第5話 花見に行こうか、エルフさん

 

 さて、桜に興味があるエルフの手を引いて、真昼間から東京にある芝公園へとやって来た。近くの河川敷でも良いのだが、せっかくなら一望できるほうが楽しいだろう。


 駅を出るとすぐに桜が見えて、マリーは「おーっ」と歓声を上げる。平日の昼間とはいえ人はそれなりにおり、僕自身もまた久方ぶりの花見気分で心が沸き立つのを覚える。


「わああ、見たことの無い妖精がいる。カズヒホ、はやく行きましょう」


 ああ、そういえばエルフは妖精が見えるんだっけ。

 彼女自身、無限に近しい時を生きる半妖精であって、こうして手を繋いで歩いているのは変な気分にさせられる。


 透き通るような肌といい、桜のように明るい髪色といい、非常にファンタジックな外見は僕だけでなく周りの目さえも惹いてしまう。

 正面から通り過ぎるときに「うおっ!」と声を上げられることもあるし、写真に撮られることもしばしば……うーん、西洋的な顔立ちは目を引いてしまうな。


「転ばないように気をつけてね。ほら、あっちに見えるのが東京タワーで、日本でも有名な場所だよ」


 指差すとマリーはぎょっと立ち止まり、まじまじと東京タワーを見上げる。

 先ほどまで高い建物や電車など、幾つも彼女の度肝を抜いてきたのだが、青空の下にずうんと天高くそびえる建造物というのはまた格別に驚くだろう。


「きっとあそこには魔道師がいるのね」

「いないって。誰でも上まで行けるけど、桜を見たら上ってみる?」

「ええっ、無理よ。あんな高いところまで登ったら疲れてしまうし、ぽとりと落ちてしまうもの」


 ……ひょっとして徒歩で登るのを想像しているのかな?


 まあ今日のところは桜が主役なのだし、たっぷりと満喫すべきだろう。考えてみれば僕は桜を楽しむなんてここ何年かしていないし、エルフと一緒に桜並木を歩くなんてワクワクさせられる。

 当然彼女は僕以上に楽しんでおり、ずっと上を見上げて歩いていた。桜のように頬を赤くさせ、口をほんの少し開いているのが可愛らしい。


「綺麗ねぇ、すごいわねぇ……、雪の下を歩いているみたい」

「さすがに桜は向こうの世界に無いからね。上を向いて危ないし僕に掴まったら?」


 足元がふわふわしていそうな彼女にそう言うと、見上げたまま僕の腕を掴んでくる。桜に夢中になっているせいか、やんわりと胸を当てられて、少女相手だというのに頬が熱くなるのを覚えてしまう。

 ええと、そうだね、ありがとう桜。正直いまは花見気分どころじゃないけど楽しんでいるよ。


 さて、桜の木々のあいだには赤と白の東京タワーも見える。

 知的好奇心の強いマリーは、ここへ来るまでにモニターなどを興味深く観察していたのを思い出す。


 そういえばずっと前にはあの東京タワーから映像の電波を流していたんだっけ。などと伝えたら「ほら、やっぱり魔導師が住んでいるじゃない」と言われてしまった。まあ、いないんだけどね。


