「甘えるな!」と言われること
島尾
精神の問題に対する新たな発見の連鎖が続くことを願います
精神障害者手帳(2級)を交付してもらった。
自分は子供~大学2年までの長い間、「心の病なんて甘えだ」「んなもん存在しない」と思い込んでいた。また、私が不機嫌になると父親が「心の病か?」と言ってきて、「違う」と答えていた。当時の私の家族は精神病の人を大差別していたと認めるしかない。また、私の住んでいた県は被差別部落の問題が著しく、「あの町はヤバい」「屋根の上にあの模様があればエタ」「部落はゴーストタウン」「四つ足」などという陰口を楽しむ悪習があった。あの頃、わけもなく被差別部落の人をダシにして笑っていたことをここに認める。また、私の弟がアニメ「けいおん」のグッズをかばんにぶら下げていたのを発見した際、私は「キッモ。オタクや」と言って弟を蔑み、さらにそのグッズを踏みつぶしたり隠したりして嫌がらせた。
その時代は、2005年ごろから2016年ごろの間である。ありとあらゆる「弱者」(外部からの見た目で判断した勝手な弱者扱いを意味する)が差別され、偏見を受けていた時代だろう。精神病、被差別部落、オタク。こういったものは劣等であり、普通であることや気の強いことが優性である、みたいな雰囲気が漂っていた気がする。しかも私は子供ゆえに無教養だったので、まんまとその雰囲気に呑まれてしまっていた。特に害悪だったのは父親の言動で、
「俺の会社はバカしかいない。俺は他のとは違う」
「オタクは本当にキモい。ブックオフにいる連中はなんであんなに腑抜けみたいなのばっかりなのだろうか」
「部落のやつらは四足歩行をしている。人肉を食べることもある」
「俺の言うことを聞いておけばいい。なぜなら俺は幾度も失敗の経験をし、それに裏打ちされた言葉だからであり、俺の言うことは常に正しい」
「俺は人生で一度も泣いたことがない」
「田舎でくすぶって消えるような人生はやめろ、中流階級になれ。俺みたいなやつになるな」
「早くしろ!」
「親の言うことをなぜ聞かない? 聞け!」
「返事せぇ」
「精神障害者が一番ラクな生き物だと思う」
「映画でも見て人生について考えてみろ」
「甘えんな! 社会では甘えたこと言っても通用せんぞ!」
という、少なくともこのくらいのことを言われ続けた。
優性思想主義が正しいんだと信じ込まれていた時代と、もともとの遺伝的な要因、さらには父親の生い立ちがこのような発言を連発せしめるに至ったと考えられる。そう考えると、もはや父親だけのせいにするのは無理があるだろう。ただ、私はこういう優劣の概念に囚われ続けて「『優』のほうに向かわねばならない、さもないと自分には価値がなくなる」と妄信していたゆえに、上記の大差別をするのが最適で、精神に負荷のかからない状態を維持できていたように思える。
しかし実際の自分の子供時代は、ひどい生活だった。
学校では誰ともしゃべることができずに孤立し、陰鬱として、他人の否定や差別という逃げに走った。笑顔で居ることがしょうもないと思い、常に険しい顔をしていた。顔については、今も治っていない。そしてあるとき、自分は精神的におかしいと感じる出来事があって精神科を受診し、休学した。
私の心を癒したり、新しい思想に誘ってくれるのはアニメであった。今まで孤立状態だったゆえに知り得なかった人間関係を発見した気がして、徐々に自分の考え方や今までの教え込まれた内容を懐疑するようになった。
仕事では、遅刻やコミュニケーションの下手さゆえにバイトを何度もクビになり、自責的な感情と他責的なそれを行き来する情緒不安定な状態に陥った。
どん底まで精神が落ち、ひきこもり、体に異変を生じ、youtubeで饒舌に話す人々たちの言葉に苦しめられたり慰められたりし、親から罵倒され、とうとうニヒリズムの果てに到達し、生命の危機を感じた。
そんなとき、一つの根源的な疑問が生じた。「自分は今まで人間だったのか?」と。
兼ねてより私は「自分は人間だ!」と信じ、父親に「お前は人間じゃない」と言われたら即座に大反対していた。しかしその「人間」とは、具体的に何を指していたのかと疑問に思った。
