第2話

 現場の半径400メートル以内の建物からの避難が完了したのは、19時47分のことであった。

 爆破予告のあったコンサートホールの前に横付けされた警視庁警備部第十機動隊爆発物処理班の特殊車両の中では、爆発物処理班員たちが緊張した面持ちで準備に取り掛かっていた。


「まさか、加藤が現場にいたとはな」

 隊長である宍戸が笑いながら言う。


 それはみんなの緊張をほぐすために言っているのだということはわかっていたが、言われた側のわたしからしてみれば、笑えないことだった。


 現場にいるのは第十機動隊の六人であり、それぞれがその分野のエキスパートたちだった。隊長の宍戸、副隊長の白波しらなみ、後方支援・捜査担当の仙谷せんごく、大塚、そして解体処理担当の北野と、加藤かとう永遠とわこと、わたしである。


 ライブは、はじまる直前だった。20時開演で、すでに会場内の照明は薄暗くなり、バンドメンバーが出てくるのを待っている状態だったのだ。


 突然のアナウンスに、観客たちは戸惑いの声をあげた。

『会場内に爆弾が仕掛けられた恐れがあると警視庁より連絡があった。観客のみなさんは避難してほしい』

 そう運営会社の担当者がマイクを使って告げたのだ。

 そのアナウンスに一部の客たちはブーイングの声をあげた。


 爆破予告は20時ちょうど。あと10分ちょっとしか時間が無かった。


 騒然とする会場を落ち着かせたのは、ライブを行う予定だったバンドのリーダーを務めるダニエルだった。舞台上に現れたダニエルは、英語ですぐに避難するように客たちに告げたのだ。それは英語だったが、観客たちはその言葉をすぐに理解し、ダニエルの言葉に従った。


「加藤主任、準備はいかがでしょうか」

「大丈夫、いつでも行けるよ」

 解体処理担当の相棒である北野の言葉に、わたしは応える。


 わたしは対爆スーツを着こんでおり、北野の声は耳にはめたイヤホンから流れてきている。対爆スーツはアメリカの爆弾処理班でも使われているものであり、多少の動きづらさはあるものの、爆発で身体がバラバラにされてしまうことを考えれば、このくらいの動きづらさは我慢できるものだった。


 液体窒素の入った特殊容器を準備し、ゆっくりと歩きながら、わたしは現場へと向かった。

 爆発物については、捜査担当の仙谷たちによって、すでに発見されていた。

 おそらくC4。プラスチック爆弾と呼ばれるものが、煎餅の缶の中に仕掛けられた状態で、客席の足元に置かれている。


 インターネットの匿名掲示板に書かれた予告では『革命の鷹』を名乗る過激派集団が今回の爆弾を仕掛けたという犯行声明を出しているとのことだった。爆発予告時刻は20時ジャスト。残り時間は、あと5分しかなかった。


 煎餅の缶を使うという犯人の庶民的センスに苦笑いを浮かべながら、わたしは爆弾の解体の準備にかかる。

 特殊アームを使って、客席の足元に置かれた煎餅の缶を慎重に開けると、中身を確認した。見えるのは、デジタル表示のタイマーと、色とりどりのビニール銅線、そしてC4爆薬だった。


「これだけの量があれば、コンサート会場を丸ごと消し去ることができるわね」

 わたしは独り言をつぶやくように、マイクに向かって喋る。

 音声はすべて録音されており、わたしの独り言もぜんぶ後で報告書に文字として書かれるのだ。わたしはそれをわかっていながらも、独り言をつぶやいてしまっていた。独り言は自分を保つための手段でもある。精神的な支えなのだ。そのことは処理班の人たちは皆わかっているため、わたしが独り言を呟いていても、誰もそれを指摘したりすることはなかった。


「えーと、起爆装置のタイマーから伸びているビニール銅線のカラーは、赤と青、緑、黄色の四色。作成者はご丁寧に、銅線を色分けしてくれているわね。ありがたいことだわ」

 そんな独り言を呟きながら爆弾の解除作業を行っていると、何処かからか甲高い電子音が聞こえてきた。


 最初は無視を決め込んでいた。でも、その音が鳴りやまないため、わたしは視線を音の鳴る方へと向けた。

 そこにあったのは、一台の携帯電話だった。それはスマートフォンではなく、旧式の電話機能に特化したガラパゴス携帯と呼ばれているものだ。


「無視しろ、加藤」

 宍戸隊長の声が無線で聞こえてくる。

 しかし、わたしの視線はその携帯電話に釘付けになっていた。


「おい、時間が無いんだぞ、加藤」

「わかっています」

 わたしはそう言って、その携帯電話に手をのばした。ディスプレイには+からはじまる数字の羅列が表示されていた。


「出るなっ!」

 宍戸隊長の怒鳴るような声が聞こえたが、わたしはその声を無視して、携帯電話の通話ボタンを押していた。

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