長編メモ
Episode (蒼穹の魔導師カットシーンメモ)
「大仰なことだわ」
通りを埋め尽くす程の人の波から一際大きな歓声が上がった。
それを御簾の内から眺め遣り、幼い少女は言う。行儀悪く頬杖をついたその顔には、はっきりつまらないと書いてある。
あまりにもはっきりとしたその態度に、輦(れん)に同座していた男が苦笑した。
「やれ、うちの瑠璃姫様はお行儀が悪くていらっしゃるね」
そうは言うものの、声は特に非難めいていない。
どこか楽しむような声色だ。
それもそのはず、男は人ではなく、平坦に言うならば少女の使い魔のようなそれであって、本質的に主たる彼女に付き従うものである。今は人の前に出る身として、人に近しい姿を取っているに過ぎない。人ではない者の証として、よく見るならば彼の目が淡く光る金色であること、その瞳孔が獣のような縦目であること、最も分かりやすく、楽しそうに揺れるふさふさとした長い尾があることが挙げられる。
瑠璃姫、と呼ばれた少女は時折御簾をひょいと片手で持ち上げ、ひらひらと沿道の人々に手を振って愛想を振り撒いたりなどしている。その都度、輦の横を歩く護衛は大慌てで「姫様!」とそれを窘めていた。
本来であれば御簾の内様、御簾様、蓮の君などの尊称で呼称し奉るのが習わしだが、ここ、瑠璃の国でそれが守られた例は一度もない。民達も、仕える官達も、皆一様に「瑠璃様、瑠璃姫」と国号を冠して尊称とする。
それが、彼女が御子(みこ)として蓮座(れんざ)に上がって以来、この国にできた新たな習わしだった。
自らの在位二十年を祝う式典の真っ最中なのである。
沿道には民が駆けつけ、御子の乗る輦と呼ばれる輿が前を通るのを歓声で出迎えていた。国中が大変な祝賀で溢れているのを、当の瑠璃姫はこそばゆい思いで眺めている訳である。つまらないと不貞腐れているように見えるのも、普段、彼女がこの大通りを民に混じって歩いているからで、つまり、お行儀よく輿の中に収まって澄ましているのが気恥ずかしい半分、こういった式典自体が面倒臭い半分なのだ。
「まったく、大仰なことだわ」
嘆息混じりにそう言って、瑠璃姫は短く「白虎!」と声を上げる。
「さあ来た」
楽しそうに呼応して、苦笑していた男がするりと体を溶かす。人ならざる獣の本性が鋭敏に主の真意を捉える。
次の瞬間、輦の御簾が跳ね上がり、毛並みの良い銀色の虎が着飾った少女を背に乗せて空へと飛び出した。
「瑠璃様!今日くらいは大人しく……」
脇を固めた護衛達の悲鳴も虚しく、美しい絹の袖を翻して少女は上空を駆けて行く。
それを眺めて、沿道の民は歓声をより大きくした。
煌めくように空を駆けてくる白銀の獣を目に留め、朱塗りの大門の奥、御座の前で式典に控えていた男は思わず笑みを浮かべた。
上等な絹の衣に負けない、艶のある風貌をしている。少しくすんだ灰藍色の髪は夜空に似て、見る者を不思議と包み込む。対象的に、瞳は極めて薄く澄んだ氷青色をしている。
市街と宮内を分ける大極門の「上」を悠々と通り抜け、長く美しい尾を引いて獣が静かに着地した。門内に勢揃いした文武合わせて百官ならびに近衛、禁軍が皆一様に膝を付き、獣を従えて歩く少女に頭を垂れた。
官の間を縫うようにして男の前までやってくると、彼女は何でもなかったかのように「随分早かったのね?」と改めて門内を見渡した。
「こう見えて記憶力は良いほうだからね。十年前と同じ轍は踏まないさ」
男が気さくに答えると、彼らに近い官達が堪らず吹き出す。
十年前の式典でも、彼女は輿を煩わしがって、こうして予定よりもうんと早くに大極門に現れた。本来、御子を恭しく出迎えるはずの「王」が逆に御子に急かされるという前代未聞の日になった訳で、何事にも型破りの瑠璃の国でも多くの者が目を丸くした。
あれから十年の月日が流れたが、官達の目から見て、眼の前の王も御子も、それ程年を取っていないように見える。これは自分達が仕える主だから贔屓目がある……というものではなく、実際、彼らは即位してからさして年を取っていないのだ。
人に似て、人ならざる者。
長い寿命と絶大な力を持ち合わせ、その不可思議な、神にも近しい力で様々な不思議を起こす者達が居る。
外洋では彼らを「魔導師」と呼ぶが、こちら側ではそういった者達をこう呼ぶ。
天帝の御子、と。
奇しくも瑠璃の国では、通常、人であるはずの王も「天帝の御子」である。
頭上に並び立ち、いつまでも色褪せぬ王と御子の姿はこの国の者にとって将に至高の座の象徴である。
まだお小さい姫君に跪く王の凛々しさが、仕える者達の顔を自然と綻ばせる。
「さて」
と、王は言って、瑠璃姫を抱き上げた。
式典の際、御簾の内様は王よりも数段高い蓮座に上がり、正しく御簾の内側からご覧になるのが通例であるが、これも、瑠璃の国ではまあ守られた例がない。
「この度の祝賀を嬉しく思う」
外洋の大国から技術者を呼んで準備を整えたお陰で、門内だけでなく大通りに詰め掛けた民の耳にもその声が届く。先程までの歓声はどこへ行ったかと思う程、皆がその声に耳を澄ませている。
「皆も知っての通り、この国が再び御子を得、再起して二十年になろうとしている。我らにとって二十年は瞬く間だが、民にとっては、それは長い二十年であったろう。歯痒いことも、儘成らぬことも、数多くあったであろうと、ここで謝罪したい」
しん、と静まり返った空に、王の沈痛な声が谺する。嗚咽を漏らす者、彼らの背や肩を擦る者が居るものの、非難の声が上がることはなかった。
「私は王族として生まれながら、長くこの国を離れていた。それは決して本意ではないが、それでも、長きに渡って務めを果たさなかったのは確かだ。だからこそ、国造りの為に私を信じ、私に付いてきてくれた皆に心から感謝したい」
その言葉に、今度は門内の官達の間から感極まった声が漏れた。
「色々と至らぬ王ではあるが、民に、国に、私の全てで返して行きたい。これからもどうか、皆、よろしく頼むよ、本当に」
少し照れたような声に、張り詰めていた空気が緩み、あちらこちらで軽やかな笑い声が起こった。
それが静まるのを待って、王は抱きかかえた瑠璃姫を見る。
「我らが礎、瑠璃姫の御代の恙無きよう、心より祈念し申し奉る」
御簾の内より扇を鳴らす代わりに、型破りの姫君は、自信満々にニッコリと笑ってこう言った。
「任せておきなさい」
鈴を転がすような声に、大地が揺れるような歓声が上がる。遠く隣国まで響いたとされる祝賀は始まったばかり。
瑠璃の国の千年に及ぶ歴史の、ほんの幕開けである。
Episode End
(このお話は長編用にカットシーンをメモしているものです)
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