第3話 なぜ俺が学校一の美少女とお近づきになれたのか
その日は朝からめちゃくちゃ寒くて、スマホに流れてくるニュースやツイッターのトレンドは「今年一番の寒波が到来」の文字で埋め尽くされていた。
休み時間も「鍋が食べたい」だの「熱い風呂につかって温まりたい」だの、そんな話題ばかりが続き、その上お昼過ぎには霙交じりの雨が降りはじめたのだった。
教室内は暖房が効いているとはいえ、廊下や窓からはしんしんとした冷たい空気が入り込んでくる。
これはたしかに鍋と風呂で体を温めたくもなる。
もっともうちは両親が海外出張で家を空けてるから、どんなに寒い日でも手作りの鍋料理とは無縁の生活だ。
母が置いていった料理道具の中に土鍋があったはずだけど、そもそも俺は料理ができない。
そのうえいつもシャワーで済ませているから、バスタブはすぐお湯をためられるような状態にない。
鍋も風呂もなしの状態で、この寒さを乗り越えるのはしんどいなー……。
そんなことを考えていると、ブルッと悪寒がした。
肩の周りがとくに寒い。
体が冷えてしまっただけだろうと高を括っていたら、次第に節々が痛みはじめた。
うわ。まじか……。
風邪の予兆を感じて、俺は背中を丸めた。
高校入学と同時に一人暮らしを始めてから、俺は三食ともコンビニ飯で済ませている。
そのせいか、ここ数年明らかに風邪を引きやすくなっていた。
だからこそわかる。
これはやばいやつだ。
授業はあと二時間。
現段階では早退するほどひどいわけでもないので、ちょっと無理をしたら、どうやらそれが良くなかったらしい。
六限後の掃除の時間には、汗をかくほど熱が上がってしまった。
もし俺がこの段階で、教師に体調不良を申し出ていたら、俺と花江りこは結婚していなかったんじゃないか。
そう考えると、人生ってものが恐ろしくなる。
俺と花江りこの間に発生した『きっかけ』は、偶然起こったものなのか、はたまた運命だったのか。
当然知るすべがない。
でもとにかく俺はその場にいて、影の薄い地味男子らしくもなく「学園一の美少女をピンチから救う」なんていうヒロイックな行動をとってしまったのだった。
普段の俺なら絶対にそんなことできない。
今振り返ると、熱のせいで判断能力が鈍っていたのだろう。
――何があったのか、詳しく話すとこうだ。
今週、俺や澤のいる班の男子は昇降口の掃除担当で、皆は霙で濡れた下駄箱前のタイルはやたらと滑るのを面白がって、箒をスティック代わりに「ホッケーだ!」なんて言ってはしゃいでいた。
具合が芳しくない俺はそれどころじゃない。
少し動くだけで呼吸が荒くなるし、怠いし、とにかく熱い。
おまけにやたらとボーッとする。
さっさと掃除の時間終わらないかな……。
ため息をつきつつ形だけの掃き掃除をしていると、そこにゴミ箱を持って教室からやってきた花江りこが現れた。
澤たちは多分、花江りこを意識したのだろう。
束の間、昇降口がしんと静まり返った。
でも結局、誰一人声をかけられるやつはいなかった。
両手でゴミ箱を持った花江りこが、首元に傘を挟んで歩き出すのを見ても、「手伝おうか」とすら言い出せず、何を血迷ったのか、手伝いを申し出る代わりに彼女が現れる前より過剰にはしゃいだ態度でホッケーごっこを再開させたのだった。
でも全員上の空で、目線はちらちらと花江りこの動きを追っている。
もしかしたら花江りこがこっちをチラッと見てくれるかも。
そんなふうに期待するしょうもない気持ちが嫌というくらい伝わってきて、俺はたまらない気持ちになった。
男ってなんで本当にこう子供っぽいんだろうな……。
俺が澤たちの輪に混ざらなかったのは、体調が悪いのもあったけれど、怖気づいたせいでもある。
自己評価の低い俺は、そんなことをして万が一花江りこと目が合ってしまった場合、「うわ、陰キャがはしゃいでだっさ」と思われることを恐れたのだ。
いや、花江りこはそんな性格をしていない。
そんなふうに口が悪い子でもない。
だからこれはあくまで俺の妄想なんだけど。
それでも「男子ってほんと無理」ぐらい思われるかもしれないし……。
って、すでにこの被害妄想がクソ気持ち悪いな……。
俺がひそかにため息をついた直後、オタク男たちがはしゃぐとろくなことが起こらないという見本を神様が見せつけるかのように、澤たちの悪ふざけが災いを引き起こした。
ふざけた澤が飛ばした雑巾を、前野が打ち返そうとした。
その箒の柄が、霙の中、歩き出そうとしていた花江りこの傘にぶつかり――。
「きゃっ……」
か細い悲鳴をあげて、花江りこがバランスを崩した。
俺の目の前で。
赤いポップな花が描かれた傘が宙に舞う。
ガゴッとゴミ箱がいやな音をたてて落下した。
