第6話【傷痕】

南東大陸では、八百年ほど前、史上最大規模の大戦があった。

歴史によれば、ある一国が、ヒトに害を成す『獲る者』を多数、掌握しており、その力でもって大陸全体を統治しようと目論んだのが発端といわれている。

大国小国に関わらず大陸全土を巻き込み、やがて勢力は天地から降った力をあるままに行使しようとする天地派と、この先の世はヒト自らが主導し創るのだと決起したヒト派、天地派に属さない特異者を含む中立派で分かれた。

大陸内を大きく分断するかのような戦、末期は苛烈を極めたそうだ。

「記録によれば、それほどの昔にあって互いに数万の軍勢を率いていた。最後の衝突を先に起こしたのは天地派、しかし、勝利したのはヒト派と、末頃からはヒト派に傾いていた中立派です。このあたりは、天地派の一部が寝返った説、何らかの大きな策を失敗したのではないかとする説が有力ですね」

「『獲る者』……、昔は、なんだっけ、ヒトの血とか骨とか奪うやつらがいたんだったか?」

「はい。当時、特に迫害された特異者たちは天地派のもとで暮らすほかなかったとする学者もいます。発展した術式の少ない時代なら、ヒトを容易に欠損させる力が恐怖や排除の対象になるのは納得がいく。彼らも飢えや渇きには無力ですから、生きるために権力の庇護を受けていたんでしょう。現代にあっては既に、絶えた血もあるようですが」

南東大陸の戦争は天地派が敗れたことで決着。

勝ちを得た人々が、最初の天地派とされた国を含めて一から立て直した。

そうして五百年ほど前。

一部の覇権争いは起きても、平穏は根本から崩れることはなくなった。

得た安寧を盤石なものにするため、過去に対する今一度の戒めのため、その国では祭事を執り行うことを決める。内外から様々な職人を呼び寄せて、聖堂や宝殿を建て、彫像を誂え、宝物を納め、祈りの言葉と共に平和の象徴とした。

「名のある鍛冶職人が打った剣や最高位の術式で封印した古代歴史の原典、王族が代々受け継いだ杯、そういった宝物の中に『護る者』の貴石もありました。僕が実際に見たのは、片手ほどの大きさの金細工です。台座状の金細工に、胡桃くらいの石がひとつ嵌められていました」

研磨された状態にありながら規格外ともいえる大粒で、近年でも鑑定士によって本物の石かどうかが議論された。

しかし偽物である確証は何も出ず、これほどの石が鉱山から出た記録もないため、『護る者』の産物だと信じられている。

シギがそう、故郷で見聞きしたことを教えてくれた。

「薄桃か橙か、春先に咲くような淡い花弁色の石です。専門家が言うには、蒼玉と同じ質で色が違うものだそうで」

「色違いの……、小粒だってそうお目にかかれるもんじゃないな」

「金細工も花木を編んだような繊細な形で、何故なのか遠目にもはっきり目に入ってくるような……、だからか『護る者』が作ったものだと皆が口を揃えて言っていました。誰の目からしても、きっと素晴らしいんでしょうね」

特異者として、より希少価値のある石を生み、職人として、見た者をことごとく魅了する細工。

シギがざっと描いてくれた絵図をもとにして、石はともかく似た飾りができやしないかとニレも試みてみたが、そう容易にできるものではない。飾り自体を作る術式も相当に難しい組み方なのだと、すぐに理解させられた。

同じ血筋、生業ゆえに嫉妬したくなる手腕だ。血は引いているはず、けれど今の自分の手際はわかっているだけに同等の域に到達できるのか疑わしい。

いつもの店の卓、納品のついでにニレが愚痴をこぼすと、トマルがおかしそうに声を上げた。

「にいさんが発破かけられてるとはなあ」

「なんだ、笑うなよ」

「他の飾りだの職人だの見て、張り合うことなんかなかっただろ。先代相手とはいえ、変わるときは変わるもんだ」

ニレとシギが共同生活を始めてから、一月が経とうとしている。

腹の探り合いから徐々に慣れて遠慮が薄らぎ、端々で意見や解釈の食い違いも出つつ、互いの習慣がどことなく嚙み合ってきたところだ。他者の気配で眠りが浅くなったり、便所の前で鉢合わせて気まずくなったり、というのもだいぶ減った。

