2「Playverse」

 発砲した犯人に立ち向かう男女のカップルに、少年は遠目ながらもただ

「凄い……」

と感心するばかりだった。ゲームで見たようなアクションが、リアルで起きている。

「何者なんだ……」

と少女は言う。隣の少年はすかさず

「アクションヒーロー?」

と答える。

 ……何回か、動画投稿サイトに無断でアップロードされていた動画を見た。テロや通り魔に屈すること無く、人間離れしたようなアクションで仕留めるシルバーヘアの少年が、あの彼なのか。

 もしそうなら、あの事件も或いは……。

「誰がアクションヒーローなの?」

後ろから声がした。2人がその主に振り返る。

 ライトブラウンのセミロングヘアをローポニーテールにした淑女は、ダークグレーのスーツを着こなしている。

「義姉さん……」

とアスミックが呼び、カシューも

「亜沙さん」

と続く。亜沙と呼ばれた彼女は

「今何が起きてるの?」

と問う。今この会場に着いたらしく、何が何だか何も知らない。

 2人の説明を受けた後で、手帳に何か書いた亜沙は

「……私から話してみようかしら」

と言い、靴音を鳴らした。


 取調が終わった。会場は、先刻の事件を受けて今日の残りイベントはキャンセルになった。

 結奈と彩花は別の場所に行くからと別れた。その背中を見送りながら、流雫と澪はこのまま何事も無ければいいが……と思いながら、パンケーキ屋に行こうと思った。

 ただ、澪のために焼いてきたガレットロールも未だだ。先にこの辺りでガレットを平らげ、それから向かうのも悪くない……そう思った流雫は、1本を澪に渡す。

 流雫が2歳から小学校に上がるまでの数年間を過ごした、レンヌを中心とするブルターニュ地方の郷土料理、ガレット。簡単に言えば、蕎麦粉のクレープ。

 蕎麦粉の香りが漂う生地に、持ち運び用に固く焼いたスクランブルエッグとハムだけのコンプレットがシンプルで定番なのだが、これが人気。あのペンションに泊まらなくてもこの味を堪能できるのは、恋人ならではの特権だ。

 ペットボトル入りの紅茶を喉に流し、一息つく2人に1人近付いてくる。

「こんにちは」

その声に軽く頭を下げる流雫と澪、しかし揃って会った記憶が無い。

 亜沙はバッグから名刺を取り出し、

「私、東京メディアネットワークの記者、篭川亜沙かごがわあすなと言うの」

と言って2人に渡す。

 東京メディアネットワーク。主に各種ニュースサイトやアプリを展開している中堅メディア企業。最近はeスポーツやメタバースのニュース配信に力を入れている。

 その記者、篭川亜沙。社会人2年目。都内の私立大学を卒業したと同時に入社し、この春からはメタバース関連の担当記者として配属された。

「じつは、2人に会いたいと言ってる人がいて……」

そう話を切り出した彼女の背後から男女2人が近寄ってくる。見るからに、自分と同世代なのか。

 「……先刻の、凄かったよ……」

と言ったのは少年の方だった。黒いショートヘアに黄色の瞳で、流雫と同じく中性的な印象を受ける。その隣にいるライトブラウンのミディアムヘアの少女は

「銃を持った犯人を取り押さえるなんて」

と感心している。

 この2人は、男女カップルにとって見覚えが有った。

「先刻の……」

と、澪は声を上げる。確か、エキシビジョンに出ていた……。

「ボクたちの対戦、見てたんだ?」

そう問う少女は、ボーイッシュと云うよりは完全に男勝り……澪にはそう見えた。

 「僕はカシュー」

と名乗る少年に、隣の少女も

「ボクはアスミック」

と続いた。

 「……僕は流雫」

「あたしは澪……です……」

と言った男女に、亜沙は言った。

「……今此処で起きたことについて、色々教えてほしくて。取材と云うほどのものでもないけど」

 突然のことだったが、何かワケ有りそうに見えた2人は頷いた。


 流雫と澪にとっての目的だったパンケーキ屋に入った5人は、窓側のテーブル席に通された。店内は混雑していて、全員分焼き上がるのに30分近く掛かるらしい。ただ、その分長居できる。

