3「Method For Borderless」

 「……え?」

亜沙の言葉に、予想外の反応を示したのは澪だった。

「……多分、他のVRコンテンツなら普通にゲームできると思う。例えば自転車やスノーボードのスポーツ系なら。逆にモバイルデバイスでも、FPSだとダメだと思うの」

 ……図星だった。鐘釣夫妻はゲームを制限していたワケではないが、流雫が自らゲーム機を求めることは無かったし、スマートフォンにゲームアプリをインストールすることすら無かった。ゲームで遊ぶことよりも、ペンションの手伝いに没頭する方が性に合っていたからだ。親戚との関係はよいが、それでも両親と1万キロ離れて暮らす現実と共存するには、ゲームより身体を動かす方が都合がよかった。

 それ故にゲームの才能に関しては未知数ながら、例えばロススタなら最初から澪以上のプレイヤーになるかもしれない。

 ただ、如何せん目の前のコンテンツはFPSだ。

「……人を撃つことはゲームじゃない……」

と流雫は言い、唇を噛む。

 ……テロと戦う中で、犯人に対する正当防衛のためとは云え、人に向かって銃を撃ってきた。正当防衛のためだから仕方ない、そう何度自分に言い聞かせても、後味の悪さだけが残っている。だから、撃つことは最終手段でしかない。デスゲーム感覚で見られているのなら、余計に撃つワケにはいかない……最早プライドの領域だった。

 所詮単なるゲームでしかないと判っていても、人を撃つことを娯楽として見ている感覚が拭えない……だから流雫は拒絶していた。一度だけはやると言ったのも、その場を手っ取り早く遣り過ごすために最大限譲歩しただけのことだ。

 普通に使われるのとは正反対の意味で、流雫はリアルとゲームの区別ができない。以前一度だけプレイした時もそうだった。

「……どうして、そのことを……」

と澪は問う。亜沙は答えた。

 「手の動きよ。確かに手元が見えないから、最初はぎこちないのは誰でも同じ。だけど、流雫くんの場合はそれ以上に……手が反応していなかった」

「ウェポンこそゲットはしたものの、相手に向けなかった。エイムや切り替えに手間取っていたのも有るけど、やはり敵に向けることを躊躇しているようだったわ。手探りでボタンを押してみる様子も無かったし」

その言葉に、アスミックは目を丸くしていた。

 亜沙は大学時代、ディードールと云うハンドルネームでFPSで活躍していた元eスポーツプレイヤー。今のメディア企業に就職したのも、元々スポンサー契約の関係が有ったからだ。

 ダンシングの頭文字とドールを組み合わせた名前、つまりは踊り子のように軽やかな動きで魅せる戦い方が特徴的。だが、プレイヤー自身の挙動から問題点を見つけ出すことができるとは、義妹は思っていなかった。

 「でも、これは単なるゲームだよ。キルしたって、実際に殺すワケじゃない」

と言ったカシューに、流雫は何も答えない。それぐらい判ってはいる。ただ、ふと蘇る。撃った反動、音、それらが全て鮮明に。今でも、全て思い出せる。

 「……僕は、澪のプレイを見てるだけで十分だよ」

とだけ、苦し紛れの微笑混じりに言った流雫の隣にいる澪は、最愛の少年が気懸かりだった。

 ……流雫が他人のプレイなら見ていられるのは、映画と同列のコンテンツとして捉えられるから。だから澪のプレイは別に問題無い。しかし、自分がプレイするとなると話は別だった。

 銃を使ったデスゲームを見られている感覚が拭えない。殺すことを期待されているそれは、生き延びるために銃を握り、テロと戦わざるを得なかった過去をバカにされているように思える。

 そしてそれは、かつての恋人、欅平美桜の死さえもバカにされている気がした。彼女が命を落としたトーキョーアタックが、流雫に銃を持たせることになったからだ。ただ生き延びたいだけなのに。