本来の目的だった南東大陸の史実や伝承も日々聞いて、わずかずつ学んでいる。未知なるものを多少得たような心持ちになるのは端的に楽しく、いい刺激だ。

それに『護る者』の石や細工の話をするシギがいつになく目を輝かせていた、というのも触発された理由かもしれない。飄々とした人間をああも熱っぽく語らせるほど優れているのだと直に知ってしまったら、ないことにはできない。

いつか先代の細工を見に行ったとき、追いつけずとも恥じずに済むくらいの技巧は持っていたいではないか。

「お、こいつは面白い基調だな」

「南東大陸の術式は直線と多角形で組むんだって聞いてさ。思いついて、仕上がりまでできたやつ。店に出せるか?」

「そういや渡来の雰囲気だな。出来は悪くないし、誰かがすぐ目をつけるだろうさ」

金の小さな正六角形を一列に編んでところどころに赤瑪瑙を嵌めた腕飾り、藍晶石を斜方形で囲った銀の指輪。劈開で八面体や六面体になる蛍石は角と面を生かしたまま少し磨いて、銀糸を通して髪を結う紐に仕上げた。

根幹の理屈が同じでも、大陸や国ごとに言語や文化が違うように、土地の特性で術式の構成は変わる。

西大陸はどんな術式でも曲線を主としているから、用いて作った品は自ずと流線形や丸みが出やすく、総じて緩やかな印象になる。ニレにもそれはとっくの昔から自分に馴染んでいる、習慣や常識の一部ともいえる。

けれど、この先を考えると、その特徴だけ活かしてやっていくのは難しいだろう。

船に乗り別の大陸を目指すのなら、これぞ西大陸といった飾りの他にも現地の様式や術式を取り入れて、作れるものの手数が多いに越したことはないはずだ。

じっくりと細工を吟味する、つまるところいつもの値付けだが、トマルの口角が不意に下がった。

「にいさん、おれはな、今、情けない気分だ」

「急にどうした」

「まあまあ長い付き合いだ、だから言わせてもらうが、おれはやっぱり海なんぞ出て欲しくないんだよ。あの蒼玉の耳飾りを見せなけりゃよかったと思ってる。これが本心だ」

商売柄、海の向こうから届く品物にも触れる。

そこでは高波にさらされ、最悪の場合は命を落とす、海の報告も日常となっているから。天地からの力があったとて、一度、波間へ放り出されたら水の中で息ができるわけでもない、と。

「本心ではあるんだが……、こう、新しい細工を出されるとな。あんたは腕利きになったよ。なのにこんな小さい店でだけ稼いで細々食ってるなんてのは勿体ない話だろ。目的はなんだって、にいさんが外に出れば飾りも世に広まる。まして自分で望んでるんだからな、海のひとつふたつ跨いでもらわにゃならん、とも考えるわけだ。矛盾だな」

飾りに目を向けたままの真面目な口調が、重みを含んでいる。

心優しい友であり、矜持を持つ商売人でもある。

細工に値付けをするとき、ニレに対する贔屓目はトマルにない。『護る者』の石だとは明かさない分、店に出入りする他の職人たちの飾り同様、使われた材料の価値と技術の有無を、色をつけず数字にする。

