エピソード4 古書店烏鵲堂

 池袋へ行くため、JR山手線に乗る。曹瑛はICカードを使い、スムーズに改札を抜ける。

 このまま雑踏に紛れて逃げ出したいが、アパートの場所を知られていては観念する他ない。とんでもない疫病神と引き合わせてくれたものだ。伊織は山口を呪った。

「降りないのか」

 不意に声を掛けられ、伊織は慌てて曹瑛の後に続いて電車を降りる。悶々としているうちに池袋に到着したようだ。


「先にアパートに行く方がいい」

 曹瑛は中国の地図アプリに伊織の自宅住所を登録しており、経路検索をかけている。手際の良さに感心する他ない。

「どうした、案内を頼む」

「案内、いらないでしょ」

 伊織は聞こえない程度にぼやいて、やむなく曹瑛を先導する。


 駅から徒歩二十五分、込み入った住宅街の中にある築四十五年は建つボロアパートだ。古いし狭いが、山手線沿線で利便は良いし、家賃もコスパは悪くないので八年間住み続けていた。

 毎年春先には、大家さんが管理を手放して解体しようかと言い出すので、住人はヒヤヒヤしながら暮らしている。


 曲がりくねった住宅街を抜け、細い路地に入る。突き当たりに黒ずんだブロック塀が見えてきた。その手前に建つのが伊織の住むアパートだ。曹瑛は壁際に立ち、行ってこいと顎をしゃくる。

「全然準備してないからめちゃくちゃ時間がかかるかもしれませんよ」

 伊織は精一杯の皮肉で対抗する。

「構わない」

 曹瑛は平然と言い放ち、ポケットから真鍮のジッポを取り出し、マルボロに火を点けて煙をくゆらせ始める。


「もうっ、何なんだよあの男」

 ドアを閉めた途端、伊織は身悶えながら絶叫する。曹瑛の意味不明な要求に、ストレスで口内炎ができそうだ。

 ベッドに腰掛け、頭を抱える。一週間住み込みで男の世話なんて、冗談じゃない。これは悪夢だ。現実逃避をしてベッドに横になってみるが、あまり待たせると部屋に乗り込んでくるかもしれない。

 伊織は仕方無くお泊まりセットの用意を始めた。


***


 曲がり角から黒づくめの男が二人、こちらに向って歩いてくるのが見えた。曹瑛は吸いかけのタバコを落とし、靴先で揉み消した。

 黒い拳法服の男たちの一人はくっきり八二分けの中肉中背、もう一人はマッシュルームカットのチビだ。どう見てもこの辺りの住人には見えない。

 二人は殺気を漲らせ、曹瑛に距離を詰めてくる。


「お前が曹瑛だな」

 八二分けの男が曹瑛を睨み付ける。細い目が更に細くなり、糸のようだ。

「そうだとしたら何だ」

 曹瑛はふてぶてしい態度でポケットに手を突っ込む。

「八虎連への裏切りにより、処分命令が下った」

 チビが胸元から取り出した巻物を広げる。そこには達筆な筆文字に血判が押してあった。


「案外早かったな」

 曹瑛は皮肉な笑みを浮かべる。

「組織に逆らった見せしめだ」

 八二分けは胸元から刃渡り二十センチのナイフを取り出す。

「お前を血祭りに上げてやる」

 チビは両手に鉤爪を装着した。二人の刺客は同時に曹瑛に飛びかかる。


 曹瑛はポケットから取り出したものを指で弾いた。

「ぎゃっ」

 八二分けの額とチビの鼻に命中し、二人は身悶える。アスファルトに転がったのは銀色に光るパチンコ玉だ。ここへ来る途中、パチンコ店の前に落ちていたこぼれ球を拾っておいたのだ。


 曹瑛は怯んだ八二分けの膝に鎌のような鋭いローキックを食らわせる。八二分けは膝を折ってバランスを崩した。ナイフを持つ腕を捻り上げ、関節を外す。

「うぐぐっ」

 八二分けは痛みに悶絶してナイフを落とす。曹瑛はナイフが地面に落ちる前にキャッチし、死角から鉤爪で襲いかかってきたチビの太腿に突き立てた。


「ぎゃああっ」

 チビはアスファルトに転がり、太腿から血を吹き出しながらのたうちまわる。掴みかかろうとした八二分けの顎を掌底で突き上げると、八二分けは平衡感覚を失いふらふらと後退る。曹瑛は軸足に体重を掛け、中段回し蹴りを放った。

 八二分けはブロック塀に激突し、気絶した。


 曹瑛はブロック塀の向こうを覗き込む。雑草が生えっぱなしの空き地だ。気絶した八二分けの脚を持ってブロック塀の向こうに放り投げた。

 血塗れで嗚咽するチビの拳法服を捲り上げ、ベルトを引き抜いた。曹瑛はベルトをしならせ、冷酷な瞳でチビを見下ろす。

「助けてくれ」

 チビは涙を流して命乞いをする。


 曹瑛は無言のまま膝をついて、チビの太腿の付け根をベルトで縛り止血措置を施した。首を絞められる、と思ったチビは驚いて曹瑛を見上げる。

「仲間は何人いる」

「俺たちは先発隊で送り込まれた。組織はお前を殺すまで追っ手を寄越すだろう」

 曹瑛は派手な舌打ちをして、チビの身体を担ぎ上げ、ブロック塀の向こうに投げ落とした。


「おまたせしました」

 パーカーとジーンズ姿の伊織が旅行鞄を持ってアパートの部屋から出てきた。ガスの元栓を閉めるのを忘れたらしく、慌てて部屋に引き返す。

「歯ブラシはコンビニで買うことにしたよ。ところで猫か何かいた?外がうるさかったね」

「そうだな、野良猫を二匹見た」

 曹瑛はつまらなそうに言って、次の目的地をスマホで調べ始めた。


 池袋の乙女ロードは同人誌やアニメグッズの店が並び、若者で賑わっている。曹瑛はコインパーキングの角を曲がって人通りのまばらな裏路地へ入っていく。目的の店は雑居ビルの一階にあった。

 狭い入り口の頭上には天然の一枚板に豪快な筆文字で「烏鵲堂うじゃくどう」と書かれていた。


「からす、かな」

 伊織は見慣れない文字に首を傾げる。

「日本語ではうじゃくと読むのだろう。烏鵲はカササギとも言う。中国では”喜鹊能报喜 ”と言い、喜び事を伝えにくる吉兆の象徴だ」

 曹瑛はすすけたガラス扉を開け、烏鵲堂へ入っていく。曹瑛の意外な一面を見た気がして、伊織は驚いていたが慌てて後を追った。


 烏鵲堂は本屋だった。奥行きのある長屋のようなつくりだ。古本独特の埃っぽい据えた匂いが鼻腔をくすぐる。この匂いは嫌いでは無かった。

 曹瑛は狭い本棚の間を抜けて、店の奥に消えていった。

 伊織は書棚を見回した。中国からの輸入書籍も品揃えが多い。歴史書や、文豪の小説全集が棚の上にぎっしり並んでいる。

 客はくたびれたスーツの老人がひとり、花柄スカートの中年女性がひとり。マニアにはたまらない店なのだろう。





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