青春の馬 ①

 教師の方のお名前は外灘(わいたん)栂(とが)尾(のお)と言い、その隣に座っていた教え子は鈴木(すずき)由実(ゆみ)と言った。

 無茶苦茶覚えづらい名前と無茶苦茶覚えやすい名前が隣通しだったんだなと思う気持ちはともかくとして、僕としては由実さんの事情が気になった。

 合コンとは名ばかりで、結局のところ由実さんに関する人生相談が大半になってしまっていた。僕はともかくとして兄がそれで良いのかどうかが問題だったが、どちらかというと兄から外灘先生と由実さんに質問をしていた感じだったので問題は無かったのだろう。

 ちなみに由実さんは黙々とフライドポテトを食べていて真顔ながら満足気にしており、木見城君は由実さんに関する人生相談を真面目に聞いていた。二人とも僕が合コン要因として急遽呼んだということもあり後ろめたさがあったけれど、それぞれ違う形で輪に入ってくれていてほっとした。

 ——そんな中、外灘先生から聞いた話はこんな感じだった。

 

「これまで由実は良好な高校生活を送っていたんだ。スクールカーストの中間ぐらいの立ち位置の友人たちとつるんで、それなりに楽しんでいた。

 けれども先週くらいに——スクールカースト上位の男子が由実のことを好きになっちまった。由実はそいつのことを何も知らなかったからひとまず丁重に断ったらしいんだが、それによってスクールカースト上位の女子陣がいきり立っちまったらしくてな。

 その女子陣が由実の元々の友人達にも手を回して、由実は孤立しちまったんだ。目に見えるいじめは私の監視下にある限り絶対に起こさねえが、孤立させるっていう手口は厄介なんだ。物理的に何かしている訳じゃねえから、教師という立場では正直厳重注意くらいしかできねえ。

 やるせなくてな。

 そんな中、霧島さんの弟が『選ばれし者』になって、しかも『選ばれし者』としての存在価値に悩んでるっていうじゃねえか。

 言い方悪いのはこの際気にせずに素直に言わせてもらうぞ。

 ——渡りに船とはこのことだ。

 という訳で、彰輝君。

 後生だ。『選ばれし者』と由実につながりがあるって言い切っちまえば、スクールカーストの上で、なにかしら変化が生じるに違いねえ。

 私の可愛い教え子を、助けてくれねえか」


 この話を聞いて思ったことを正直に言おう。

「WinWinでしかないですね」

 僕は『選ばれし者』として何か出来ないかと思っていた。

 由実さんは、現状を何とかしたいと思っている。

 そこに向け、外灘先生の提案は、僕と由実さんの欲求を同時に満たしていた。

 これしかないと思い首を縦に振ろうとした——その瞬間——

「私で良いんじゃない?」

 永久子さんが、フライドポテトを食べるのを止めて、発言した。

 表情は、誰がどうみても不機嫌そのもので、両腕を組んですらいる。

「私が由実さんの友達だって表明するわよ。彰輝君よりも知名度は高いし、その方がスクールカーストとやらで考えたら上位に入りやすいわ」

「……そうだな、これは複雑だな……」

 外灘先生は永久子さんと同様に両腕を組みながら、「ううむ」と唸り始めた。

「なるほど、なるほど……永久子ちゃんの考えはわかった」

「ちゃん付けはやめて」

「いやぁ、永久子ちゃんの真意を思うと、先生はちゃん付けしたいところだよ」

「はぁ? 本当に、本気で、何を馬鹿げた戯言をほざいているの」

「まあまあ。ひとまずそこは片隅に置いて、由実の話をさせてくれ」

 流石大人の対応というべきか。

 不満げな表情の永久子さんを収めつつ、外灘先生は話を続ける。

「確かに永久子ちゃんに友達になってもらう選択肢もあるだろう。でも、今回は男がらみの案件だ。そこに対して何か楔をうつとするならば、同じ男である彰輝君の方が話が早いと思うんだ」

「ハッ。安直ね」

「安直さ。それが高校生っていう成長著しい時期の特徴でもある。——そんな中、何か手立てを講じたら、その子らの人生に何かを寄与できるのが、教師としてやりがいのあるところなんだ」

 ——どうやら外灘先生は、教師という職業に対して、かなりやりがいを感じている人種らしい。

 流石の永久子さんも納得せざるを得ないのか俯き始めており、兄と木見城君に至っては外灘先生を真っ直ぐに見ながら惚けていた。二人とも単純すぎるだろうとは思いながら同じ男として、わからないでもなかった。