 「……それより、僕も気になることが有るんだ」

と流雫は言い、パーカーのポケットに隠したスマートフォンに一度だけ触れた。

 ……今はとにかく、話題を変えたかった。それと同時に亜沙が

「アスミック、もし練習するなら付き合うわよ?」

と誘い、彼女がそれに乗っかる。……自分がいない方が話が進みやすいことを知っていたかのように。


 先刻の犯人が座っていた席に置かれたVRデバイス。それにスマートフォンのカメラを向けた流雫は、話を切り出した。

 「……先刻、カシューが」

「……普通の場は夏樹でいいよ。香椎夏樹かしいなつき

と夏樹は話を遮る。本名を略すとカシナツ、それがカシューナッツっぽいと云う理由で、カシューと名付けた。

「……AIが人間を乗っ取る。そう言った時、夏樹くんの目付きが変わった……」

「……AIを使って洗脳、何処ぞのアニメや映画のようだけど、有り得ない話じゃない」

と夏樹は続く。だが、それは先刻のような明るさを潜めている。

「AIの特徴、ディープラーニングが進めばやがて、そう云うことすら起き得る。対話型AIが、悪意を持った人間が覚えさせた言葉を使って、Fワードを出力して問題になった事件も有ったようにね」

「ただ、スマートフォンなんかで洗脳するとしても、不気味な映像を見せたり囁くような音声を流したり、そうして潜在意識に植え付けるぐらいじゃ?それでも効果は有るけど」

そう言葉を被せた流雫に、夏樹は

「そうだね。ただ、VRが有ればもっと簡単になる」

と被せ返し、一度目の前のコーラを飲んで続ける。

 「インターネットの初期から時々フィクションの題材になってきた、バーチャルワールドへのフルダイブ。それが、世界中のメタバースイノベーターが目指す、リアルとバーチャルのボーダレス化の最終形態。でも実現は当面先。技術的な問題が大き過ぎる。意識のダイブとライズ、その繰返しだからね」

「脳に対する負担や、デジタル化した意識のクラスタに異常が起きた時のリカバリーも、大きな問題になる」

ダイブとライズ、情報の海よろしくダイビングに擬えた言葉だが、簡単に言えばアップロードとダウンロードか。

「もしリカバリーできなければ……意識障害、最悪は脳死……」

と言った流雫に、夏樹は

「当然、予期せぬサービス側のトラブルも有るからね。ディザスタリカバリの結果、意識を正しくライズさせられるか、後遺症が残らないか、と云う問題も有る」

と言った。

 話を聞いていた刑事の娘も、何となく問題は判っているが、それとは別の問題も有る。澪は思わず口にする。

「それに、恐らく倫理面で黙っていない人たちもいるわ……」

それが誰のことを指しているのか、一瞬で察した流雫はそれに続く。もしかすると、アルスのことか。

「意識を肉体から切り離すことは死、その逆は生。そう捉える連中もいる。もし実現すれば、それは神から与えられた命や、教団の教えそのものへの叛逆にもつながりかねない……」

「生と死のポータビリティ……みたいな?」

と夏樹が問う。……簡単に説明すれば、半分正解なのだろうか。

 「ただ、そうしなくても、ボーダレス化はもっと簡単に実現できる。……どうすればいいと思う?」

と問うた少年に、流雫は数秒置いて答えた。

「意識をアップロードできないなら、異世界の感覚情報をダウンロードするだけ……。視覚と聴覚以外の、今までのテクノロジーでは再現できなかった情報を」

「……どうやって?」

「……脳に直接、電気信号を送って、強制的に刺激を与えて反応させる」

「……?」

最愛の少年の言葉に、澪は首を傾げる。脳に電気信号……?

 「今見えている景色、聞こえてくる音、触ったものの感触……全ては電気信号でしかないんだ。感覚器官からの、刺激と云う電気信号。脳がそれらを処理するから、こうして見たり聞いたり触ったりが普通にできる」

「だから、仮に外部から電気信号を脳に直接送って、視覚と聴覚以外の刺激を与えれば、バーチャル上の物体に触れたり、臭いや味を感じたりできる……」

と言ったシルバーヘアの少年に、夏樹は唖然としながら問う。

「……生体工学とかメタバースの権威でも目指してるの?」

「僕が得意なのは、フランス語だけだよ」

と流雫は答えた。

 以前、レンヌの学校で生物学を学んでいるアルスと話している時に勧められ、興味本位で見ることにした海外のドキュメント動画のテーマが、脳と身体のメカニズムだった。英語のナレーションのまま見た、その時の知識だけを頼りに、自分なりに思いつくままを答えただけだ。