 そうして屋台の軽食を買い、空いているベンチに座って舞い散る桜を楽しむ。今日は日差しが暖かく、座っているだけでうとうとと眠気がやってくる。

 口数の減ったマリーを覗き込んでみると、案の定、気持ちよさそうに眠っていた。ずっとはしゃいでいたし、刺激が多すぎて疲れたのだろう。


 僕の肩へと頭を乗せ、くうくうと気持ちよさそうな寝息が響く。可愛い子からこうしてぴったりと寄り添われ、幸せそうな寝顔を見れるのは素直に嬉しい。

 あまり街を出歩かない僕ではあるが、ふとこう呟いてしまう。


「まあ、今日みたいな日なら僕も好きだな」


 街というよりは人の目が少しだけ苦手なのだ。

 落ち着かない、というのが一番にある。人に見られて問題が無い行動をしなくてはと、少しだけ気を張っているせいだろう。だから自由に過ごせる夢の世界が好きなのだ。

 じわりと伝わる体温を覚えつつ、桜並木をぼんやりと見つめた。



 彼女が目覚めたのは、もうだいぶ辺りが暗くなり出したころだった。

 しなだれかかるエルフはゆっくりと薄紫色の神秘的な瞳を開き、そしてそのまま夜桜に見惚れることになった。

 ライトアップされた桜からは、目にも鮮やかに花びらは舞い落ちる。雪景色じみた光景に、ほお、と彼女は溜息を吐き、肩へ頭をのせたまま動けずにいた。


「すごく綺麗……。魔物がいないと、こんな世界になるのかしら」

「どうだろう。魔物がいなければ、今度は人が敵になるかもしれない。この国だってかつては大国から叩きのめされているからね」


 侵略というのは麻薬に近い。果実をもぐように他国の益を収穫することを覚えれば、いつしかそれが当たり前になる。

 そういう意味でマリーの世界は微妙なバランスの上に成り立っているのだ。


「……ねえカズヒホ、もしも私があの世界に帰れなかったらどうなるの?」

「うん、その時はさ、一緒に暮らして沢山の場所へ遊びに行こうよ。温泉とかお城とか、楽しいところがたくさんあるから」


 何も考えず普通に言ったつもりだったが、彼女にとってはそうでなかった。頬をみるみる赤く染め、帽子をもっと深くかぶり直す。そしてもう少しそばまで密着すると「うん、いいわ」と囁いたのだ。


 不思議と気分は高揚し、エルフと体温を交わしながら桜を見上げる。

 なぜだか分からないが、彼女といると景色が違って見える。ひどく平和で、のんびりとした空気を覚えるのは不思議だ、などと僕は思う。




 さて、日も暮れたところで帰宅を済ます。何と言っても「マリーと一緒に夢の世界に戻れるか」という本題が待っているのだ。


 部屋に戻るとようやく帽子を取ることができ、開放感もあるらしくマリーは嬉しそうな顔をする。街を歩いたことで長い耳は注目されてしまう事が分かったようで、鬱陶しくても大人しく隠してくれていた。まあ、それ以前に美人すぎて注目されてしまうんだけどね。


「これがお風呂ね。ここで身体を洗って、湯船で気が済むまで温まるんだ」

「うわっ! お湯じゃない! ああ、もおお、こんなの贅沢すぎる……っ!」


 きゅうう―ん、と湯船を乙女チックな表情で見つめているのは何かが変だ。ああそうか、向こうの世界ではお湯を炊いてバケツで運ぶものだろうからね。


 それから入浴剤の匂いをいくつか嗅がせ、気に入ったものを選んでもらい入浴タイムは始まった。まあ、残念ながらお色気要素は無いけど、妄想だけは僕の自由だ。


 しばらくするとご機嫌そうな鼻歌がバスルームから響いてくる。

 考えてみれば他の人にお風呂を貸したことなど無いので、なんとなく不思議な感じがする。誰かがいる、というのが僕にとって既に珍しいのだ。


 帰り道に寝巻きと替えの下着を買ってあるので、その間に簡単な夕飯を用意しようか。

 手軽で美味しい料理として僕が推すのはカツ丼だ。惣菜のカツを買い、後は卵、玉ねぎ、調味料を合わせるだけの手軽さだ。気をつけるのはせいぜい「卵を混ぜすぎない」「固めすぎない」くらいか。


 がたっとバスルームの戸が開かれ、上気した顔のマリーが現れるのとフライパンに卵を投入するのは同じタイミングだった。時計を見るときっかり30分ほど楽しんだらしい。

 肌が白いので、子供のように頬を染めているのが微笑ましい。バスタオルの肌触りが気に入ったようで、くんくんと匂いを嗅いでいるところで目が合った。


「ただいま、すごく気持ちがいい湯だったわ。見て、すごく肌が綺麗になったの」

「ううん、マリーはいつも綺麗だからなぁ。あまり違いが分からないや」

「も、もうっ、またそんな事を眠そうな目で言って……」


 バスタオルで顔を隠し、じとりと恨みがましく見上げられてしまったよ。

 やはり暑かったのか、頬をぱたぱたとあおいでマリーはこちらへ近づいてきた。


「うわっ、いい匂い! ひょっとしてカズヒホが作っているの?」

「うん、すぐに出来るから座ってて。醤油も平気みたいだし、マリーはきっとこの国の料理をたくさん楽しめると思うよ」


 そう伝えたのだが、マリーは調理している様子を覗き込み、んはーっと緩んだ顔をしている。お風呂上がりのせいでガードが緩んでいるのか、寝間着のボタンが上の一つが外れていると……。うっ、ほんのり赤く染まったエルフの胸元が……い、いかん、気にしないようにしよう。


