第4話 凍えるような雪の中、俺のためにずっと待っていてくれた
結局あのあと「ふざけすぎた……ごめん」と謝ってくる澤たちや、心配そうな花江りこに見守られつつ、担任の車に乗せられた俺は、近くの病院まで連れて行ってもらった。
ちなみにずぶ濡れになってしまった制服は、体育で使うジャージに着替えた。
もちろんパンツの予備なんて持っていないから、ジャージの下は惨めな状態になっている……。
病院では、「インフルエンザではないけど、今晩辺りさらに熱が上がりそうだね。解熱剤出しとくよ」と診断を受けた。
それから一時間かけて点滴を受けることになったので、先にバイト先の映画館にしばらく休ませてくれるよう連絡を入れた。
もともと今の時期は期末テスト前のバイト禁止期間で、スケジュールを空けていたのは不幸中の幸いだ。
館長は嫌な顔せず、すぐに代理の人間を探してくれただろうけれど、そんなふうに迷惑をかけるのは心苦しい。
点滴のおかげで多少まともに動けるようになったが、熱のせいで足元がどうにもふわふわしている。
そんな俺のことを担任の男性教師は自宅マンションまで送り届けてくれた。
「すみません。ありがとうございました」
病院でもらったマスクの下からお礼を伝えると、担任は「おまえも災難だったなあ」と笑った。
「それより、ほんとに一人で大丈夫か? 部屋まで一緒についてくぞ?」
「いえ、エレベーターあるし問題ないっす」
「そうかー? ま、この土日にしっかり休めよ。あと、なんか困ったことあったら連絡してこいよ」
「うっす」
担任は無精ひげの生えた頬をぽりぽりかいてから、手を伸ばして助手席のドアを閉めた。
担任の運転する軽乗用車を見送ってから、エントランス前に向かった俺は、マンション入口のガラスドアの前で寒そうに丸まっている花江りこを見つけてハッと息をのんだ。
「え……。花江、さん?」
「あ……っ。病院どうだった……?」
俺の声を聞いて、勢いよく顔を上げた花江りこがパタパタと駆け寄ってくる。
まるでスーパーの前で飼い主に待たされていた犬のように。
「なんで……」
それ以上言葉が出てこなかった。
花江りこはこのマンションの住人ではない。
……まさか、ここでずっと俺の帰りを待っていたのか?
いやいや、ありえないって。
俺なんかを待つか。
相手はあの花江りこだぞ。
「ごめんなさい……。待ってたりして……。でも、どうしても心配で……」
「……!」
俺が打ち消した考えを、花江りこにあっさり認められ固まる。
……まじか。
「具合どうかな……?」
「あ、うん。点滴打ってきたから、学校にいたときよりはだいぶ楽になったかも」
「そっか……。よかった……」
俺はまだこの状況が信じられなくて、瞬きを繰り返した。
心配して待ってたって……。
イケメン相手ならまだしも、こんな俺のことを……?
しかもこの寒い中。
コートを着ていたって凍えるほど寒いというのに……。
よくみたら鼻先が赤くなっているし、寒さのあまり目が潤んでいた。
って、いつからここにいたんだ……!?
担任と一緒に病院に向かった俺とは違い、花江りこを含むクラスメイトたちは掃除の時間が終わった後は帰宅できたはずだ。
テスト前はバイトだけでなく、部活動も禁止されている。
生徒たちはさっさと家に帰って勉強しろというように、掃除終了とともに校舎から追い出されてしまうのだ。
学校から病院までの距離が車で十分ぐらい。
待合室での時間、診察の時間、点滴をしていた一時間――。
怪我のせいでまともに歩けない俺はそのすべてにやたらと手間取り、結局、学校を出てから家に着くまで一時間半以上かかってしまった。
万が一、花江りこが学校から俺のマンションまで真っ直ぐ来たのだとしたら、相当な時間待たせていたことになる。
……さすがにそれはないよな?
雪が降るほど寒い日に、一時間も外にいるなんてどんな拷問だって感じだし。
そんな中、誰かを待つなんて忠犬ハチ公ぐらいにしかできないだろう。
少なくとも俺だったら五分と持たない。
……だから、花江りこがここにずっといたなんてありえない。
……とは思うけど。
「あの、さ、花江さん、どこか他で待ってたんだよね……?」
一応確認のためにそう尋ねたら、花江りこは可愛らしく微笑んだまま首を傾げた。
「え? ううん。それだとすれ違っちゃうかもしれないから、学校が終わるのと同時に急いできたよ」
忠犬ハチ公を地でいく子いた……!
