君に向ける内緒の話

野村絽麻子

秘密

 昼時に幼馴染の声がスピーカーから流れてくる状態にもわりと慣れて、二度目の春も平和裏に過ぎた。どことなく湿度をはらんだ風が髪を撫でる。もうじきこの辺りも梅雨空が広がりそうなのだと、さっき校内放送の声が告げていた内容を思い返す。


 例えば電車の中。他人のイヤフォンから聴こえてくる音漏れというのが大の苦手で、耳栓代わりにイヤフォンをしている。見ていないテレビ番組を家族が点けっぱなしにしているのも苦手なら、学校での昼食時にありがちな、無秩序な喧騒も苦手。できればイヤフォンをして過ごしたいところだけれど、それをすると途端に「感じ悪い奴」になってしまうのを僕は知っている。

 教室で飯を食うのが苦手なのだと正直に話したとしても、大抵は「そんなこと言って、こっそり女と食うんだろ」などと変な勘繰りを受けるもので、へらりと愛想笑いを振り撒きながら教室を抜けて、例えば今みたいに、体育館裏のベンチなんかでサッサと食べてしまうのが常だった。妙な噂はついて回るけれど、噂は噂だ。塩対応、結構。僕は僕のペースを守ろう。

 そんな一連の流れに慣れてしまう程には自分の顔は整っているらしい。見知らぬ女子生徒からの告白も、今ではさらっと受け流せるようになってしまった。それが良いことなのか、そうでもないのかは、あんまり良く分からないままだけど。

 昼飯は、可もなく不可もなく、正しく購買のパンの味がする。亮太の担当する校内放送は相変わらず。散歩を楽しむ犬にも似たテンションで、聴いている者に戯れつくように進行する。こういうのを天職とかって呼ぶんだと思う。もそりと、もう一口、パンを齧る。不特定多数の喧騒は苦手、亮太の声の放送はそうでもない。我ながら基準が謎だ。

「たのしいお昼時のお供に、今日も素敵な音楽を携えてやって参りました。あなたのそよ風こと植村です」

 植村亮太について語るとすれば、誠実で、実直で、困ってるやつを放って置けない世話焼き気質が挙るだろう。人懐こくて垣根が無くて、そこが犬っぽいと言われる所以かも知れない。

「そして今日はなんと、記念すべき後輩部員のデビュー日でもあります。紹介しましょう、放送部期待の星です!」

 そうやって僕の耳に入った声。それこそが彼女のものだった。


 声の主は一年生の女子で、年齢にしては落ち着いた口調だった。よく食レポなんかで「舌触りが良い」なんて言うけれど、それに倣うと「耳触りが良い」と言うのか。とにかく心地の良い音程と、気持ちの良いテンポ、美しい間を含んだ滑舌の良い声だった。僕は一瞬で虜になった。

 忘れ物を取りに訪れた放課後の体育館で、彼女に遭遇出来たのは僥倖だった。体育倉庫の棚に引っ掛けたままのタオルを回収して、すぐ去るつもりだったところ、耳が音を拾う。床にボールを突く音。放る気配。ゴールリングがそれを弾いて、不規則な音が散らばるようだ。

 戸の端から見てみれば女子生徒がいる。再び放ったボールは大きく弾かれて、勢い良くこちらに向かって飛んでくる。反射的に手が伸びた。

「はい、どうぞ」

 手渡した瞬間、相手が固まっている事に気がつく。と同時に頭の中で、バスケットボール、放課後、スリーポイントの自主練、自分を見たまま固まっている女の子と符号が揃って、何となく事態を予測したんだけれど。聞いたことある変な噂のひとつが思い当たる。

「……ありがとう、ございます」

「待って!」

 らしくもなく大きめの声が出た。思わず呼び止めたのは彼女の声のせいだ。更に固まる彼女に構わず続ける。

「放送部のっ……! ねぇ、お昼の校内放送、してたよね」

「……あ、はい、あの……放送してました」

 声を聞きたい。もっと、喋って欲しい。今まであまり感じたことのない種類の気持ちが唐突に溢れてくる。

「一年生だよね? その……名前は、何て」

 待て待て待て。これは。この質問はもしかしなくてもナンパになるのでは?

 完全に動揺してギクシャクと頭を掻いている目の前の女の子。困らせているのは自分で、これは体験したことの無いパターンだ。天を仰ぎたい気持ちになった僕の耳に、テン、と音が届いた。振り向くとよく見知った顔がいる。若干気まずそうに見えた。

「あ、植村先輩」

 滑らかに発せられる声。

「なんだ、亮太か」

 待て、を解除された犬みたいな顔をした亮太がこちらへと歩み寄る。

「なになに? 珍しい組み合わせじゃん!」

 意図してか、それとも無意識にか、亮太が二人の間に立つ位置取りをしたように感じた。ガード、される後ろめたさも無くはない。放送部の後輩として紹介していたのだから当然のごとく亮太はこの子の先輩で、それ以上の感情があるらしいのは見て取れた。

 忙しなく瞬きをしては、上擦った口調で矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。幼馴染を舐めてもらっちゃ困る。見てればすぐに分かるんだ。これは何かを隠したい場合の亮太の仕草。スリーポイントを練習する彼女、バスケットボールをもって現れた亮太。例の噂。そこから導き出されるもの。

「樹も付き合う? シュート練習」

「いえ、それは、」

 遠慮しようとする彼女の仕草で確信を得る。とにかく頷いて、慌てて「いいよ」と口に出す。

 驚いた瞳が僕を見る。それを真っ直ぐに見つめ返して逸さない。必ずシュートが決まるように。決まるまで。

 これは本当に、亮太には言ったことがない秘密なんだけど。


 ——僕と亮太って、いつも同じ相手を好きになるんだよね。


 だから、困る。とても困る。困っている。

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