短編
現代寄りの幻想系
第2話 鯨の宇宙。
男はどこか遠くを見ていた。
鬱陶しい程に伸ばした前髪でバサリと隠しているものの、その顔立ちはよく整っている。
ほっそりと骨ばった指で煙草を弄びつつ、嘆息混じりに息を吐く。
それはまるで白黒映画のひとコマのようで、古いフィルムを見るような不思議な気持ちになる。
世界からそこだけ色が抜け落ちてしまったようで落ち着かない。
たっぷりと、10分は過ぎただろう。
「何も。ただ深淵と、膨大な数の……無限の未来或いは過去だったかもしれないものの可能性が混沌としてそこに在るだけ」
気怠そうに、だが淡々と彼は言った。
宇宙の果てには何が在るのか―――それが彼に投げかけた問いだ。
ただの興味本位だった。明確な証拠と共に推論や理論を聞きたかった訳ではない。正直に言えば困らせたかったのかもしれない。知らないことなど無いと言わんばかりの彼に、まだ探求していない何かがあったじゃないか、と得意満面に言いたかっただけなのかも。
けれど彼は事も無げに「何も」と言って、その後、少し言い淀んでから続けた。
「宇宙の外側には、また別の世界があるのかもしれないが」
逆接で止められた一説には、続きがなかった。
或いは、ただの倒置法だったのかもしれない。
気難しそうな横顔に夕暮れの闇が差す。
指遊びのように煙草がくるくると回る。
その様子を眺めつつ、ふと、私は言った。
「宇宙の外側にあるなら、鯨だよ」
何とか言う波形を音にすると鯨の歌に聞こえるのだと教えてくれたのは他ならぬ彼だ。
宇宙から鯨の鳴き声と同じものが聞こえるならば、この宇宙を抱いているのは外側の大海を泳ぐ鯨なのだろう。だとしたら、あの海を泳ぐ鯨たちの中にも同じ宇宙があるのかもしれない。
そんなことをふと思いついて、考えるでもなく、迷うでもなく、そう言った。
そこで初めて彼はこちらに視線を寄越した。
困ったように微笑んで「嫌いじゃないなぁ、その表現」と零した。鬱陶しい程に伸ばした前髪の隙間から、聡明そうな薄い茶色の瞳が覗く。
でも、と続けて彼は煙草に火をつけた。
その声は淡々とした元の口調に戻っている。
「あまり、此方側を覗き見るものじゃあないよ?」
彼の眼差しはもう誰も見ない。
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