そのうえで、職人としてのニレや飾りを手元でだけ燻らせているようなことは、自分で許せないのだろう。

「言わずにおれなくなった、すまんな」

「いや……、いいよ」

店に並べる前の品を傷つけないよう布で包むトマルの手つきは、売り物だからというだけでなく、敬意を払う丁寧さだ。

勘定台の裏、店主だけが開け閉めできる引き出しに布包みを大切にしまったところで、ニレは言われた。

「『護る者』の加護がなかったとしても、にいさんの飾りは見事なもんだと思うよ。どこでだって作ってくれてりゃおれはそれでいいんだ」

「なんだよ、そんなの初めて聞いたぞ」

「当たり前だ。初めて言った」

一通りの、いつもの納品の手順を終えて、多少は気が落ち着いたのだろうか。

職人は調子づかせると腕が悪くなるからなと、普段の茶化す素振りがトマルに戻る。

数えた銀貨と納品の明細を記した紙をニレの前に置いて、ふと、尋ねてきた。

「あの優男はどうした。こっち来てるのか?」

「シギか? あいつには、今日は家のことを任せてるよ」

「そうかい。あれは律儀だな。このところ、ひとりでもここに顔を出しに来るよ。にいさんの飾りを売るの、少しやらせてもらってるからとさ。小生意気な態度のひとつも取ればいいもんを、毒気が抜かれちまう」

ニレはミナセにこの街で暮らすよう促されてからは自分の手で飾りを売るのをやめ、トマルの店にだけ、頼ってきた。

けれど今回、建前では販路開拓として雇い入れたシギにも実績をつけるため、いくつかを預けて売らせている。

それはトマルを交えて事前に三人で相談し、数や値についての取り決めもしている。もとより行商と店では客層やこの土地で商売に携わってきた時間も違う、シギが少々割り込んだからといって、古株のトマルには大きな障りにならないことも予測している。

だが、シギとしては土地に根づいた店舗を差し置いて、というある種の遠慮と気遣いがあるのだろう。

ちょっとした果物や菓子を手土産に立ち寄っては、短い話をして帰っていくらしい。

「どうりで最近、このあたりの細かいことまで知ってたわけだ。おまえのおかげだったのか」

「ふん、土地の機微に疎い行商なんてすぐ潰される。それじゃにいさんも困るだろうが」

少し前から、ニレとシギは別々に住処を留守にするようにもなっていた。

最初こそ新参者が森で迷わないように揃って外出をしていたが、ニレには貴石を生むこともあってどうしてもひとりの作業時間が要り、シギも単身で慣れた商売の進め方があるはずで、別行動が増えたのは自然だ。

今日はニレが飾りを納品するついでに食材の買い出し、シギには小屋で炊事洗濯を任せている。

ややあって、トマルがいくらか声を潜めた。

「しかしだな……、あいつは何か背負ってないか。ミナセ様がお調べになったんだ、そこんところに嘘はないにしてもな」

「どういうことだ?」

「傷だよ。にいさん、まだ知らんかったのか」

言って、ニレに左腕を示してみせたのだった。

トマルの店を出た後、ニレは街の中を歩き回りながら、さっきの話を反芻した。

いわく、数日前、腕輪の試着を何の気なしに頼んだら、出された手首に腕まで続きそうな裂けた痕がちらりと見えた。

港で働く頑強自慢や気性の荒い連中も闊歩している街だ、事故や危険に見舞われた彼らの怪我で見慣れてしまっていてなお、気にかけずにはおれないような傷。

旅路任せの身体を資本にした生業でも、シギの旅の記録には危うい内容や、負傷で商売を休んでいそうな期間はなかった。それに先日、森で転びかけたニレを強く支えてくれてもいる、痛みは抜けていると考えていいのだろうか。だとすれば幼少の頃に、何かしらの大きな出来事があったのか。

時季柄、腕まくりもしなければ袖の短い服も着ていない、だから知りもしなかった。

詮索は無用にしても、負担をかけてしまっているかもしれない。同じ住処で生活しているのだから、具合を確かめるくらいはしなくてはいけないだろう。

考えながらニレはふたり分の食材を街中で買い、帰路についた。

住処と街の往復はほとんど一日仕事、戻ってくる時分にはやはりあたりが薄暗くなっている。

ひとりのときは手ずから火を入れなければならなかったが、今日はもう小屋の入口に灯りが下げられて、柔らかい光を撒いているのがわかる。

誰かが灯してくれた明るみに迎えられるのはどことなく心が安らぐことを、ニレはシギを住処に呼んでから知った。

「ニレ」

小屋に着き、戸口を開けようと手をかけたところで、ニレは外から名前を呼ばれる。

声のした方を見やれば、薄闇、井戸の傍からシギが手を振っていた。

「お帰りなさい」

「ただいま。何してるんだ?」

「水汲みをして、火を焚いていました。今日は風も静かで、いい晩ですね」

「えっ! おまえひとりでやってたのか?」

どうやら洗い場の浴槽に、水を入れてくれたらしい。

大人ひとりが膝を曲げて座り、首から上が出るくらいの容積ではあるものの、水は井戸から運んで汲み入れなければならず、満水にするのは結構な労働だ。だからいつもは、身体を洗い流すのに使う分の湯しか作らない。

