第6話 魔導竜にはカツ丼を①

 

 ふわりとした落下感がまずひとつ。

 続いて、すうすうという女の子の寝息が耳に届く。


 薄暗いマンションの一室はさらに暗くなり、そして柔らかいベッドの感触は唐突に薄れてしまう。代わりに背中には硬く冷たい感触が広がり、ごつごつと尖った感触が肉へと食い込む。


 ――あれ、硬い岩の上で目覚めたのかなぁ。それにしては真っ暗で何も見えない……。


 うーんと伸びをすると、すぐ隣からマリーの起き上がる気配があった。くあーと二人で欠伸をし、たっぷりと睡眠をとった後の快適な目覚めを堪能することしばし。


「おはよう、マリ……」


 いかにも眠そうな声を発する僕の口は「ぱしんっ!」と彼女の手に塞がれてしまい、残りはもごもごと発することになった。

 あれ、マリーだよね、この柔らかくてすべすべな手の感触は。真っ暗で見えないけども、たぶんそうだ。

 ああー、良かった、彼女も一緒にこの世界に戻ってこられて。うっかりと現代日本にエルフを連れてきてしまったが、何事もなく済んで良かったねぇ、などと思っていたのだが……。


(し、し、し、静かに! わ、わ、分かったわね?)


 けれど彼女は切迫した声で、ぽそぽそと耳元に囁いてくる。

 多少は闇に目が慣れてきたのだが、すぐ目の前でマリーは泣きそうな顔をしていた。

 どうしてこんな顔をしているんだろう、という疑問はすぐに解消されることになる。僕の耳にも、こんな音が聞こえてきたからだ。


 ずずずずず…………

  ずずずずず…………


 こ、こ、この音……いや、寝息は……!?

 まさか昨日僕らが全滅した場所、魔道竜アークドラゴンの寝床からスタートしているのか!?


(とりあえず、あなたにも暗視をかけるわ。じっとしていて)

(う、うん、ありがとう。ええと、おはようマリー)


 にこっとマリーから笑い返され、それから僕の眉間へと指を押し当てられた。昨日と同じように周囲の光は増幅され、乱反射するように視界は鮮明になってゆく。

 それからすぐに後ろを振り返ると、もともと僕らが入ってきた小さな洞穴は、鉄格子により堅く塞がれているままだった。


(ああ……、用心して閉じっぱなしにしたのかな)

(たぶんそうね。私たちみたいなのが入って来れないようにしたのよ。えーと、他にどこか逃げ道は無いかしら)


 ずずずずず…………

  ずず……


 ぴたりと竜の寝息が止まり、僕らは「ひっ!」と背筋をビクンとさせる。魔道竜は勘が鋭いらしく、隠蔽ハイド効果のあるマントを身に着けていても気取られてしまう。恐る恐る振り返ると、ずんぐりと大きな頭が視界へと現れた。


 僕らを見るなり竜は不思議そうな瞳を瞬かせ、「まあいいか」とばかりに口内をマグマ色へと変えてゆく。もうすぐにあの苛烈なブレスにより蒸発させられてしまうだろう。


「やっ、やばっ! また殺されちゃう!」

「ああ、参ったなぁ、せっかくマリーとこの異世界に戻って来れたのに」


 ごるごるという唸り声と共に、竜の口内からは炎が激しく燃え盛る。とはいえ僕らに残された手などは無く…………あれっ、どうなんだろう。手がまるで無いのかな?


 何かが思考に引っかかり、紐解いてみると道中に会話をしたリザードマンなる魔物を思い出した。彼らは確か「竜の番人」だと僕に教えてくれている。竜に仕え、寝床を守る使命を持っているのだとか……。