その疑問に対して、今までの経験や思考を思い出しながら、一つの答えが湧き上がった。「自分は奴隷・愛玩動物・誰かの所有物(ペット)・おもちゃだった」と。その瞬間、今まで味わったことのない急激な絶望的感情が襲ってきた。心も体もボロボロな状態にある自分に、津波が襲ってきたようなものだ。
そして破壊されたのだ。何が破壊されたのかというと、先の「自分は奴隷・愛玩動物・誰かの所有物(ペット)・おもちゃだった」という答えである。人間としてこの世に生まれた限り、そんなことはあり得ない。だからその答えは間違いであると瞬時に気づき、「自分は人間だ」という自明の答えに変更された。これをもって真の意味で「自分は人間だ」と言い切れるようになった。そして、横にいる他人も人間であるということに一瞬で気づいた。自分とは異なる性質だろうけれど、それでも人間であることに変わりはない。その1点においてはどう考えても等しい存在で、否定しようがなかった。「私は人間である。横にいる人は? もちろん人間である」という流れが瞬時に脳内で理解されたのである。
つまり、私は父親の奴隷ではないということである。所有物でもなければペットでもない。操り人形でもない。どう考えても人間であり、固有の存在である。こう考えることによって私は父親の支配から脱することに成功し、電話を着信拒否するに至った。とはいえ父親もまた固有の人間である。奴隷主でもなければ操り人形の操り師でもない、所有者でもないし、飼い主でもない。だからいずれ父親と仲直りして話をしたいと思えている。数年後に。その前に死んだら、自分の子供を支配した罰が下ったのだと言えよう。「数年後」と書いたが、今は父親がいつくたばっても構わないという感情だ。何十年間にもわたって私を支配し続けた者に、「孝行したい」「感謝している」などという綺麗な言葉を述べることが可能な状態ではない。
甘えることは悪いことなのだろうか。自分が何かをできないから助けを求める、その意味において甘えるのは全然構わないと思える。一方で、できるのにやらない、とか、できるのに敢えて誰かに押し付ける、という意味の甘えは悪いと思う。しかしその境界は常に曖昧で変化していると感じる。「できると思っていたのに実際はできなかった」「できない状態が長期にわたっているが、いずれ何かがどうにかなってできるはずだ」という、普通に助けを求めてもよい場合なのに、それを求めない=甘えない場合があるように思える。また、そこには自分が一人の「奴隷」、逆に「奴隷主」という状態に陥っているにもかかわらず気づいていない場合があるとも思える。それに気づくには、私の場合には大絶望を経験する必要があった。ゆえに、この世界の全員にその気づきを得てほしいとは素直に言えない。ただ、そういう人たちが「自分は甘えてはならないんだ」「てめぇ甘えんじゃねえぞ!」などと言っているのを見かけたら、今の私は堂々と「間違っている」と思える。
この文章を書いたのは、最近とある経験をしたからである。空港でスタッフが「何かお手伝いできることはありますか?」と尋ねてきたので「大丈夫です」と答えた、この経験である。私は時間の管理が異常にできないし、コミュニケーションも下手であると自覚している。しかし空港内においては、保安検査をくぐって搭乗ロビーの椅子に座り、時間が来たらチケットをかざしてゲートをくぐって機内の自席に座るだけだ。空港内においては他人や他システムが徹底的に時間管理をしてくれるので、困ることは特にない。コミュニケーション能力が試されるような場でもない。実際に困ることが起こるのは、空港の外である。具体的には、出発時刻より30分ほど前に空港に到着するのができないことである。時間感覚が
最後に、「精神障害者は甘え」「精神障害者が一番ラクな人間」と本気で思っている人に言いたいことがある。あなた自身が、すでに精神に何らかの問題を抱えている可能性がある、と。
「甘えるな!」と言われること 島尾 @shimaoshimao
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