『秘密結社〝保健所〟』

 吹き上がる黒煙を、放心して見上げる。



 14年という長いんだか短いんだか微妙にコメントに困る歳月の日々が詰まった箱庭が、あっという間に瓦礫の山と化した。



 喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、こうも呆気なく一瞬ですべてが消し去られてしまうと、自分が過ごしてきたあの苦く辛い日々は一体何だったのか、思わず考えてしまう。



 こんな簡単に消え去る様な土台でしかないというのならば、これから積み重ねていくであろう様々な経験のを、果たして支え切れるのだろうかと、疑問に思ってしまう。



 地獄を経験したと言っても、所詮この小さく脆い箱庭の中だけの事に過ぎない。外の世界にはあまりにも怖ろしい出来事で溢れている。その恐ろしい出来事に対し、俺の見てきた地獄は一体どれだけのなのか? 



 比較検証をするには、あまりにも俺のデータが足りない。手足の爪の間に針金を通される痛みの経験が、肉屋めいて吊るされる数多の死体や生きたまま解体される女子高生の悲鳴のような恐ろしい光景の数々に役に立つとは思えないのだ。



 俺は耐えられるだろうか? そのような光景を見て、自分を保てるだろうか? 



 あぁ不安になってきた。思わず天を仰ぐ。



 空は晴れ渡っているというのに、まだ何も始めていないというのに、もう既に俺の心の中には暗雲が立ち込めていた。



 俺の胸中を表すかのように、澄み渡った空に黒煙が広がり、影を落としていた。



「あー、もうぶっ壊しちゃったんすか―ッ!?」



 あと少し声をかけられたのが遅かったら、俺は懐に入れていた銃を口に突っ込んで引き金を引いていたと思う。



 声のした方向へ振り向くと、そこにはスーツを着た3人組の女が立っていた。



「うへ~時間よりも早く着いたってのにさすがに速いや」



 茶髪の髪のセミロングのヤンキー染みた女、チワワが立ち昇る黒煙を仰ぎ見ながらため息を吐いた。



「だから言ったでしょ? ウチらの手なんか必要ないって。急かしやがって、馬鹿がよ……」



 チワワの肩を、黒髪のショートヘアの小柄な女、ポメラニアンが小突いた。



「ボス……おはようございます」



 ウェーブがかった長い金髪に三つ編みを一つ右側に垂らしている俺よりも大きい女、シバイヌが口論する2人の後ろから顔を出し、おずおずとあいさつしてきた。



「えぇ、おはようございますシバイヌ。それからポメラニアン、チワワも」



 瞬時に余計な思考を捨て去り、気持ちを切り替えると俺は3人に向き直った。



「ウッス、おはようございます!」

「おはようっすボス!」



 口論を止めこっちに挨拶してくる2人に手を振って応える。



「さて、ここに3人が来たという事は、ができたと、そう考えて良いですか?」

「はい、××区の第13支部は完全にウチら『保健所』の手に落ちました!」

「中にいた構成員は?」

「はい、お望みの通り



 デカシタ! 



 真顔で答えるポメラニアンに、俺はだらしなく満面の笑みを浮かべて褒めちぎってやりたい衝動を秒で捨て去り、口の端をわずかに上げ、眉尻を少し下げて微笑みを作って労いの言葉を贈る。



「なるほど、それは重畳。初めてなのによくやりましたね」

「いやぁ~それ程でもないっすよ~」

「そうそう、思ったよりなんてことなかったな!」

「……辛くてもやらなきゃいけない事、だもんね」



 思いっきし口の端を歪めて照れてる奴、胸を張ってドヤ顔をする奴、見るからに辛そうな奴、反応は三者三様だ。良く見れば3人ともスーツのところどころに赤黒い汚れが見て取れ、髪の毛はところどころほつれていた。



 ポメラニアンとチワワはこれまでの経験からかそこまで堪えていなさそうだが、繊細なシバイヌは辛そうにしていた。だが俺たちは気遣いこそすれ慰めはしなかった。これからもっとキツイ事をせにゃならんのだ。こんな程度でへこたれては困るぜリリー。