 しかし、恋人の澪でさえ、時々彼の引き出しが判らなくなる。最愛の少年、宇奈月流雫を一言で表せば、戦いの時はラディカル、それ以外の時はミステリアス……それが最も適切だった。

 「夏樹、帰ろう。明日のこと、話したいし」

と口を挟むアスミック。義姉との練習は終わったが、一勝もできなかった。社会人故にプレイ時間が短いハズだが、やはりゲーマーとしての血が騒ぐのか。しかし、だからこそディードールこと亜沙が最大の憧れだった。

「いいよ、明澄」

と夏樹は返す。扇沢明澄おうぎさわあすみ、それがアスミックの本名だ。別にプレイヤー同士の関係でしかないのだが、呼び捨ては明澄から求めた。女として変に見られている気がするから、さん付けを好まない性格だ。

 「……あ、これ……僕のメッセンジャーアカウント。流雫くん……僕の力になってほしい。君が必要なんだ」

とだけ言って、夏樹はネームカードを手渡した。黒に黄の差し色、それがカシューとしてのイメージカラーだ。

「じゃあ、また」

と言って明澄の隣に並び、背を向ける。その明澄は、最後まで流雫と顔を合わせようとはしなかった。ゲームに関わらない奴など、どうでもいい……と云った感覚か。

 「……今話してたの、ボーダレスの話でしょ?」

と、残った亜沙は2人の高校生に問う。

「え、ええ……」

と澪が先に答える。ローポニーテールの記者はそれに続いた。

「……その件、私からも話が有るの。……また、付き合ってほしいんだけど、時間は……?」

時間は有る。それに、先刻の流れから相当重要な話だと容易に想像できる。首を縦に振らない理由が無い。


 秋葉原から同じ列車に乗る、同い年の夏樹と明澄。半年以上前にBTBで知り合い、今は仲がよいライバル同士。

 夏樹は元々福岡で生まれたが、中学生の頃に東京に移り住んだ。家族の転勤が理由だったが、それは後にゲーマーとして大会に出場するのに好都合だった。VRゲームを軸に、SNSも含めた今の人間関係が成り立っている……そう云うタイプの少年だ。

 一方の明澄は、スポーツに興味が有るものの元々呼吸器系が弱いと云う問題を抱えていた。しかし、同じスポーツと名が付くeスポーツに出会い、今までスポーツで楽しめなかった分を取り返そうとしている。ただ、まさかVRゲームの学生部門で全国トップクラスの位置にいることになるとは、彼女自身思っていなかった。

「何か、気に食わないな」

「流雫くんのこと?」

と問うた夏樹に、明澄は

「ああ」

と頷く。

「あれほどゲームを拒絶したがるのは初めて見た」

 「銃を撃ったことが有るからと云っても、ゲームとリアルは違う。キルされても、ランクこそ変動するけど、リアルで死ぬことは無い。なのに、何が怖いんだろう?」

と夏樹は言った。2人揃って銃は持っていない。それが感覚の違いだろうか。

「さあ?でも澪って子は、才能が有る」

「そのうち、亜沙さんに勝てたりして」

「義姉さんに勝てれば大したもんだよ。ボクでさえ歯が立たないんだし」

と言った明澄は

「それより、明日のイベントってボクたちはどうすればいいんだっけ?」

と問う。

 ……先刻、夏樹は流雫にネームカードを差し出した。もしかすると、今後も2人と会うことは有るだろう。流雫は別として、澪とは対戦もできるだろうか。それが少しだけ楽しみではある。

 何より今は、あのどうしようもない少年のことから離れたい。そう思った明澄は、話題を変えたかった。


 「ボーダレス化の話、夏樹くんから聞いたわね?それならば話が早いわ」

と亜沙は切り出す。先刻とは別のカフェに入った3人は、またも最も端のテーブル席を選んだ。ただ、この方が今からの話にとっては好都合だった。

 「……その切り札になるのが、Rセンサーと呼ばれるオプションなの」

と言い、記者は業務用スマートフォンのアルバムを開いて見せる。小さな白いセンサーが2つ、机の上に転がっている写真が2人の目に入る。一瞥すると、2枚重ねの薄いシートのように見える。