ニレがシギのもとへ行くと、洗い場の裏の薪窯で火がぱちりと音を立てていた。

「うわ、大変だったろ」

「さほどのことはないですよ。あなたこそ、遅くまでお疲れさまでした」

「ああ、ありがとうな」

礼を言ったところで、瞬間、ニレは短く息を止めた。

水汲みをしたためだろう、肘下までだが袖を折って上げた、シギの左腕、その傷痕を、見た。

古い傷だ。肉まで裂けたか、削がれたか、どうにか繋ぎ合わせたのが一目瞭然の、もつれた縫い目で歪んだ皮膚。

薪に移って勢いよく燃え始めた炎に揺らぎ、波打ってさえ見える、大きすぎる怪我を疑いようもない。

考える間もなく顔色を変えてしまったニレに、シギがはっとした素早さで腕を覆った。

「ごめんなさい、驚かせてしまいましたか」

「いや、おれが悪い! ごめん。その傷……、古い、よな? 痛みとか痺れとかないのか? なんだ……、ほら、骨、折ると治っても雨が降る前は痛むなんて言うだろ。そういうやつ」

「平気ですよ。ただ、見た目が酷いので、あまり周囲の目には触れない方がいいだろうと思っていたんです。ここでの暮らしに慣れが出たかな。油断ですね」

こうやって誰かと過ごすことはほとんどなかったので、そうシギが言う。

傷痕を周囲の目にさらさない。実際、それだけで道中は口出しされずに済んだのだろう。基本的にはひとりで移ろう商売、例え途中で住込み仕事があっても家事を担うことがなければ、隠し通せてしまう。

「あの店主が気づいてたぞ。腕輪、試すときに見たって」

「目敏い。つい、左手を出してしまって、注意したつもりではいたんですが、駄目でしたか」

「昼間それ聞くまで、おれは気づきもしなかったから……、今まで、無茶させてなかったか?」

「何ひとつ。痕があるだけで、不自由を感じるものではないです」

隠されていたこと、隠していたこと、どちらの意思にもよらず不意に露見するのは居心地が悪い。

せめてもっと時と場所を選びたかったと、ニレは悔いる。トマルから話を聞き、先に情報はあったのだから、実際にシギの傷を見てもそうとわかるほど表情に出すべきではなかったのだ。

「悪かった。嫌な気分にさせただろ」

「いいえ。僕の方が隠していましたから」

ニレの謝罪に、シギも頑なに首を横に振る。

互いに機会を見誤った、ということなのだろう。

上げた袖を戻すシギの、宵闇に浮かぶ白い皮膚と傷が隠れる。それを普段への切り替えの合図としたかのよう、緊張や重苦しさを断って、何気ない声色がニレに聞いてきた。

「ニレ。今晩でも、時間をいただけますか?」

「時間なら、別にいくらでも」

「それなら、話の続きは後でしましょう。今は中に入ってください。荷物が重いでしょうし、身体も冷えます。先に湯船をどうぞ。火の番はこのまましていますから」

双方、思うところがあれども、冷えていく夜気の中で立ち尽くしてもどうにもならない。

率先して膠着を避けてくれるシギが日頃と同じ笑みでいることに、ニレは安堵し、等しく申し訳なくなりもする。

「おまえさ、気遣いしすぎじゃないか?」

「どうでしょうか。打算が裏側にあるかもしれませんよ」

「得にも何にもならないのに? でも……まあ、じゃあ、先に入らせてもらう。交代まで窯に当たってろよ。おまえだって寒いだろ」

「わかりました」

相手を寒空の下に長く置かないためにも、今はまず滞っていることを順に片づけるべきだ。

小屋に入って食材は炊事場の卓に並べ、他の荷は自室に置いて、ニレは身体を拭く布と着替えを準備した。

靴や服を脱いで洗い場の戸を開けると、溢れていた湯気が一斉に身体を包んできて、視界までかすむ。浴槽にはたっぷりの湯量、ひたした手の先でまず確かめる湯が、冷えた指先をじんと痺れさせる、この時季にありがたい熱さだ。