「そうですか。ではあなたたちは先に『巣』へと戻りなさい。私は千歳様の所へ行ってきます」

「うへ、お嬢のとこ行くんすか?」



 千歳の名が出た途端、ポメラニアンはわずかに眉を顰めた。



「えぇ、きっと千歳様は新しい生活の事で不安がっているでしょうから」

「それウチらもなんすけど……分かりました。じゃあ『トサケン』と『プードル』の奴もつれて先に行ってるっす。あと『レトリバー』にも声かけはしとくっす。来るかどうかは知りませんけど……」

「ならさっさと行こうぜ。できればボスに見られる前に片付けておきたいし」

「……結構派手に壊しちゃったもんね」



 去り際に不穏な単語がちらほら耳に入ったが、俺は聞こえないふりをした。群れのボスには懐の広さが求められるのだ。



 風のように去り行く3匹の犬を見送ると、俺も千歳邸へと走り始めた。



 俺は、この14年の訓練地獄の中でいくつかの技を生み出した。その一つが、一瞬で体を脱力させ、一瞬で力を爆発させて尋常ならざる速度を出す技、『雷鳴歩』という技だ。



 完全脱力からの爆発的な力の解放の生み出す速度は凄まじく、その速度は文字通り雷に匹敵する。、だ。



 ここに異能コピーでストックしてある加速と強弱と破壊と闇を盛り、探知の異能で最短距離と最も適したフォームで打撃をぶち当てれば、の敵はぶっ殺せるのだ! どーだスゲーだろ! 



 ……とは言ったものの、当然0から約マッハ567、異能ありなら最大マッハ29万にまでなる反動は凄まじく、いくら超人染みた身体能力を持つとはいえ考え無しに連発できるような代物じゃない。



 全身じゃなくて腕の一部とか小刻みにやる分なら反動は最小限で済むけど、やっぱり負荷は無視できない。だから俺が普段出せる速度はマッハ10から20の間くらいだ。



 ていうかそんだけ盛っても幹部や魔王を倒せる気が全くしないから、何というか……俺じゃ無理だから頑張れ暗夜! 俺はお前が苦労しないように露払いはしとくからな! 



 だってー俺の目標は舐めた糞教団にありったけの糞をひっかけるだけっていうかー、さっさと死んだふりして雲隠れしたいっていうかー、それだけなんですー。あなたたちの壮絶なる戦いバトルとかきょーみないですー。ですー。



 とか何とか考えていたら、すでに千歳邸は目の前にあり、更に瞬きする頃には黒スーツから千歳と同じ私服に着替えて部屋の前に立っていた。



 ……この技を覚えてから、俺の時間の感覚は狂ってしまった。他の人が一分一秒を争っている間に、俺は0.01秒0.001秒以下を争うようになっていた。



 いやホント。世界が変わったというか、この世の全ての流れがもう遅すぎてイライラするくらい感覚が違う。



 まあ時間間隔を日常用と戦闘用に切り替えができるようになったから、大分苛立ちは緩和されたんだけれども。それを覚えるまでは本当に大変だった。いつ教官殿の前でボロが出ないか冷や冷やしたものだ。



 懐かしい思い出だ。



(……現実逃避はそれまでにして、そろそろ入るか)



 過去の情景を頭から追い出し、ドアを叩いて返答を待った。あー嫌だなー。ぜってーイライラしてるじゃんアイツ―。もう扉越しから苛立ちが滲み出てるもん。



 返答がない。仕方が無しにもう一度叩く。



「千歳様? 起きていらっしゃいますか? イミテーションです」



 しばらくすると、苛立ち交じりの入室許可の声が聞こえた。



 失礼しますと言いながら部屋に入った。グーでぶたれた。



「いてぇ……」



 千歳が去って行ったドアを見つめながら、俺はぼやいた。



 多少のごたごたはあったものの、当初の目標である千歳の服に発信機にもなる盗聴器は仕込めた。ついでにメンタルケアは俺を殴った事により、多少はストレスが緩和されたはずだ。はず……。



