第5話 尽くしたい彼女と戸惑う俺

 それから花江りこは俺の鞄を持ってくれて、いろんな面で俺をサポートしてくれた。

 たとえばエレベーターのボタンを押したり、鞄から鍵を取り出したり、扉を開けたり。

 正直本当に助かった。

 普段の日常では難なくこなしている行動も、熱があって気怠い体にはすごく堪えるのだ。


 しかも俺は自分が思ってる以上に、ふらふらしていて、もたれかかって立ってるだけならなんとかなるんだけど、花江りこが支えてくれなければまともに歩けないような状態だった。

 だけど、それが尚更俺の熱を上げたのは言うまでもない……。


「あれ? 新山くん、もっと体重かけていいよ……?」

「だ、だけど」

「よいしょ……。はい、こうやって私の肩に掴まってね……?」

「……っ」


 花江りこが俺の両手を取って、自分の肩にしっかり回させる。

 こんなのもうほとんど抱きしめてるのと変わらない。


 やめろ、意識するな俺。

 善意で触れてくれている彼女に失礼すぎるぞ……。

 必死に自分を叱りつけて、なんとか気をそらそうとする。

 でも彼女の髪から薫るシャンプーの香りや、触れられたときの柔らかい感触が、なけなしの理性をあざ笑ってくるのだ。


「……ね、新山くん……。この体勢、ちょっぴり照れくさいね……?」


 そういうこと言っちゃダメだって……。

 余計意識するから……!


 ◇◇◇


 花江りこに助けられながら、リビングのソファーまで移動した後。

 彼女は家事まで引き受けてくれると言い出した。


「冷蔵庫に食材はある?」

「……いつもコンビニ弁当で済ませてるんだ」

「えっ。毎日?」

「恥ずかしながら……」

「キッチン道具はある?」

「一応、親が使ってたのが」

「じゃあ私、ささっと買い出し行ってくるよ」

「えっ……。いや、それはほんとに悪すぎるよ……」

「私ごはん作るの好きだから、気にしないで」

「でも外すごい寒いし、雪だし」

「寒いのも好きだから大丈夫。――それに今日、教室で澤くんたちとお鍋が食べたいって話してたでしょ?」

「……!」


 澤、いつも声がでかいんだよ……。


「好きなお鍋の味ある?」

「……し、塩とか。あっ、でも、鍋なら基本なんでもいけるから……」

「ふふ、でも今日は塩味にしよっかな。お風呂はどうする? やめといたほうがいいかな」


 熱でふらついている時に風呂に入るのはあまりよくないと思うが、昇降口で転んでパンツの中までずぶ濡れになった身としては、さすがに着替えるだけでは済ませたくない。

 幸い点滴の効果も出てきていて、体調不良ピークの時のように熱に浮かされているような感覚はしなくなった。

 少し休んだあとなら、風呂ぐらいなんとかなるだろう。


「転んで汚れたから、サッと入っちゃうよ」

「ほんと? 大丈夫……?」


 点滴の効果について伝えると、花江りこは心配そうにしながらも納得してくれた。


「それじゃあまずお風呂の支度をしちゃうね」

「しまった。それが風呂はもうずっとバスタブを洗ってなくて。だからシャワーだけで――」

「お掃除道具はある?」

「それも母さんが置いて行ったのだったら、そのまま残ってるはずだけど……」

「じゃあ、それ借りちゃうね。新山くんはくつろいでてね。ベッドで横になってるほうが楽? それともソファーに座ってるほうがいいのかな」


 花江りこに家事を任せて、自分だけ寝室で寝ているわけにはいかない。

 そう思ってリビングにいると答えた。

 すると花江りこは、俺が楽な体制で横になれるようにソファーの上にクッションを重ねて、寝場所を整えてくれた。


「お風呂とごはんの支度ができるまで、ここで休んでいて」

「俺も何か手伝――」

「だめだよー。新山くんは病人なんだから。ここでじっとしていて下さい」


 腰に両手を当てた花江りこが、幼児を叱るような口調で「めっ」と言ってくれる。

 俺は思わず「あ、はい」と答えてしまった。


「寝室の場所教えてくれる?」

「なにかかけるものを取ってくるよ」


 俺が聞かれたことに答えると、花江りこは寝室までわざわざ毛布を取りに行ってくれ、それを丁寧な手つきで俺の上にかけてきた。


「寒くないかな?」

「あ、うん」


 首の周りまでちゃんと毛布が届くよう、整えてもらいながら、何度目かわからないお礼の言葉を伝える。

 本当に感謝をしているのに、「ありがとう」「ごめん」ぐらいしか伝えられない口下手な自分を情けなく思った。


「それじゃあはじめるね」


 花江りこは制服の袖を腕まくりしてから、長い髪をひとつにまとめはじめた。

 両手の親指で耳の上を撫でながら髪を集める仕草、ゴムを咥えた口元、ひとつになった髪がサラッと流れるときの動き。

 そういうものに釘付けになっていた俺は、慌てて彼女から視線を逸らした。


 それから彼女は風呂掃除を済ませて、湯がたまるまでの間に買い出しに行き、夕食の下準備と米を炊くところまで済ませてしまった。

 しかも俺たちが家に帰ってきてから、まだ一時間も経っていない。

 俺は花江りこの手際の良さに衝撃を受けた。


 そういえばマンションのエントランスで話したとき、家事全般こなせる的なことを言っていたもんな。

 でも、こなせるどころか、家事マスターか? ってくらいの腕前だったのはさすがに予想外だった。


「すごいな……。一体どうやったらそんな短時間であれこれできるんだ?」


 俺がそう問いかけると、花江りこは口元に指先を当てて少し考え込んだ。


「……多分、慣れとあとは修行?」

「家事に修行なんてあるの?」

「あるよぉ。だって、はな――。あっ、う、ううん。なんでもない……! それよりお風呂が溜まったから入っちゃう? 私、手伝うね」


 ん?

 ん!?! 手伝うとは……?

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