第三話 タチバナ
母に連れられてきた田舎の実家はのどかではあったけれど、どこかよそよそしくて私を拒絶している様だった。
何度か逢った従兄弟達にもなじめず、寂しさばかりが募って却って独りの方が良かった。
祖母の家を抜け出して歩いて行くとお気に入りの花畑がある。
ここは以前に来た時に見つけた花園。ここを見つけた時もこんな時だった。
思わず歌が口からこぼれる。どうせここにはあまり人は来はしない。
「上手いね」
振り返るとちょっと笑顔の似合う男性がいた。
「君の歌はとても素敵だったよ。きっとその歌が君の未来を創ってくれるよ」
やっちまったぁ。なんつう舌が浮くような。
初めて逢った女の子にこんな言葉を言ってしまうなんて。
それだけ彼女の歌は僕の心を軽くしてくれた。
やる気が空回りしてしまうことはよくあることだ。
そんなどうしようもないときに叔父夫婦が事故で亡くなり、相続手続きとかにも巻き込まれ疲れ果てていた。
気分転換に散歩に出ると、その歌声が聞こえてきた。
年の明けた元日の朝は気分が晴々するほどの良い天気だった。その分、寒さが身に染みたけど、神崎さんは笑顔で私と山の社への道を上ってくれた。
社を開け放ち、持ってきたタチバナを供えて蝋燭に火を点けて一歩下がり二人で一礼二拍。
「いつもはタチバナはこの辺りには無いので蜜柑なのですが、古式に由来するタチバナの実が手に入りましたので使いました」
山を降りて身体を温める紅茶を二人で飲む。
「タチバナが古式に則っているって言うのはなにか由来があるのですか?」
「非時香実。こう書いて“ときじくかぐのこのみ”と読むのですが、お菓子の祖とも言われる田道間守( たじまもり)が常世の国より持ち帰って天皇に献上したのがタチバナの実で若さの象徴とも言われてるのですが、これが元日に神への備えとして定着したけど、タチバナの実は酸っぱくて食用に向かないし、一般的な果実では無かったために蜜柑が使われる様になったと言う説もありまして。実際、今でもタチバナが使われてる所もあるんですよ。
今日はあらたまって神に詣でたいのでこちらにしてみました」
「尤も、非時香実はタチバナで無くてバナナと言う説もあるんですけどね」
「バナナですか。神様にバナナもなにか微妙ですね」
彼女はにっこり微笑む。その微笑みに私も饒舌になってしまう。
「バナナになったのは当時の古事記を編纂した文官がバナナを知らなくてタチバナにしてしまったとか。
面白い事にアダムとイブの禁断の木の実もバナナと言う説がありまして、洋の東西で神に関わる果物がバナナって面白いですね」
それからバナナ説の由来とか話しが弾んだ。
「そこで今回はお茶のお供に果物たっぷりのフルーツタルトを作ってみたけれどいかがですか」
「リンゴもバナナも入ってますね。禁断の木の実ですね」
そう言えばタチバナには追憶という意味もあった。二人の想い出が重なって今がある。
私が彼女に声をかけようとした時。
「良い匂い!」
いいところで邪魔が入るってのはお約束なんだろうか。
「神崎さん。この二人はここの管理をお願いしてる地元の楢山さんと菅野君。
ちゃんと君たちには後で持って行く予定だったんですけどね」
お邪魔虫は来たけれど、そののどかな雰囲気がまったり続くのは嫌いでは無い。
やがてお茶とタルトを満喫した二人は山の社に向かった。
「あの社は何の神を奉っているんですか」
「あそこは棚機津女( たなばたつひめ)。元は高天原の機織り女を奉っていたんですが、後から中国から伝わった織り姫伝説と混ざって七夕の神で恋愛成就の神様なんです。
尤も、菅野君はまだ幼なじみに付き合ってるだけの気持ちでいるようですけどね」
気を取り直して紅茶を淹れなおす。
二人の時間は始まったばかりだ。
花言葉の杜 その2 菜月 夕 @kaicho_oba
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