浜辺の漂流物〜 名も知らぬ遠き街より 流れ寄る捨てロボ一つ

 雨が降っている。油絵具を乱雑に混ぜた色の海に、艶のない波の皺が寄る。みみず腫れみたいだ。


 ぼくは今日の日付を入れたメモを書く。「無事です。友だちのところに行きます」家出みたいだけど仕方ない。

 それから反射材ライン入りの黄色いカッパをきて、防水シューズをはき、バックパックを背負って。

 背筋をぴんと、胸を張る。

 ぼくを育ててくれた家に、ありがとうを。

 ぼくを助けてくれた家に、さよならを。

 みんないつかは我が家を離れ、遠い異郷へ冒険たびに出るんだ。しみったれた雨なんかに負けてたまるか。


 もう振り返らない。

 街に向かって、山道を降りてゆく。


 ぼくはいつもの斜面で立ち止まる。

 煤の色と燃えかすの赤が混じった灰の空。泥の海。見渡す限り青かったあの海はもう、ない。

 目をそらす。

 ぼくの住む街がこんな色だったなんて思い出は、どこにも持っていきたくない。記憶に残るハイザールの街は、いつだって青い空と煙だらけの騒がしい工場の街だ。


 山を降りるに従って、焦げくさいにおいが強まってくる。

 どの家もどの店も真っ黒に焼けこげている。

 ぼくの家とおんなじだ。

 大通りに出る。横倒しのバス停がぐんにゃりと曲がって、地面に土下座している。

 道路も穴だらけだ。あちこち陥没して、土がむき出しになって、泥水がいっぱいたまっている。


 ママの働く軍需工場へ向かって、道沿いに歩き始める。

 どれだけ歩いても、やっぱり誰にも会わない。他のみんなはまだ《夜間外出禁止令》を守って、シェルターに閉じこもったままなんだろうか。


 雨のなかをずんずん歩いて、歩き疲れて、道端の段差に座り込む。

 ふと気になって雨空を見上げる。もしかしたら、遥か上空で赤いホタルが音もなく点滅してやしないだろうか。なんて思うと、お腹がきゅっとすぼまる。

 いやな気分だ。大切なひとたちを探す希望に満ちた旅のはずなのに、なんだか腰も荷物も、すごく重い。


 ぼくはのろのろと立ち上がる。


 人目につかない瓦礫の裏側へ移動。

 荷物を下ろして、沸かしたばかりのお湯を詰めた水筒を開けて、ひとくち飲む。生ぬるい。

 ああ、疲れた。

 ため息をつく。こんな鉄くさいぬるま湯じゃなくて、つめたい牛乳をごくごくのみたい。

 プゥー。壁の向こうを、聞き慣れたクラクションの音が走り抜ける。


「ぶあっ」

 思わず咽せる。今の音は何?


 ぼくはすっ転びそうになりながら物陰から飛び出す。今の音。間違いない。

 スクールバスのクラクションだ!

 穴ぼこだらけの道路を、大型車のエンジン音が通り過ぎる。ガタゴト、ガタピシ、すごい音だ。

「ハイハイハイハイ! 乗ります!!」

 ぼくは騒音を追いかけて道路へ走り出る。

 遠くにバスの後ろ姿が見える。

 いや、正確にはたぶん《バスだった》もの。屋根もボディも後ろ半分が綺麗さっぱり吹っ飛んで、台車と骨組みだけになった、スカスカオープンカーの後ろ姿だ。

「おじさん!」


 ぼくは手を振り、その場で何度もジャンプ。でもスクールバスは無情にも走り去っていく。気づいた様子はない。

「おじさんったら!」

 慌てて荷物をつかんで、あとを追いかける。叫んでも声は届かない。


 無理。

 追いつけるわけないし。


 ぼくははあはあ息を切らして、膝に手を突っ張って前のめりに身体を支える。こんな大荷物をかついで走るなんて、無茶もいいところだ。息が苦しい。

 でも、ぼくはガラガラ声で咳き込みながら笑いころげる。

 今のバス、見た? 後ろ半分がないのに走ってる!


 ひとしきり笑って、残ったカラ元気を最後の一滴まで絞り出す。バスが走ってるぐらいだ。きっと、この先には誰かがいる。ママかもしれない。

 ぼくはまた歩き出す。


 やっと、元は工場だった場所が見えてくる。黒い煙と、建物の残骸。折れ曲がった鉄骨。無数に積み上がる電子ゴミと廃棄物の山が。


 誰もいない。灰とコンクリートを踏みつけた靴の裏から熱が伝わってくる。なのにやけに背筋ばかりが冷える。ぼくは身震いする。雨のせいだ。


 しばらく工場の周りを歩き回る。

 元はきれいに整備されていた埠頭も、半分ぐらい泥の海に沈んでいる。銀色と黒の廃液が流れ出しているところもある。ヘドロくさい。


 くずれた工場の影で、何かの影がふらっと揺れる。引っ込む。ぼくに気づいたんだろうか。また出てくる。

 もしかしたらママもしれない。きっとママだ。ぼくを迎えに来てくれたんだ。


 ママだ。良かった。無事だったんだ!


