第9話 母の命

「はい。親父。今月の分」

「おう」


 家に帰ったクルスは銅貨の入った袋をナツヤに渡した。

 ナツヤの大きな手にズシリと置かれた。


「お前、真面目だな」

「当然のことだよ。借りてる金なんだから」

「親子なんだぞ、少しは……お前も自分の小遣い欲しいだろ?」

「そういうとこで甘えたくないんだ」


 思春期の子供とその親のやり取りだ。

 クルスも14歳だ。

 親から独立したい気持ちが無意識に出て来る。


「なぁ、クルス」

「ん」

「お前、いつまでパン屋続けるんだ?」

「え……? そんなの決めてないよ」

「そろそろ将来の事……」


 最近、ナツヤと意見がぶつかることが多くなったとクルスは思う。


「大丈夫だよ。店も軌道に乗ってるし」

「そんなのいつまで続くか分からない。もっと安定した職業に就け。例えば……」

「分かってるよ! 城の騎士にでもなれだろ!? 何回も聞いたから耳にタコ出来たよ」


 クルスはわざと横を向いて、嘲笑する振りをした。


「クルスッ!」


ドン!


 ナツヤの大きな拳が食卓を叩いた。


 カップに入ったミルクがタプンと揺れた。


「おにいちゃーん!」


 可愛らしい声が場に響いた。


「おお、デメル」


 猫のぬいぐるみを抱き、クルスの足に頬ずりするのは、まだ3歳の妹デメルだった。

 ユナの血をひいて、黒髪、黒い瞳の可愛い女の子だ。


「一緒に遊ぼ」

「うん」


 クルスは妹のお陰で、気まずい場面を回避することが出来た。


~~~


「お兄ちゃん、パパとケンカばっかしてるね」

「うん……仕方ないよ」


 何が仕方ないんだろう?

 クルスはデメルの手を握りながらそう思った。


「ほんとはね、ママが呼んでって言ったから呼びに来たの」

「母さんが」


 クルスはユナの部屋に入った。


「クルス……」


 母の力無い声が、狭い部屋に響く。

 寝たきりの母は精一杯の笑みをクルスに向けた。

 ユナはデメルを産んでから病魔が進み、今では寝たきりだった。


「母さん、寝てなきゃ……」

「大丈夫。クルス……ちょっとそれ取って……」


 クルスは棚にある『薬』を手に取った。

 薬は高価だったが、ユナの病気を一時的に緩和させるだけで治癒には至らなかった。

 ゲーム内でも彼女の病気は治ることはなかった。


「ゆっくり、ゆっくりね……」


 クルスはユナの背中を支えながら、薬を飲ませてあげた。

 それをデメルは心配そうに見ている。


「はー、ありがと」


 病魔に侵されていても、母は美しさを保っていた。


「良かった」


 もうすぐこの世界からいなくなる母を思うと悲しさがこみあげて来る。


「クルス、父さんは、ああ言ってるけど、あなたは好きなことをしなさい」

「母さん……」

「父さんだって好きなことをやるって言って、騎士の仕事を辞めたんだから。あの人が言える立場じゃないのよ」


 ユナは笑った。

 クルスもつられて笑った。

 デメルはその様子を見てはしゃいだ。


 でも、クルスは分かっていた。

 パン屋よりも城の騎士の方が安定しているし、ユナの薬代も稼げるってことに。


つづく

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