 試しに思いついたまま声を上げることにする。


「あ、ごめんなさい、寝床を荒らしてしまって。あなたの卵を見てみたくて、彼女を無理やり連れて来たんです。せめてマリーだけでも逃がして貰えませんか?」


 ぎょっと目を見開くマリーではあったが、ぴたりと竜の咆哮はおさまり、ゆるゆると炎の勢いは消えてゆく。


「ちょっ、どうしたの、魔導竜が静かになったわ。いま何を言ったの、カズヒホは?」


 そう、マリーが疑問を感じている通り、僕の言葉は彼女に理解出来ないものだ。それもそのはずで、いま発した言語は……。


「ふうむ、下級竜の言葉を話すとは面白い人間だ。昨日、確かに吹き飛ばしたはずなのに、無傷で目覚めたお前たちが不思議でもある。どうだ、その謎を明かしてくれるなら命までは奪わぬでおこう」

「はい、お話しいたします。……マリー、竜が助けてくれるって」


 ぱちくりとマリーは目を見開いた。

 ふうー、とようやく胸を撫で下ろす。やっぱり意思疎通できるのって重要だよね。リザードマンの言語が竜にも通じるなんて思いもしなかったけど、趣味が高じて死なずに済んで良かったよ。


 ちょいちょいと巨大な爪から招かれるまま、僕らは竜の寝床へと移動した。




 竜は目線を合わせてくれているのか、べったりと腹を地面へと押し付け、そしてすぐ前には大きな顔がある。抱きかかえるよう卵が3つほど並んでおり、その大きさに「わあー」と二人して歓声を漏らしてしまった。


「ふ、ふ、卵を見たいとは変わった人間だ。好奇心は猫を殺すというが、向こう見ずな奴等であるな」


 ふすんと放たれた鼻息もそうだが、この周囲はとても暖かい。地熱があるらしく地面はぽかぽかとしているので、さながら岩盤浴のようだ。すべすべの石に座っているので、なおさらそう思えてしまう。


「卵を温めているのかしら。この辺りは精霊がとても活発ね。竜というのはね、私達以上に精霊を自由に扱えるのよ」

「へええ、そうなんだ。といっても精霊が何なのかよく分からないけどね」


 僕の目には見えないが、周囲には大量の精霊が渦巻いているらしい。

 くりくりと器用に卵の向きを変えながら、竜の相貌がこちらを向く。


「まさか夢の世界の住人とはな。そのような存在がいると仲間から聞いたこともある。寝ぼけていたのだろうとわしも言ったのだが、ふ、ふ、まさか本当だったとは」


 あ、そういえば何度かドラゴンに特攻して遊んだことがあったな。傷一つ付けられずに吹き飛ばされていたので、たぶん怒ってはいないだろうけど……。


「ええ、僕も……ああ、こちらのマリーもそうですね。昨日は彼女と一緒に異世界に行き、不思議な思いをしてきました」


 僕の言葉に、竜は興味深そうに瞳を瞬かせる。


「ふうむ、おぬしは興味をかきたてるのう。孵化するまでわしは退屈なのだ。それに、その匂いがどうにも気になる。人の子よ、何を持っておるのだ」

「えっ、別に何も……あっ!」


 匂いと言われてみると、確かに食欲をそそる甘い匂いがする。

 ひょっとして……と思い、カバンを開いてみると地熱でお弁当は温められていたらしく、ふわんとした匂いがより強く漂ってしまう。


「あら、昨日作っていた余りのほうのカツ丼かしら?」

「そうそう、枕元に置いていた奴ね。――すみません、匂いの元はこのお弁当なんです。匂いが嫌でしたら遠くに離しますが?」

「ふうむ? いや、構わない。決して不快では無いのだが、わしは匂いに敏感すぎるのだ。ふーむ、この身体では話しづらくてかなわぬ」


 確かに車みたいに大きな口と舌をしていては、話すだけで疲れるだろう。

 それに、いつの間にか竜は警戒心を解いているように思える。まあ僕らみたいなのが害を与えられるわけが無いしね。いるのかは知らないが、そういう真面目な仕事は勇者とかに任せるべきだ。