霙で濡れたタイルは、本当にスケートリンクかってくらい滑りやすかった。
青ざめた花江りこが倒れこむ。
不思議なことに、俺にはその一連の流れがなぜかスローモーションのように見えていた。
だからおかげでとっさに体が動いた。
別に動体視力がよかったなんて自覚ないし、こんなことは後にも先にもこのときだけの経験だった。
転びかけていた花江りこの手を掴み、自分のほうへ引き寄せる。
そのまま助けられたなら、格好がついたのだろうけれど。
残念ながら今度は俺がつるんと滑り、その場に尻もちをついてしまった。
雨水は制服を通り越し、パンツまでじわじわとしみてきている。
そんな俺の上に、霙交じりの雨が降り注ぐ。
ありえない。かっこわる……。
ただ唯一、転ぶ寸前に花江りこの手を放していたため、彼女を巻き込まなかったことだけはよかった。
花江りこは何が起きたのか理解できないでいるらしく、茫然とした顔で俺を見つめている。
彼女の髪や制服も少しずつ濡れていく。
その後ろには、どうしていいのかわからないという表情を浮かべた澤たちが立ち尽くしていた。
なんであいつらは背景の一部みたいになっているんだ。
もう一度、澤たちから花江りこに視線を戻す。
花江りこはようやく状況を掴めたらしく、倒れたゴミ箱と床に落ちた傘、座ったままの俺に視線を向けて、眉を下げた。
う、気まずい……。
自分がどれだけ情けない格好でへたりこんでいるかぐらい想像がつく。
「花江さん、濡れちゃうから傘拾いなよ」
そう伝えてから立ち上がろうとしたら、ぐわんと頭が揺れるような感覚がしてよろけてしまった。
「新山くん……!? どこか痛いの……!?」
「あ、いや……違う。ちょっと風邪で具合悪くて……。でも気にしないで。一瞬ふらついただけだから……」
無理やり愛想笑いを浮かべてみたが、正直すぐには立ち上がれる気がしない。
風邪のせいで弱っていた体で、一瞬でもがんばっちゃったのがまずかったのだろう。
澤を呼び寄せたいけど、頭がまだグラグラしていて大きい声を出せそうにない。
そのとき、狭くなっている視界の隅で、花江りこがさっと動くのが見えた。
「あ……! あの、掴まって……」
よろけた俺の体に手を添えて、花江りこが支えてくれる。
彼女がとった行動に驚きすぎて、俺はただされるがままになっていた。
「ごめんなさい……私のせいで……」
「い、いや……花江さんのせいじゃないよ……」
「でも風邪ひいてたのに、私のせいでずぶぬれにさせちゃったから……。本当にごめんなさい」
「や」
「や」ってなんだ、俺。
もうちょっとなんか付け足せ。
「ほんと……気にしないで……」
「どうしよ……。保健室……ううん、病院行ったほうがいいよね? 救急車呼んでもいい? あ、その前に先生呼んでくる……?」
「そんな大げさなあれじゃないから……」
「でも無理しちゃだめだよ……。どうしよ、どうしよ……」
そのとき、澤が我に返ったような顔になり「俺、先生呼んでくるわ」と駆けていった。
他の男子たちは、相変わらずオロオロしながら立ち尽くしたままだ。
花江りこは俺を支えると、雨の当たらないところまで連れていき、そのままずっと傍らに寄り添ってくれている。
「座ったほうがいい? 寝てるほうが楽かな? あ! 膝枕する……!?」
「……お、落ち着いて、花江さん……っ」
なんで膝枕出てきた……?
美少女からそんなうれしすぎる提案をされたというのに、現実味がなさすぎて喜ぶどころじゃない。
てか花江りこってこんなに焦りまくる子だったのか。
控えめに笑っている印象が強いから、勝手に落ち着いた子だと思い込んでいたけど、今の彼女のわたわたっぷりは結構なレベルだ。
「私が新山くんをお姫様抱っこして、先生のところまで連れていければよかったんだけど……。……試してみる?」
「いや、試すのはナシで……」
華奢な花江りこが俺をお姫様抱っこなんてできるわけがないし、たとえできたとしてもやっちゃいけないやつだ。
「新山くん、私にどうして欲しい? 何でも言って?」
花江りこが俺を支えたまま、心配そうに顔を覗き込んでくる。
距離が近すぎて、息を吸っていいのかわからない。
変態って思われないか心配だ。
でも、息を止めていたらしゃべれないし……。
仕方ないので、できるだけ音をたてないように呼吸してみた。
それがなんだか変態っぽくてへこんだ。
俺のくだらない葛藤になんてまったく気づいていないであろう花江りこは、その間もずっとオロオロした顔で俺を見つめている。
俺は熱のせいで朦朧となっている頭の隅で思った。
花江りこは困っている顔もめちゃくちゃ可愛い。
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