 ほぼ全員が全員、外灘先生の主張に同感だった。

 勿論、僕も含めて。

 となった時に唯一問題となるのは——話題の中心でもある——とある女子生徒だろう。

「え、え、え、え、え、え、あの、先生、私、男子と仲良くなんて、そんな、難しいです」

 言わずもがな由実さんは、一人、テンパっている様子だった。

 この合コンに関してもどう考えても外灘先生に無理くり連れてこられたとしか思えない。

 しかし、もうどうしようもない。

 外灘先生は、由実さんの事情を洗いざらい話してしまった。

 そして——由実さんも——その話を止めることなかった。

 であるならば、僕がやるべき仕事は一つだろう。

「永久子さん、ごめん。僕に引き取らせてほしい」

「…………」

 話を振られた永久子さんは、僕をじっと見ながら、何も言い出さなかった。

 口に出して了承はしたくはないが、暗黙の了解を示すしかなく、もどかしい状態ということなのだろうか。

 いかにも永久子さんらしいなと思いつつ内心ホッとしつつ——

 隣の木見城君が泣きそうな表情で僕を見ているのを無視しつつ——

 件の女性に、視線を向けた。

「由実さん。現状と、打開方法を話そう」


 *


「……………………」

「……………………」

 僕と由実さんはカフェに居た。

 翌日が日曜日ということもあり、昼過ぎから集まれたのは良かったところだろう。昼食を家族で食べた後、兄に「幸運を祈る!」と爽やかに見送られたのには若干イラっとしたが、そんなことどうでも良くなるくらい、今の時間が気まずかった。

 お互いコーヒーを頼み、その後席に座ってから会話が一向に進まない。

 正直に言うと、僕はそれほどコミュニケーション能力が高い訳ではない。

 兄や木見城君や永久子さんのように話出しを担当してくれる人たち相手であれば長くしゃべり続けることが出来る。

 ただ、由実さんはコーヒーをたまに飲むくらいでそれ以外はずっと俯いており目も合わせようとしない。僕からも先ほど「由実さん今日は来てくれてありがとう」と話しかけることはしてみたのだが、一度頷いてくれただけでそれ以外は無言で過ごしていた。

 駄目だ。

 ほとんど初対面の女子に向けて積極的に会話をしていくなんて荷が重すぎる。

 先日見た制服とは違って今日は白いワンピースをオシャレに着こなしているのも相成って緊張が走ってしまう。

 未だに僕は由実さんがどんな顔をしているのかも見ることが出来ていないほどだ。

 どうにもこうにも上手くいかない——どうしようか——

 そう思っていた時に、ようやく、救世主はやってきてくれた。

「なんて体たらくよ。愚図の極みね」

 登場早々にこんな悪態をつく意地が悪い女性は一人しかいないだろう。

 言わずもがな、永久子さんだった。

 相も変わらずサングラスをかけている。

「屈辱的な表現をされた感じがしたのは気のせいかしら」

「エスパー並みの感受性で驚きだよ」

「素直にそう言い返すあんたに驚きよ」

 全く何なのよとめんどくさそうな表情をしながら、永久子さんは持ってきたコーヒーとケーキと共に僕の隣に座った。これ以上ないほど永久子さんと近い距離になり若干緊張してしまったが、大きなため息をこれ見よがしにつく永久子さんを見て何だか安心する。