 ぼくは走り出す。でも。すぐに気がつく。

 違う。足が止まる。

 それらしい影は、どれも人の形に似てはいるけど、人ではないものばかりだ。

 燃え残りの工作機械だったり、溶け落ちてぶらぶらと揺れる電線の束だったり。


 やっぱり、誰もいない。


 みんな、いったいどこにいるんだろう?

 シェルターの入り口はどこだろう? おじさんの他に無事な人はいないのかな。

 さっきのスクールバスは、どこに向かったんだろう?


 うろうろしている間に、気がついたら工場の敷地を通り過ぎてしまう。

 ぼくは惰性で歩き続ける。どうしよう。行きすぎちゃった。ママを探さなきゃいけないのに。

 分かってはいるけど、でも、どうしても立ち止まって引き返す気になれない。

 どうせ黒く溶けた電線がゆらゆらしてるだけだ。がっかりしたくない。


 堤防の向こうは小さな砂浜だ。海岸沿いの遊歩道から降りられるようになっている。

 砂浜と言っても、人工的な海水浴場じゃない。工場の敷地内に作られた海浜ビオトープだ。昔の地形を再生して、いかにも自然風に、かつて住んでいたいきものたちを保護している。

 今はいきもののほとんどが絶滅危惧種だものね。要は命と自然のタイムカプセルだ。


 ずっと昔。まだぼくが一歳か二歳かだったとき。家族で遊びに来たときのビデオを見たことある。

 砂浜でボール投げをして。豪華客船に向かって手を振って。貝がらを拾って。磯だまりの魚や動物を観察して。

 浜辺の漂着物を、まるでキラキラ光る宝物みたいに大事に拾い集めた。

 色のついたびん。

 空っぽのペットボトル。

 破れた麦わら帽子。

 異国の言葉が書かれたブリキのバス。

 ヤシの実。何が入ってるのか分からない謎の箱。


 帰り道、車の中で、これぜんぶぼくの! ぜんぶおうちに持って帰るうう! って感じでわあわあ泣いてパパを困らせてたシーンも見た。せっかく楽しかったのに、帰りたくなくて。やだやだ、もっと遊ぶ、ずっと遊んでいたい、って。


 いつまでもぬるい夢に浸っていられるわけもないのに。

 夏の太陽がどんなにキラキラしてても、目がさめればただのゴミだって。気付いてしまうのがこわくて。


 今も浜辺はゴミだらけだ。

 燃えさしのビニールとか、半分溶けた発泡スチロールとか。段ボールまで打ち上げられている。半分砂に埋もれて、ぐっしょりと濡れて。

 ぼくは歩きながら、目につくゴミを拾って歩く。キリがないのは分かっているけど、見て見ぬ振りもできない。たとえここが作りもののユートピアであったとしても。


 持っていくことはできないから、一つにまとめておこう。あの段ボールにでも入れて置いとけばいいかな。


 ぼくは手にいっぱいゴミを持ったまま、段ボールに近づく。シワのよったふたが斜めに空いている。どこの誰がこんな大きなゴミを捨てたんだろう。


 中を見もせず、パッと開けて。

 ゴミを投げ込んで。

 パタンと閉める。

 気にすることはない。どうせ中身もゴミだろうし。


「キューン」

 段ボールが変な声を出す。


 ぼくはそそくさと離れる。何も聞いていない。いいね?


 背後の段ボールがぶるぶる揺れ始める。

 カタカタ跳ねる。

 ウィーンウィーン回る音も聞こえる。

 ぼくはぜんぜん気づかないふりをして、さらに足を早める。


 段ボールはカニ歩きして、通せんぼするみたいにぼくの前へ回り込み、また何くわぬ段ボールになってぶるぶるする。

 前に進めない。


 横に寄ろうとすれば、段ボールも横に寄る。

 飛び越えようとすれば、段ボールもジャンプする。

 穴を掘って埋めようとすれば、逆に逃げ回る始末。


「邪魔ァ!」

 ぼくは力いっぱい段ボールを蹴っ飛ばす。

 段ボールは横にすかっと避けて、なぜかまたころころと元の位置に戻る。ああ、ムカつく!