「……盗撮になるのかな。でも見たよ、2人が渋谷で……テロと戦ってる動画」

と、カシューと名乗っていた少年は言う。コーヒーを啜りながら

「……え?」

と訝る流雫に、カシューは

「……あの動きができるの、凄いな……」

と続けた。

 「あれは……戦わないと生きられないだけだから……」

と流雫は言葉を返す。謙遜ではなく、それが現実だった。褒められているのだろうが、いい気はしない。

 「ところで、あたしと流雫を誘った理由……」

と澪は話題を変える。早く本題に入りたい。

「……先刻の事件のこと、ですか?」

「……私は警察じゃないけど、或る件を追ってるの。それで、それとの関連性を知りたいの」

「……或る件……?」

と言った澪に、亜沙は言った。

「ネクステージオンライン、データ消失事件よ」


 国内第2位のVRMMO、ネクステージオンラインが突如サービスを終了したのは1週間前のこと。22時を数秒過ぎた頃に突然アクセス不可になり、その1時間後にサービスを展開する東京のゲームチェンジャー社から出されたリリースは、予期せぬトラブルによる休止だった。だが、その60時間後に緊急会見が配信され、サービスの終了が発表された。

 理由は、900万人を超える全ユーザーのアバターやアイテムだけでなく、課金情報を含む個人情報まで完全消失したことだった。データ復旧も不可能。そして、その原因はゼウスと名付けられたAIの暴走だった。

 ステージの構築から自己診断によるメンテナンスやバグフィクスまでをAI自身に実施させる。それによって、需要過多から給与相場の高騰が続くエンジニアを極限まで減らし、低コストで高効率のメタバースゲーム運用を実現させた。

 経済誌でも大きく取り上げられ、経営者がこの日東京ジャンボメッセで開幕するメタバースエキスポでの、基調講演のトップバッターを務める予定だった。だが、VRMMOを皮切りにVRメタバースの覇権を狙う壮大な青写真を、野心に満ちた目で意気揚々と語っていたハズの時間、顧客への対応を中心とする釈明に追われていた。


 「父も、今その事件を追ってる……。尤も、サイバー犯罪は専門外と言って頭を抱えてるけど」

と澪は言った。

 テロ専門の捜査課、通称エムレイド。トーキョーアタックを機に編成されたテロ捜査班が前身。だが、サイバーテロの類は本来無関係だ。それでも、被害規模があまりにも大きく、サイバー犯罪捜査課と連携して事件の全容を追っている。

 そして朝、アルスが言っていた日本が大変なことになっていると云う話題も、この件を指していた。

 「でも、VRMMOのデータ消失とVRイベントでの発砲事件……関連性は無い気が……」

そう言った流雫に、亜沙は言葉を被せた。

「……今日のイベントはプログレッシブが主体、つまりプレイバースのプロモーションの意味合いが強いの。そして今日、この2人が戦っていたeスポーツもプログレッシブがリリースしたもの。バイト・ザ・バレット……略してBTBよ」


 BTB。プレイバース専用のFPS。同名のPC、スマートフォン用アプリも有るが、プレイ方法が特殊なため、アカウントこそ相互的に使えるが、プレイ中のプラットフォームがVRか否かで対戦用サーバが振り分けられる。

 プレイバース本体に取り付けられたカメラで周囲の風景を撮影することで、あたかも今立っている場所で本当に戦っているかのような臨場感を得られる。当然、仮想空間ならではの独特なフィールドでも戦える。先刻カシューとアスミックが対戦していフィールドは、前者の機能を使ったものだ。