 くるると妙に澄んだ声を上げると、竜は不可思議で聞き取りづらい単語を呟き出す。

 僕が話せるのは下級竜までの言語なので、何を言っているのかは分からないが、【人型に成れド・イオ・ナムフ・エモケブ】という風に聞こえる。


「竜魔法!? まさか、初めて聞いたわ!」


 僕の腕を抱えながら、そのような言葉をエルフは発した。

 うん、僕は魔術の知識なんて無いから分からないけど……いつの間にか抱きつき癖がついちゃったね。いや嬉しいんだよ、嬉しいんだけど少しだけ恥ずかしいんだ。


「カズヒホには分からないでしょうけれど、いま高密度の魔力が練られているの。人の魔術なんて足元にも及ばない高い次元のものよ。見てっ、発動するわ!」


 んん、と視線を前へ向けると、竜の胸のあたりが煌々と輝き出す。まさか攻撃魔法なんかじゃないよね、とのんびり構えている僕の前に、驚くことが起きた。


 人型の光り輝くものが現れたかと思ったら、骨格から筋組織、そして肉が覆い出して、あっという間に女性の身体になってしまったのだ。


「はあっ……!? ひ、人になっちゃった」

「違うわ、あれは竜人よ! 分かるかしら、竜核のひとつを使って生み出したの。まさか伝説に残されている竜人が彼女だったなんて!」


 ああー、うん、分かりません。

 というよりも、その竜人なる姿が魅力的すぎて思考が止まってしまったのかもしれない。


 そこに現れたのは、腰まである長い黒髪をした美女だったのだ。

 生み出されたばかりのせいで服を身につけておらず、引き締まった肉体、そしてかなり豊満な胸、こちらを向く黒曜石じみた瞳にぽかんとさせられる。

 申し訳ないけれど、ぎゅうと抱きついているマリーの胸よりもずっと……ああ、今はそんな事を考えている場合じゃない。


 人との違いがあるとすれば、あの額飾りに似た角と、そして背骨にそって生えている硬質な鱗、そして竜を思わせる尻尾だろう。

 すぐにパキパキとした硬質な音が響くと、美女は魔導竜の外殻に近しい防具に身を包んでゆく。


 その防具はドレスに似た形状をしており、硬度を維持しつつ関節可動域を高めるためか機械に似た複雑さがある。

 ぎこぎことギミックを微調整させてから、美女はこちらを向いて声を放った。


「ふむ、こんな所かのう。この姿になるのは数世紀ぶりである。どうだ、人の目から見ておかしなところは無いか?」

「あ、ええと、はい、すごくお美しいです」


 一瞬瞳を見開き、それから魔導竜はころころと笑った。


「ふ、ふ、なら大丈夫のようだな。……では人の子よ、その馳走をよこせ」


 にっこりという女性らしい笑みではあるが、竜としての迫力も備わっている。僕の背はびしりと凍りつき、為す術なく竜からの欲求を…………はい?


「え、カツ丼が欲しいのですか? でも魔導竜にお出しできるほど、僕の料理は大したものでは……」

「ぬっ、貴様っ! わしがそのような馳走などを欲しがるわけが……っ! ああ、違う、違うのだ、こほんこほん。味見だ、味見。人の料理など食したこともない。だからこその味見だ」


 ええ、食べる必要が無いのなら味見をする必要も無いじゃない。ちらっちらっとお弁当を見る目つきは「食べたい」と言っているかのようだし……う、うん、欲しいなら構わないけど……。


「な、なんて言っているの?」


 とっくに僕の背中に隠れてマリーが、こそりと耳元に尋ねてくる。ええと、カツ丼を欲しがられているなんて言ったらマズいのかな……。いや、うん、事実は事実なんだし仕方無いよね……。

 などと考えていると、竜は僕らがお弁当を渡すべきか悩んでいると誤解したらしい。


「ふ、ふむ、そうだな、礼の一つも無いわけではない。そのような傲慢なことはせぬ。どうだ、わしの鱗を一枚やろう。落ちている魔力切れのものではなく、いま生えているほうをだ」

「え、あ、良いのですか? マリーも欲しがっていましたし嬉しいですが……」

「うむ、どうせ孵化が終われば、わしの痕跡はリザードマンに全て掃除させておるからな」


 交渉成立だと言わんばかりに、ばっと美女が手を出してくる。その勢いに負けて咄嗟にお弁当を手渡すと、竜人はにっこりと笑みを浮かべた。

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