しかもなぜか花江りこはちょっと得意そうな顔をしている。
飼い主に褒めてもらうことを期待しているハチ公に見えてきた。
いやいやいや。
学校一の美少女がハチ公に思えてくるとかどうかしてる。
俺が脳内でわたわたしていると、急に花江りこが不安な顔になった。
「おうちの場所は澤君に聞いたの」
これは週明け、舞い上がった澤の相手をさせられるだろう。
「ごめんね、勝手に聞いたりして……!」
「それは全然いいんだけど……」
「やっぱりどうしてもあのまま帰れなくて」
「う、うん」
そこまで心配してくれたのか。
花江りこ……どんだけいい子なんだよ。
可愛いだけじゃなくて、性格までいいなんてどうなってるんだこの子。
「あの、さ、なんていうか悪かったな。その、色々と気を遣わせて……。すごい待たせちゃっただろうし」
「そんな……! 謝らないで……! 私が勝手にしたことだし」
「だけど……」
お互い言葉に詰まって微妙な沈黙が流れる。
ここは絶対切り上げるべきタイミングだ。
これ以上、花江りこを凍えさせるわけにはいかないし。
「あ、具合が悪いのに、こんなところで立ち話なんてよくないよね……!」
「いや……。と、とりあえず診断結果はさっき話したとおりだから。寒い中ほんとありがとう。じゃ、じゃあ」
俺は気まずさのあまり、慌てて花江りこの横を通り過ぎようとした。
ところがそのせいで、またふらついてマンションの壁に肩を軽くぶつけてしまった。
「大丈夫……!?」
慌てて駆け寄ってきてくれた花江りこがすぐに手を貸してくれる。
尻もちに続いて、格好悪いところを見られてしまった。
俺は惨めさのあまり彼女の眼差しを正面から受け止められず、俯いたまま早口でお礼を伝えた。
正直、今すぐこの場から逃げ去りたい。
そう思って今度こそ、花江りこの傍をすり抜けようとした時、今度はなぜか彼女に呼び止められてしまった。
「待って、新山くん……!」
花江りこは迷うように視線を動かしてから、一瞬ぐっと唇を噛み締めた。
まるで勇気を振り絞るみたいに。
俺はどうして引き止められたのかわからないまま、居心地の悪さを目一杯感じながら花江りこの次の言葉を待った。
「あ、あのっ……あのね?……もし迷惑じゃなければ、私に看病させてもらえないかな……!」
「え……?」
看病って……は?
花江りこが?
俺の看病をってことか?
あまりにありえない提案すぎて、伝えられた言葉の意味を全然理解できない。
俺の戸惑いに気づいたのか、花江りこは説明を付け足した。
「でもそこまで責任を感じてもらうわけには……」
「ち、違うの! そういうんじゃないよ!? ただ、あの……お手伝いできることがあるならって思っただけだから、ほんとに全然重く考えないで……!」
「風邪移したら悪いから……」
「私、全然風邪引かないから大丈夫!」
「だけど部屋もすごい散らかってるし……」
捨てるのが面倒で放置しているペットボトルだとか、溜まった洗濯物だとかが散乱する家のことを思い出す。
「それも私が片付けるよ」
「え……」
「お手伝いロボットのお試し版が、ある日突然自分の家に届いちゃった! ぐらいに思ってくれればいいから! 製品紹介のためにお手伝いしますって言われたら、軽い気持ちで試してみるよね……? ね……!」
なんだ、その例えは……。
わかるようでわからない……。
ある日突然万能お手伝いロボット(しかも美少女の)が届く日常なんて、平成が終わった今もまだ訪れていない未来だ。
花江りこは口数の少ない子なんだと思い込んでいたので、彼女が結構よくしゃべることにも内心驚かされた。
慌てるとちょっと早口になって、呼吸のタイミングが少しずれる。
美少女だからというだけじゃなく、そういうところまでいちいち可愛いのだ。
しかもありえないくらい優しいよな……。
じゃなかったら、俺に手伝いを申し出たりするわけがない。
……とはいえ、まいった。
だって、どうしたって遠慮はする。
俺なんかが学園一の美少女に看病してもらっていいわけないって……。
いつも以上にぼんやりしている頭でそんなことを思った。
「あのさ、花江さん。気持ちはうれしいけど、やっぱり……」
「……っ」
俺が断りかけた途端、花江りこの形の良い眉が逆さになった。
そんな顔をされてしまうと、まるで苛めているような気持ちになる。
そのせいで拒むための言葉が出てこなくなった。
まいったな……。
本当にいいのだろうかと迷う気持ちは相変わらず心に渦巻いているけれど、俺は結局こう返した。
「……じゃあ、頼めるかな?」
俺の返事を聞いた時の花江りこの笑顔は今でも鮮明に覚えている。
その瞬間、息をするのも、それどころか足の痛みさえ忘れるほど彼女に見惚れてしまったから、忘れようがなかった。
花江りこがどうしてそんなふうな表情を見せてくれたのかわからない。
ただ俺は、花が咲くように笑った顔って、こういう表情のことを言うのだと思ったのだった。
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