 1対1から最大16人のバトルロイヤルまで可能で、リリース以来着実にプレイヤー人口を伸ばしている。このゲームにも、AIが搭載されている。

「そのプログレッシブも、VRMMOを展開してる。ファンタジスタクラウド。聞いたことは?」

とカシューが問う。流雫は初耳だが、澪は結奈と彩花が時々話題に出しているのを聞いたことが有る。ただ、その程度だ。

 「僕は初耳……」

「名前だけは……」

と答えた2人に亜沙は

「……それぞれカスタマイズこそされてあるけど、種となったAIシステムは同じ。だからファンタジスタもBTBも、ネクステージとは無関係とは言えないわ」

と言った。流雫はすかさず言葉を被せる。

「……もし、あの発砲の引き金がAIの仕業だとするなら……一体何が起きてる……?」

「……AIの叛乱……?」

と澪は続いた。

 ……コンピュータの叛乱。SFではよく使われるネタの一種で、流雫もそのテの映画をパリ行の飛行機内で観たことが有る。だが、実際そう云うことが有り得るのか。

 人間が入力したコマンドを出力するだけだった従前のコンピュータと違い、最新のAIはスタートさえ人間がコマンドを入れてやれば、後は自分で再入力も出力もできる。しかも、使用すればするほど精度も上がる。

 とあるAIは、既に人間の想像を超えた知能を持っている、と言ったところで驚きはしない。事実は小説より奇なり、と云う言事が日本には有る。

「AIが叛乱を起こして……日本を乗っ取るのを止めようと……?」

と澪は恐る恐る言った。

 「まさか」

と亜沙は返す。

「何時かそうなったって不思議じゃないけど。今は、同じようなことがBTBやファンタジスタに起きないか……。それが懸念材料ね」

 ……VRMMOのデータ消失、VRゲームを引き金とした発砲事件。この2つの関連は、同じAIを搭載していること。だが、それだけの話。

 ……前者は忘れて、後者だけに目を向けようとする流雫。遭遇し、犯人と戦った当事者ではあるからだ。

 「……AIが、VRデバイスを介して……人間を乗っ取る……?」

流雫の呟きに、最初に反応したのはカシューだった。声こそ出さないが、目付きが少し鋭くなる。

「効果の有無は微妙だけど、サブリミナル効果か何かで……」

と続けた恋人に

「潜在意識に働き掛ける、アレ?」

と澪は問う。シルバーヘアの少年は頷き、

「AIを使って洗脳すれば、人を狂気に追いやるなんて簡単だから。具体的な方法までは……判らないけど」

と答えた。

 ただそれも、誰かがそのきっかけを用意する必要が有る。恐らく、エンジニアに掛かれば朝飯前のことだろうが、しかし一体何のために……。

 賑やかな店内の片隅だけ、別世界のように静寂に包まれる。その重いムードを吹き飛ばしたのは、漸く運ばれてきたパンケーキだった。日本人らしくない見た目の少年とその恋人は、どうにか今日のデートの目的を果たした。

 だが、それがただの束の間の休息でしかないことに、2人は気付いていなかった。


 店を出た5人は、秋葉原駅へ戻る。

 イベントは打ち切られたが、カシューとアスミック、そして亜沙は関係者。そのツテで、部外者の流雫と澪も特別に閉鎖されたブースに立ち入ることができた。

 ……目の前に置かれたのは、先刻犯人が触っていたVRデバイス。

「……これ……」

と言って、流雫は固まる。以前、秋葉原の体験会でVR酔いを起こしたものと同じだったからだ。それも1分も保たなかった。

 「……流雫」

と呼んだ澪だけは、その理由を判っていた。

「気になるなら、遊んでみる?」

とアスミックが誘う。流雫は

「僕はいいよ」

とだけ答えたが、カシューが

「面白いよ?」

と追い打ちを掛ける。

「面白いとしても、僕はしない」

と拒否する流雫。それは最早、拒絶と云った方が正しい。それでも、カシューは引き下がらない。

 「チュートリアルだけでいいから。プレイスタート、しよ?」

プレイスタート。プレイバースを始めると云う意味のキャッチフレーズ。……諦めるしか無いのか。ただ、一度だけでも人がプレイするのを見れば、満足するだろう。

「……一度だけ。それで気が済むのなら」

気が済む、そう棘を含んだ言葉で返した流雫。明るさを見せるカシューとは対照的なその眼差しは、テロの脅威に怯えながら、必死に立ち上がろうとする何時かのそれだった。


 頭から引き剥がすようにデバイスを外した流雫は、隣の椅子に座る。どう見ても薄着だし、元々汗かきではない。そして11月。しかし、今は汗だくだ。

「チュートリアルでリタイアは初めてだよ……」

と、目の前のモニターにキャストされていた映像を見ながら、カシューは言う。

 ゲストとしてログインした後、基本的な操作方法のレクチャーが行われる。一通り動きを試し、実際にアイテムを取得して2人の敵を倒す。だが、1人も倒すことはできず、逆にキルされて終わった。チュートリアルで勝てないのは、余程ゲームが苦手なのか。