「ああ、もう、分かったよ。中のゴミを出せばいいんだろ。出しますよ出せばいいんでしょ」


 ゴミのポイ捨て絶対許さんぞボックスと化した段ボールを前に、ぼくは根負けしてため息をつく。

 よく見る通販サイトのマーク入り。送り状にはでっかく「返品」とある。

 こうなったら開けるしかない。変なものが入ってたらどうしよう。すでに段ボール自体がヘンなのは置いとくとして。


 ふたに手をかける。

「ぁひゃん」

「今、変な声した?」

「気のせいだ。続けたまえ」


 開封の儀。いや半分もともと開いてたけども。

 もしかしたら、中にしゃべる捨てネコが閉じ込められているのかもしれない。ひとしきり深呼吸して、オープン。


 段ボールの中には、ぼくが放り込んだゴミにまみれ、ずぶ濡れになってカタカタ震える……捨てロボがいる。

 かぼそく鳴く。


「ズッ……キュゥゥーン……バッ……キュゥーーン……」

「物騒な鳴き声だね」

「失敬。効果音ライブラリの設定を間違えた」

「しゃべれるんだ」

「みくびってもらっては困るな。これでも最新鋭の自律型トンデモチートメカなのだが?」

「でも捨てられてるよね」

「ウッ」

 どうやら傷つけちゃったみたいだ。鉄の神経にお許しを。

「ごめんなさい。いいすぎました」

「わかればよろしい」

 捨てロボは発泡スチロールとペットボトルのゴミに埋もれたままうなずく。


「悪いが再起動してくれないだろうか。今のままでは動けない。どうやらシステムセットアップ前に、何者かに拉致され箱ごと海に落とされてしまったらしい」

 箱に返品のラベルが貼ってあったことは言わないでおいてあげたほうがよさそうだ。それが大人の優しさってものだよね。

「悪いことしない?」

「君が正しく指示すれば良い。それが管理者アドミニストレータの義務だ」

 捨てロボは妙に勿体ぶった言い回しで続ける。

「同意を持って契約成立とし、以後、我が身を盾として全ての障害と外敵から君を守ろう。さあ、使用許諾契約にサインを」


 よく意味が分からない。でも、そう簡単にはだまされないぞ。なんでもホイホイって言って契約ボタンを押しちゃダメなんだ。あやしいやつにはついていかない。いかのお寿司だ。


 いかない。

 のらない。

 おおきなこえをだす。

 すぐにげる。

 しらせる。


「誰か大人のひとーーーー!! 変なロボットがここにいますーーーーー!!!!」

「誤解だ」


 捨てロボは動くカメラでぼくのIDカードを読み取る。

「エム。起動の指示を」

「いいよ。でも頼みがあるんだ」


 返品ラベルに書かれている住所は、はるか遠い知らない街。外国だ。


 いったい、どれだけの距離を旅してきたんだろう。そこはハイザールの街やママの工場みたいに、赤いホタルに壊されたりしてはいないんだろうか。

 だといいけど、でも、そんな平和なところがまだ本当に残っているのかな。世界のどこかに、まだ。


「利用規約ならいつでも読み上げてやるが? 第1条、戦闘ロボットは敵国の人間に限り危害を与えることを許されている。ただし機密事項に抵触する場合はその限りではない。第2条、戦闘ロボットは」

「規約はいいよ。それより手伝って欲しいことがあるんだ」

管理者アドミニストレータ権限によるシステムの再起動を行う。専用端末には固有の名称をつけるよう推奨する」

「ロボ先生」

「名称保存。吾輩のコードネームはロボ先生である。……は? マジか?」

「まじ」


 ぼくは握手の手を差し出す。

 例えば捨て猫や捨て犬を拾うと、最後まで責任を持ちなさいとかいうよね。捨てロボを拾うのもおんなじなんだろうか?

 でも、そういうのとは、ちょっと違う気がする。


「ぼくの友だちにエノーラっていう女の子がいてね。探しにいく途中なんだ。だからロボ先生も一緒に行ってくれる?」


 捨てロボ先生は、緑のLEDランプをぱちぱちさせる。

「製造番号が分かればすぐに検索可能だが」

「家電じゃないってば。友だち」

「友だちとはなんだ? 僚機か? バトルバディか?」


 もしかしたら、捨てロボ先生もクイズ好きなのかもしれない。質問。友達とはいったい何でしょう? なんだかわくわくする。ぼくとすごく気が合いそうだ。


 肝心のクイズの正解だけれど。

 正直、ぼくにもよく分からない。友だちは友だちで、あらためて別の言葉に言い換えるものじゃあない気がする。

 でも、たぶん、その答えは。


 一緒に探せばきっと見つかると思うんだ。

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