 ……。



 ふ、不安だ! 凄い不安なんですけど!? え、大丈夫あの子? いや仮に原作通りに行くとするなら全然大丈夫じゃないな!? いやでも原作ほどストレスは抱え込んでいないはずだしそもそも俺以外にあまり頭ごなしに人に怒鳴りつけるのは良くない事って口酸っぱくいってきたから大丈夫なはずなのではそうであってくれおねがい許しておねがいしますおねがいしま──────。



「―――はッ!?」



 いかん。ストレスと不安で頭がおかしくなりそうだった。(手遅れ)



「頼むからあんま喧嘩売んないでくれよ?」



 これから先長い付き合いになる(予定)何だからな。



 部屋から出る前に、置かれてあった姿見鏡にその身を晒す。皺ひとつなかった真っ白なワンピースは醜い血の染みが点々とついており、顔にはどす黒い紫色に変色した痣が瑕疵の如く主張していた。



 頬に手をやり、少し力んだ。しゅうしゅうと白い煙が立ち上り、頬にやっていた手を外すと、痣は綺麗さっぱり消え失せていた。



 肉体操作による、一部分の肉体の急速治癒だ。これから行う作戦の都合上、異能の使用がほぼ不可能なため、異能に頼らない攻撃の手段や自己回復の類は必要不可欠だったが、間に合って良かった。



 今のところ上からの指示はない。強いて言うならば千歳と共に学園に潜り込んで宿った闇を育んでほしいと言った所か。



 千歳が学生生活に馴染んでいくにつれ、上からどんどん碌でもない指示を出される事だろう。生徒会長兼聖光教の上級エージェントである『長谷川軌陸はせがわきりく』の襲撃とか、暗夜と績の企みの阻止とか。



 俺はそういった原作で千歳が行っていた行為をすべて請け負うつもりでいる。裏では支部潰しまくり、エージェント殺しまくり。表では千歳が任務を受けている間に主要キャラに擦り寄りまくり千歳の好感度の緩和措置しまくり。



 ……や、やる事が多い! でもこれやらないと千歳も俺もお先真っ暗地獄行きまっしぐら! 



 だから、滅茶苦茶鍛える必要があったんですね。



 鏡の前に立ち、もう一度力む。すると、たちまち全身を黒い炎のような闇が包み込み、それが消えると服装は白一色のワンピースから黒一色のスーツへと戻っていた。



 特撮ヒーロー染みた早着替え術。ふふん。カッコイーだろ! 覚えるのスゲー苦労したんだぜ! 



 ……それにしても似合って無いな。



 鏡の前で一頻りポーズを取りながらしみじみ思う。学生服を着た千歳は本当に同じ顔立ちなのかと疑うほどばっちり決まっていたというのに、この差は一体何なんだろうか? 



 やはり育ちか? 育ちの問題か? 滲み出る品格の差か? 



 ま、まあほら。俺はどうせ表舞台に出る事なんかないし? どうせこのスーツ着るのだって長くて半年程度だろうし? 別に似合ってなくても構わないし……。ホントだし……。気にしてないし……。



「……」



 俺はそれ以上考えるのを止めた。だって鏡に映る自分の顔がそれはもう辛そうに苦悶の表情を浮かべていたのだから。



 うん、同じ顔立ちでも、やっぱり違う。千歳はこんなださい苦悶の表情浮かべないし。なんか大人っぽく見えて情緒はほぼ幼女だし。触るなっつってるのに触ろうとするの止めろ! 



「はぁ……」



 俺はため息を吐き、歩くことを拒否したがっている膝に力を入れた。



 やりたくない。でもやらなきゃいけない。行きたくない。でも行かなければならない。生きていくというのはそういう事で、人生とはそういう事ばっかりだ。



 輝かしい人生などというのは才能ある恵まれた極一部の人間だけが享受できる特権であって、それが無い者はやりたくもない事を延々こなしながら過ごす他は無い。



 俺の様なはもっと選択肢が無く、選択肢を増やすには賭けたくない命を賭けるしかない。



((あーあ、行きたくねぇなぁ……))



 俺は頭を振って、外へ出た。



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