 動きがぎこちないのは、コントローラーのそれぞれの役割が何も頭に入っていないからだ。基本的な操作自体に戸惑っているうちに、手に入れたウェポンをセットすることすらできなかった。

 ただ本来、流雫は一度触っただけで覚えられるほど。汗だくなのも含めて、つまりは……プレイしたのがFPSなのが原因だった。

 「……流雫」

そう言って、澪は流雫のプレイ中に自販機で手に入れたサイダーを恋人に渡す。

「サンキュ、澪……」

とだけ言って、喉に一気に流す少年。その表情は、苦行から解放された安堵に満ちている。

「やっぱり僕には、ゲームなんて合わないんだ」

と言いながら、安堵の表情を浮かべる流雫。

 ……ゲームなんて、人生で数分もしたことが無い。しかもこれが二度目。そして何より、FPSが生理的に受け付けない。ただ、これで二度としなくて済む……。

「最初は難しいけど、練習すれば誰でも勝てるようになるさ」

とアスミックは言った。

「……あたしもしてみるわ、折角だし」

と澪は言う。

 前回、澪はプレイしなかった。だから、ハマる気は無いが、触るだけなら悪くないだろうと思っていた。それに、今は流雫の話題から逸らさせたかった。


 デバイスをヘルメットのように被り、視界に外の景色が入らないように調整し、そしてデバイスのスイッチを入れる。自動的に視界のキャリブレーションが終わる。卵形のようなコントローラーを握ると、今度はコントローラーのジャイロのキャリブレーションになり、それが終わるとチュートリアルに入った。

 左右のスティックで視点移動とキャラの移動、ジャンプやアクション、照準を合わせるエイムとウェポンの切り替えを6つのボタンで行い、トリガーボタンでシュートする。

 ゲームの流れは、決められたフィールド内でウェポンを取得し、敵を撃つ。ヘッドショットは即終了、それ以外はAIによる判定でダメージが決まり、体力がゼロになった時点でキル判定が入り、脱落する。

 最終的に生き残ったプレイヤーが勝つと云うバトルロイヤル形式だ。だが、VR版のみプレイヤー数によって制限時間を設けられ、最長で10分。その場合は体力、命中率などの数値を総合してAIがジャッジする。

 チュートリアルは2人のNPC……CPUが制御するキャラクターを相手に勝つこと。ステージは今いる場所……秋葉原駅前。

「……なるほどね……」

と澪は呟いた。

 フィールドが定められ、敵が現れる。そして、3秒のカウントダウンがゼロになると、澪は周囲を見回し、近くに有るウェポンのアイコンに触れる。マシンガンだ。残弾の設定こそ有るが、エイムの必要が無い。それでも澪は慎重に動き、そしてトリガーを引く。難なく1人目を倒すと、残る1人にも銃を向ける。そして一気にトリガーを引いた。

 マシンガンでヘッドショット。……ちょうど60秒。

「早っ……!」

思わず声を上げたアスミックは、デバイスを外したボブカットの少女に近寄る。

 その様子を見ながら、流雫はただ感心するばかりだった。初めてのプレイなのに、動きに無駄が無いのは、恐らく動きの勝手が大きく異なるとは云え、銃を手に戦った経験則が生きているからか。

 「流石は澪……」

と呟いた流雫に、カシューは

「流雫くんだって、そのうち……」

と言う。ただ彼のフォローしたいだけだった。しかし、それが逆効果だった。流雫は

「……どうして、僕にゲームをさせたがる?」

と問う。その声色に、不穏な気配を感じた澪は

「流雫」

と、恋人の名を呼び、隣に寄った。

 「……チュートリアルさえクリアできなかったんだ」

と言った少年に、亜沙は

「人には向き不向きが有るから、苦手だったりするのも判るわ。ただ、流雫くんには根本的な問題が有るわ」

と言い、続けた。

「……FPSそのものに、拒絶反応が出てる」

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