「それで。どこまで話は進んだの」

「コーヒーを一杯飲みほしたかな」

「そういうこと聞いているんじゃないわよ。え、何、あなた達、まだ何も話せてないの? いつからここに居たのよ」

「かれこれ三十分くらい前かな」

 呆気にとられた表情をした後、永久子さんはコーヒーを一口飲んで気持ちを落ち着ける。

「どういうことなのよ。まさか女子と話すことが苦手なんてことはないでしょうに」

「得意ではないよ」

「高校で女性の友達は?」

「一人も居ない」

「はぁ? そんな状態の男子が何で私と平然と喋れるの? 自分で言うのもなんだけど、私、まあまあ可愛い有名人よ?」

「初対面でのギャップが激しすぎて緊張感が吹き飛んだんだよなあ」

「口を縫い合わせるわよ」

「自分から質問してきたのに!」

 罵倒されまくることが多いのだが、やはり永久子さんとは喋りやすかった。

 会話の主導権を握ってくれるし、僕の返しにも戸惑わずすんなり返してくれるからだろう。

 純粋に永久子さんとの会話が楽しいなと思っていた。

「わ、私、やっぱり帰ります……」

 突如、目の前の由実さんがそう言い放った。

 俯きながら発せられた小さな声ではあったものの、僕と永久子さんの耳にしっかり届いてしまう。

「それで、貴女はどうするのよ」

「どうするって、何がですか」

「外灘先生が言っていた問題を解決出来そうなのかって話よ」

「……わかりません」

「当の本人がわからないんじゃ話が進まないわね」

 永久子さんは腕を組み足を組みながら由実さんにこう言っている。

 一見圧をかけている様には見えるものの、まくし立てないだけ永久子さんなりにかなり気を遣っている様子が見て取れた。

 永久子さんは首だけを動かして僕を見て、顎で由実さんの方を差した。

 最低限の動きで何をしてほしいのかわかるのが素晴らしい。

 永久子さんのパスを無駄にしてはいけないと思い、「ゴホン」と一つ咳をして、話し始める。

「まずこれだけは伝えたいんだけど、僕と由実さんは今WinWinの関係性になっていると思うんだ」

「ど、どういうことですか」

 先日の合コンで外灘先生が結構話してくれた内容だったけど、当の本人はそれどころでは無かったのだろう。

 改めて要点をまとめることにする。

「由実さんはいじめ問題を解決したい。だからこそ『選ばれし者』を利用したい」

「利用したいだなんてそんな」

「ごめん、言い方は良くなかったかもしれない。でも似たようなものだと思うし、僕はそれで良いと思う」

 由実さんは訝しげにこちらをじっと、前髪越しに見てくる。

 関係性はまだ構築できていないけれど、永久子さんのパスのおかげで僕の話に興味を持ってもらえてよかった。

「一方、僕は『選ばれし者』としての地位みたいなものがどこまでの効力を示すのか試したい。だからこそ、由実さんのいじめ問題を解決したい。ほら、由実さんと僕の悩みは違うけど、解決に至るプロセスと結果は同じなんだよ。だからこそ、僕と由実さんはWinWInだし——由実さんの話を聞いて迷惑になるということは無いんだ」

「た、確かに、そうなるんですね……」

「そうなるからこそ、何をどうするべきか話をさせてほしい」

「…………」

 由実さんはここまでの説得でかなり揺れている様だった。

 先ほどまでとは大違いの状況だ。

 永久子さんに感謝の意を伝えようとしたところ、隣でケーキを幸せそうな顔で頬張っている様子が見えた。真顔なのに幸せそうで驚いた。頬が緩み切るのを必死で抑えている感じがひしひしとする。先日のフライドポテトの時もそうだったが、割とジャンキーなものや甘いものが好きなのかもしれない。覚えておこう。

 それから十分程度——

 永久子さんは逡巡した——

 その間に僕はコーヒーをもう一杯購入し、永久子さんはケーキとコーヒーを幸せそうに完食した。永久子さんが最後の一口を入れる瞬間をはかっていたかのようなタイミングで——由実さんは口を開いた。

「あ、ありがとう、ございます。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ようやくこれでスタートラインに立てた。

 さあこれから三人で話をしていこう——と思ったその時に、永久子さんはトレイをもって立ち上がった。

「ケーキもう一つ食べたいの?」

「違うわよ。私を何だと思っているのよ」

 心底嫌そうな顔をしている。

 先ほどまでケーキを楽しんでいた人物とは思えなかった。

「帰るのよ」

「え、そんな」

「あとは二人の問題でしょう。昨日、外灘先生にもそう言われたしね」

「いや、ここで帰られると貰いっぱなしで申し訳ないというか何というか」

「……あー、そうね、彰輝君はそういう思考回路の持ち主だったわね。まだ私は貴方をみくびっていたわ」 

 永久子さんは、フッと、口の端を上げた。

 それはケーキを食べていた時とはまた種類が違う柔らかさを兼ね備えていた。

「どちらにせよ、私、これから撮影があるから行かなきゃなのよ」

「そ、そっか……」

「だから、またいつか。借りを返してちょうだい」

 約束よ——

 そう言って永久子さんは颯爽と帰っていった。

 いつ会ってもパワーに満ち溢れている人だなと思いつつ、その背中を見送る。

「……え、つ、付き合ってるんですか?」

 由実さんの方を改めて向いた途端、予想だにしていない方向からの問いかけが飛び出してきた。

 恐る恐る聞いている感があるものの結構突っ込んだ質問だ。

 案外強く言える人なのかもしれない。

「そんなことあるはずが無いよ」

「え、でも、二人はお互い『選ばれし者』で、同い年で、楽しそうに話していたじゃ、ないですか」

「僕に合わせてくれているだけだよ。あんなに可愛い有名人が僕を相手にするなんてあり得ない」

「あ、彰輝さんは、永久子さんのことをどう思っているんですか?」

「色々なことに取り組みつつしっかり結果を出している凄い人だなあと思っているよ」

「え、いや、そういう意味では……もしかして、は、はぐらかしてます?」

 もじもじしつつも由実さんは聞くべきことをしっかり聞いてくる。

 人見知りするタイプなのかもしれないけれど、一度壁を越えたらかなり親密に話してくれる人でもあるのかもしれない。元々友達は作れていたという話だったから、これから先は一対一でいけそうだという確信を持つことが出来た。

