第5話

 横浜の私鉄へ乗り継ぎ、とある住宅街のど真ん中にある駅の改札を出た。

 駅の開けた方側の出口を出てマンションの間を抜け通りを渡ると内科や歯科、心療内科が入ったビルの3階のフロアにそのオフィスは在った。


 昨晩深夜にまで及んだ美々との時間はこれで何週間続いているだろう。ある日ストレスからか免疫力が低下したところで原因不明に瞼が試合の翌日のボクサーさながらに腫れ上がり、膿を抜くために瞼を切開した。その日はよりによって美々との約束の日でもあった。状況を伝える旨のメッセージに対しても「自分の都合ばかりだ」と不服を言う。瞼をメスで切り開いたような日にわざわざ深夜に出歩く気になれるだろうか。

 このところ美々と会った翌日は、自分に言い訳をするように有給消化に充てて仕事を休んだ。そうやって現実逃避でもしないと気が狂いそうであった。

 広木はこの日、美々の主張が実際のところ法的にどうなのだろうと、ウェブ検索をかけたところ「まずは専門家にご相談を」という旨の広告がたまたま目に留まった。1時間たったの5000円程で済むのであればと、自宅からのアクセスの良い法律事務所を見繕い、電話を入れて足を運ぶことにした。

 弁護士の坂井が目の前に現れて名刺を広木に差し出す。白地に黒を基調とした無垢で余計な装飾の一切無い何処か味気ない名刺の作りが、招かれざる客だと広木を牽制している様にも思えた。


「午前中にお電話下さった方ですね。確か『勤務先での女性関係』とか…」

「えぇ、雰囲気でアソコ舐めて貰ったんですが、相手が後から『会社に言う』とか言い出しまして」

「…はぁ。…えぇっと。…はいはい。なるほど、なるほど…」

 露骨な表現する広木に度肝を抜かれた様子で、必死に笑いに耐えようとしているが広木はマジだ。と言うか失礼だろうがとも思う。

「いつ頃の出来事でしょう?」

 無難な会話で組み立て直そうとする意図が見える。この場合正しい気がした。

「2ヶ月くらい前ですね。深夜に2人でドライブしてたんですが、男女で密室にいると何かそうなっちゃう事ってあるじゃないですか?」

「…はぁ。一緒にお車で出掛けてらしたんですね?」

「停車して後部座席に移動して、マッサージしてあげようみたいになったんですよ」

「ん?マッサージですか?」

「何かずっと腰か背中が痛そうにしていたんで」


 取り繕うことに無理を感じたのか、坂井があからさまに表情を崩して喋り始めた。

「それで、その状態からそんなことになります?」

「その時はそうなっちゃったんですよ」

「お酒は入っていましたか?」

「僕は運転があるのでまったく。彼女も落ち合う前の事は知りません」

「お車にもお相手の女性は自分の意志で乗られているんですよね?」

「もちろんドライブですから。そこ重要ですか?」

「逆の立場で立証しようとすると確実に抑えるポイントではあります。ですが、今回のようなケースは相手にしない事が1番だと思いますね…」

「相手のストーリー的には僕が『体調崩してるような時に弱味につけこんで』みたいに言うんですが、『会社に言う』とか言われなければ男女としてもっと発展した可能性もありましたしね。まぁ5%位かもしれませんが」

「ただ相手が弁護士と相談して凄いストーリーを練り上げて来ることも出来なくはないでしょうが、きっと大丈夫でしょう」

「事実と異なっていようと辻褄が合えばそれが事実として扱われるってことですよね?」

「その通りです」

「裏を返せば僕の方も『彼女は握った僕のアレを最後まで離さなかった』とか、『めっちゃにエロかった』とか、『凄く濡れてた』とか供述出来るってことですよね?」

「仰られる通りです」


 もっとも広木は拗れようが、一度でも体の関係を持った相手の事を、後から無下に揶揄するような頭は毛頭無かった。

 1つの出来事も見方次第ではその解釈が変わるという事を広木は美々とにことで気付かされた。だが美々はそういったことにまだ気付いていないのではないだろうか。広木の主張など思いもよらないかも知れない。

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