身体の汚れを洗い落とした後、少し外の空気を入れようと、壁の上部に設けられた格子窓の板をずらして隙間を作る。

溜まっていた湯気が流れるように出ていって、シギが気づいたらしかった。

「薪か、反対に足し水が必要なら言って下さい」

「このままで大丈夫だ。……こんな気持ちいいのは、久し振りだよ。ちょっとしたら代わる」

「急がないでいいですよ。ああ、そうだ、今日は街で何を買ってきたんですか」

「ん? あー……、葉のついてる蕪を四玉と、小芋を笊一杯分だろ。豆と、玉葱。赤い壁の店で固焼きの丸パン買って。干し鱈が二枚。それと卵売りに行き会ったから、藁包みひとつ。五個入ってるって言ってたな」

他愛のないお喋りと共に湯につかる。

爪先から頭まで温もりが届き、一日の間に疲れて固まっていた身体が自然と緩んでいくようだ。

さっき知ったシギの傷痕、見たときの衝撃は、これほど心地よくても意識から消えてはくれない。けれど優しく芯まで温められて、心が凪ぐ、次は動揺せずいられそうに思う。

ニレは晴れた夜空の一片を格子窓の外に眺め、窯の世話をしてくれているシギの足音をしばし耳で辿った。

冬の長い夜は、刻々と更ける。

今日は暴れる風も雨もなく、暖炉で火が小さく爆ぜるのと、たまに遠くで獣が鳴いているのが耳に届く、余分のない静けさに満たされている。

食事と片づけを終えた食堂で、シギが茶を淹れて出してくれた。

それぞれいつもの椅子に座ったところで示し合わせたかのよう、互いにわずかに沈黙する。

口火を切ったのはシギだった。

「改めて、僕の傷のことを話しますね。少し長くなりますが」

「聞かせてもらうけど、言いたくないなら黙ってていいんだからな。誰にだって話したくないことはあるだろ」

「ありがとうございます。痕、もう一度、見てみますか?」

「おまえが嫌じゃなければ見せてくれ」

ニレの返事に、シギが服の釦を外してはだけ、首筋から腹まですっかり露にする。

相応に鍛えられた筋肉で均整がとれている、が、しかし、その左半身。

今度こそ取り乱さずにはいられたが、ニレは口元を引き結ばざるを得ない。

酷かった。

肩に始まって腕や脇腹へ幾筋も裂け目が走り、先に見た手首の痕も上腕まで繋がっている。鋭利なものに深く食い込まれ、えぐられて、身体が己が肉で急ぎ傷を埋めるしかなかった結果、生じて残った隆起。無理をして縫い合わされた皮膚。規則正しい縫合があるのは、怪我が比較的ましだった箇所だろう。

地肌や健やかな他の部位とはまるで異質、そこだけ襤褸を寄せ集めてめちゃくちゃに接いだかのよう、腕一本、下手をすれば半身が、裂かれて分かたれる寸でのところだったと物語っている。

五体のまま命が保たれた代わりに、痕跡は今もまざまざと、死に近しくいた証拠として刻まれているのだった。

「僕が十四歳のときに負ったものです」

「……、……十四なんて、まだこどもだぞ。酷いことがあったんだな」

「はい。でも、成長途中だったからこそ、回復できたのかもしれないですが」

服を着直していけば、ニレの見慣れていたシギに戻る。

穏やかな物腰で隔てて、周囲には覗かせていなかった、覆い隠されていた過去。

きっちりと襟まで正したところで、苦い笑みでもって、シギが言った。

「ニレ。僕は、汚れ仕事をしていたんです」

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