「まあ、ひとまず永久子さんには感謝の気持ちしかないということで。本題に入ろう」

「わ、私としてはそっちの方が今は本題ではあるのですが……そうですね、ありがとうございます、頑張ります」

 顔の両横辺りで拳を握って鼓舞していた。

 可愛らしい気合の入れ方だなと思いつつ、状況整理に入る。

「そもそもの話なんだけど、由実さんと僕って同級生っていう認識で合っているよね」

「はい、そうです。同じく受験生です」

「受験戦争中に色恋沙汰とかいじめ問題とか発生するのってなかなか珍しい気がするけれど」

「私の学校、そんなに偏差値高いところではないんです。卒業したら就職する人の方が多いですし、かくいう私も専門学校に入ろうと思っている程度ですし」

「そうなんだ。何の専門学校?」

「服飾系です。服を作るのが好きなんです」

「……もしかして、今日の服も?」

「そうなんです!」

 由実さんは前髪の奥の目を輝かせて一気に立ち上がった。

 どうやら触れてほしかったところらしい。

 立ったままじっとしている。

 感想が欲しそうだった——間違いなく可愛いのだが面と向かってそれを言うのがこっ恥ずかしいったら有りはしない。

 ただ、これを言うことにより関係がより密接になるのならば、言うしかないと思った。

「可愛……に、似合っているよ」

「ありがとうございます!」

 可愛いと言い切れない自分に勇者の剣をぶっ刺してやりたかったが、由実さんは満足してくれたようだった。

 相当嬉しかったのか、座った後も「彰輝さん良い人—嬉しいー」と口から洩れてしまっている。

 うん、この様子は本当に可愛かった。

 未だに顔が見えていないのが残念だけれど。

「ごめん、かなり脇道にそれちゃってたね。本題に入ろうか」

「彰輝さんとならいくらでも脇道にそれたいです」

「親密度上がり過ぎでしょう! あの沈黙の三十分は何だったのさ」

「だって、私の服、褒めてくれなかったですし……」

「あ、そこが一つのハードルだったんだね」

「女子と会ったらまず服を褒めると良いですよ。特に女性経験が圧倒的に乏しい方は容姿を褒めるのは苦手だと思うので、まずは服から挑戦してみましょう」

「誰が女性経験乏しいって?」

「え、豊富なんですか? 今まで何人と付き合ってきたんですか?」

「……0.1人!」

「も、最早それはゼロと言い切った方が潔いですよ」

 若干身を引いている感じがより切なかった。

 兄よりも女性経験が多いと思えなかった僕の回答はお気に召さなかったらしい。

「さあ、早いとこ本題に入りましょう」

 やれやれと言いたげに由実さんは話を元に戻してくれる。

 この感じをみるに、今巻き起こっているいじめ問題は本当に一時的なんだろうなと思った。スクールカーストとやらの立ち位置はそれほど下ではないのだろうか。

 それなら、外灘先生の言う通り——少しのきっかけで解決しそうだなと思った。

 その手っ取り早いきっかけに僕がなれるのならば、全力で力になりたい。

「由実さんの学校ってどこだっけ」

「何ですか急に。ストーカーですか」

「受け取り方が極端! ぼ、僕が通っている学校と近いなら僕の学校終わりに行けるかなあと思って」

「ああ、そういうことですか。鳥山(とりやま)高校です」

「そこなら電車で数駅の距離だ。あと、由実さんって部活は入っているの?」

「手芸部に入っています。一人で服を黙々と作っているので他の部員からはかなり引かれています」

「それ逆に凄いと思うけどな……」

 旅行くらいしか熱中できるものが無い僕にとっては羨ましい限りだった。

 まあそれはともかく、この学校間の距離で、由実さんが部活に入っているならば——僕が向かうべきタイミングと行う行動は決まったようなものだろう。

 その内容を由実さんに伝えたところ、「誰にでも思いつきそうな内容ですが最適だと思います!」という有りがたいお言葉をいただいた。

 僕の周りには語気が強い女性しか現れないのだろうか。

 まあ本心を出してくれていると思ったらそれはそれで嬉しいので、あまり指摘はせずに「おっけーこれでいこう!」と笑顔で言った。

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