に、上品な口髭を生やした壮年のマスターが静かに頷く。曹瑛は灰皿を引き寄せ、真鍮のジッポでマルボロに火を点ける。ブルーのライトに照らされた煙が立ち上っていく。
バーカウンターでタバコをくゆらせる影のある姿はやけに板についている。場慣れしている曹瑛に、伊織は気後れしてしまう。
「ジントニックお願いします」
伊織は居酒屋で飲んだことのあるカクテル名を思い出して注文する。マスターはシェイカーを置き、澄んだ氷を落とす。
ウォッカとライムジュース、ジンジャエールを注ぎ、シェイカーを手早く振る。氷のぶつかる涼やかな音が耳に心地良い。
グラスが並んだところで曹瑛は灰皿でタバコを揉み消した。
「タカヤって子は今日来ているか」
曹瑛がマスターに尋ねる。目的は人探しだったのか、伊織が曹瑛の顔を横目で見やると、驚くほど柔和な笑みを浮かべていた。これまでの曹瑛の態度からすれば、胡散臭いことこの上ない。
マスターは曹瑛の表情を吟味して、店の奥の立ち飲み席にいる二人組を指差した。
曹瑛は立ち上がり、モスコミュールを手にすると二人組の方へ歩いていく。
一人は華奢な黒髪、もう一人は金髪でゆるっとした柄シャツの二十歳前半の若者だ。
「タカヤはどっちだ」
曹瑛はテーブルにグラスを置いて二人の会話を遮る。
突然の不躾な質問に、黒髪は怪訝な表情で曹瑛を見上げる。金髪の方は曹瑛の態度に苛立ったらしく、前に歩み出た。
「いきなりだな。あんた、誰だよ」
挑発的な態度で曹瑛を威嚇する。曹瑛は無言のまま、暗い瞳で金髪を見下ろしている。威圧感に呑まれ、金髪はたまらず目線を逸らした。
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