 どうにか心を落ち着かせ、ご飯を椀へとよそい、上へとろりとしたカツとじを乗せる。その間も、じいっとエルフ娘は眉間に皺を寄せて覗きこんでいる。


「美味しい、これは絶対に美味しいわ」

「……なんでぶつぶつ言ってるの?」


 鼻の穴をすこしだけ大きくさせているのが、なんとなく可愛らしい。

 こちらの世界に来てからというもの、女の子らしかったり子供っぽかったりする表情が見られて僕としてはとても嬉しいんだけどね。

 あとは三つ葉でもカイワレでもいいから適当に緑色を散らし、彼女へ丼をひとつ手渡す。


「持って行って。そこのテーブルで食べようよ」

「うんっ!」


 にっこりと笑みを返され、僕らはすぐ隣へと移る。


「いただきます」

「い、イタダキマス……」


 ぎこちなく言葉を真似られて、すぐにもぐりと口へ放り込む。じょわりとダシ汁が溢れたらしく、マリーの頬は一気に緩んでゆく。にまにまとした笑みを抑えられないのか、頬に手を当てているようだ。

 ゴクリと飲み込み、それからマリーは僕を見る。


「~~~……っ! うっま!」

「ふふ、なら良かった。向こうの世界だと揚げ物も醤油も無いからね」

「もう本当に美味しいわ。今日食べたなかで一番は間違いなくこれ」


 ほう、日間ランキング一位をいただきましたか。それは有りがたいお言葉だ。

 大体の料理がそうだけど「素材」そして「出来たて」が揃うと無敵だと思う。そう特に感じるのは餃子で、シンプルな料理ほど先ほどの2つが揃うと極めて強い。

 ……まあ、カツは惣菜だから偉そうなことは言えないけどね。


「マリーは安上がりだなぁ。これくらいなら幾らでも作ってあげられるよ。向こうは味が淡白だから気に入らなくて、どうしてもお弁当を持っていくんだ」

「分かるわ。これを食べたらどんな料理も味気なく感じるもの。……そうそう、あとで元の世界に帰れるか試すとして、それよりもお弁当と飲み物を持って行けることを深く考えたほうがいいわ」


 ふむ、と僕は小さく声を漏らす。

 考えてみれば互いの世界は完全に断絶している……というわけではなく、彼女が言った通りお弁当などを持ち込めている。それに彼女自身がこちらへ来た通り、何かしら移動出来るものもあるだろう。


「いままで試してみて運べなかった物はあるかしら?」

「うーん、懐中電灯とか時計とかはダメだったね。ああ、こういうやつね、ピカッと光るやつ」


 街を歩いたおかげで文明に慣れたらしく、懐中電灯くらいで驚きはしないようだ。感心する瞳と共に、もぐもぐとカツを食す。テーブルを指でトントン叩いているのは、きっと僕とは比べようもない知性が働いているのだろう。


「……思うけど、この世界の文化なり技術なりがアウトなのかしら。だからお弁当やジュースくらいなら平気と思われている?」

「なのかもしれないけど、本とかノートも駄目だったよ。あれくらいなら文明にも入らない気がする」


 持ち運ぶといっても儀式めいたことではなく、枕元へ置く程度の簡単なことだ。なので何が運べるのかこれまで僕も試したことがある。その中で数少なく運び込めたのが……。


「飲食類、というわけね。興味深いわ」

「そう? 他は運べないし、あまり役立つように思えないけど」

「ううん、分かるかしら。飲食類だけ平気だとしたら、それは誰かが管理していることになるの。そうなると何かしらの意味や役割があって然るべきよ。カズヒホは何か使命を持っているのかしら?」