「……これがRセンサー。リアクションセンサーの略と言われてるわ。未だプロトタイプだけど、これが脳に電気信号を送るシステムの正体よ」

と続けた亜沙の顔を見つめる流雫と澪は、話についていこうと必死になっている。

 記者も、向かい側に座るシルバーヘアの少年のスマートフォンでボイスレコーダーアプリが動いていることに気付いている。恐らく、先刻の夏樹との会話でも、同じことをしただろう。

 何が目的かは知らないが、油断できない少年だ。尤も、隣に座る少女は刑事の娘だけに、悪用することは無いだろうが。


 元々は、オンライントリップの進化を目的とする、福祉の一環として研究開発された。病気や怪我で自宅や病院から出られない人の、何処かに旅行したい願いを肉体的な制限に縛られず、実現させるための装置として。

 プレイバース専用で、大雑把に言えば強引に感電させるものだと思えば早い。デバイス上部に取り付けて使用する。デバイスとセンサーの接点端子同士が接触することで給電され動作する仕組みだ。

 予め、対象のオブジェクトデータに特定の刺激に相当する周波数と電力のデータをプログラミングする。トリガーは、オブジェクトとの接触判定。

 トリガーが作動してセンサーに通電されると、人体に絶えず走り続ける電気信号をインターセプトしてオブジェクトデータのそれが脳に送られ、本来有りもしないハズの感覚を生み出す。

 これまでは、ただ現地からの生配信を見ながら、時には宅配便で送られてくる名産品を堪能するしかなかった。しかし、Rセンサーを使えば実際の空腹を満たすことは流石にできないが、名産品の臭いや味も知れるし、工芸品の触感も感じられる。当然、パスポートすら不要だから、海外だって思いのまま。

 そのバーチャルトリップのために開発されたRセンサーは、今はプロトタイプの実験段階。これからブラッシュアップを繰り返し、やがて大々的に発表され、市場に鳴り物入りで投入されるだろう。

 あわよくば、他社が追随する前にボーダレス化のデファクトスタンダードとして、Rセンサーとメーカーの名をその座に君臨させたい。その名は、フューチャーテックウィナーズ、略称FTW。

 3年前、プログレッシブ日本法人の執行役員が、精鋭揃いだったメタバース部門の中国人エンジニア7人を連れてスピンアウトして設立した、メタバース関連企業。本社は東京で、支社は福岡と中国の深圳の2箇所。VRMMOのソフトウェア開発や開発支援を専門とする。 


 「……そのセンサー、確か先刻のデバイスに着いてたような……」

と流雫は言い、ボイスレコーダーの上からアルバムを開き、プレイバースの写真を見せる。確かに、亜沙が見せた写真と同じものが本体上部に取り付けられていた。

「っ!?」

亜沙は目を見開き、絶句した。Rセンサーの実験はFTWの社内で行われ、センサー自体が社外に出たことはそれまで無かったからだ。

「何故……あの場所に……」

と声を絞り出した亜沙の動揺も尤もだった。その様子に、澪は

「……流雫……」

と最愛の少年の名を呼ぶ。……今までの話から、何が起きているのか、2人には想像がつく。

 ……実験段階故に門外不出だったハズのRセンサーが、何故か秋葉原のイベントでとあるプレイバースに取り付けられていた。そのデバイスで遊んでいたプレイヤーが突如発狂し、発砲した。

 電気信号で脳に刺激を与え、視覚と聴覚以外の感覚を無理矢理引き起こさせるメカニズム。言い換えれば、人間の脳をコントロールしていることになる。VRメタバースが、デバイスを介して人間をコントロールする……AIの働きには言及していないが、先刻流雫が呟いたことが少なからず当たっていた。

 ……それが人間の意識を改変させ、発狂へのトリガーになったとするなら……。

「それが、全て真実だとするなら……、……Rセンサーは新時代の凶器、兵器にすら成り得る……」

そう澪は口にした。

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