「……え?」


 カツを口に放り込む姿勢のまま、ぽかんと口を開いたきりになってしまった。

 今まで考えもしなかったけど、彼女の言わんとすることは分かる。「夢の世界に入れる」「飲食だけ平気」というルールがあり、僕はその上で冒険を楽しんでいたのだ。

 だけど、使命なんてものは、もちろん誰からも聞いたことは無い。


「では質問を変えるわ。夢の世界に入れるようになったきっかけはあったかしら?」

「……物心ついた時から始まっているから覚えていないよ。それ以前に、今日までずっとそれが普通のことだと思っていたからね」


 ふーむ、と二人して小首を傾げてしまう。

 調査はあっという間に手詰まりとなり「覚えてない」の一点張りという袋小路へ陥ってしまった。まるでどこかの政治家のような応答だが、こればかりは事実なので仕方ない。


「仕方無いわね。もしも思い出したらまた教えてちょうだい。たぶん大事なことだから」

「うん、分かった。必ず教える」


 とはいえ思い出せる気がまるでしない。25になっても思い出せていないからね。

 夕飯を済ませると後片付けを二人でし、それからマリーはテレビへ、僕はお風呂へと向かうことになった。


「これね、ボタンを押すと変わるから」

「うん、うん、分かった、凄いわ、凄い……」


 モニターはベッド側に向けており、リラックスして見れるようになっている。なのだが、彼女は食い入るような瞳をし、前のめりでテレビ画面を見続けていた。

 日本語など分からないだろうに、ぽちぽちとチャンネルを変えるマリーを背に、のんびりとお風呂をいただく事にした。


 ちゃぷりと湯船に浸かり、先ほどの言葉を思い返す。

 あの世界が現実なのだとしたら、確かに何かのきっかけはあったはずだ。

 世界を移動する能力に目覚めた何かが。


 そしてその能力を持っている者は、恐らく他に一人もいない……あるいは極少数だろう。そうでなければ何かしらメディアに出ていそうだ。

 もし一人でも同じような人がいるのなら、その人はもっと詳しく調べているだろうか。


 ……どちらにしろ僕がいま考えられるのは多くないだろう。それよりもいま一番大事なのは、マリーをあの世界へと戻してあげることだ。

 そう考え、ざばりと湯を分けてお風呂を後にした。




 ――ああ、これは完全に失念していたなぁ。


 このように僕が立ち尽くしているのは訳がある。

 ダウンライトの間接照明のなか、二人して一つのベッドをじっと見つめているのだ。これから彼女と共に眠る。決してやましい事をする気は無いが、やましい気持ちになるのは男として仕方無い。


「わあ、やっぱりすごく寝心地が良さそうね」


 などと言い、お尻をこちらへ向けて、ぎしりとマリーはベッドを揺らす。布団を開いて潜り込むと「うんーーっ!」と気持ちよさそうな声を漏らした。

 それから薄紫色の瞳をこちらへ向けると「さ、カズヒホも来て」と囁かれてしまった。


 うっく、美少女エルフから手を伸ばされているなんて……!

 もう一度「早く」と囁かれ、ゆっくりと彼女の手を握り返す。指は絡みつき、そして近づくと女の子特有の匂いがやって来る。


 ――大丈夫か、大丈夫なんだろうな。信じているぞ、僕!


 非常に頼りない理性を恨みつつ、布団のなかへと入り込む。

 たぶん僕はいま、頬を赤くさせているだろう。マリーも不思議そうに覗きこんでいるが、それはすぐ近くで可愛い顔があるせいだ、などとはとても言えない。


「では実験開始ね。ええと、しっかり掴まっていたほうがいいのかしら?」

「うん、そう思うよ。竜の一撃を受けたとき、僕らはしっかり抱き合っていたからね」


 彼女の「実験」という言葉に、すこしだけ理性が戻ってくるのを覚えた。そう、これは実験であり決してやましい事では無いのです。


「あの時の体勢と似せようか。おいで、マリー」


 少し気が緩んだせいかもしれない。僕は失言をしてしまったようだ。

 腕枕をじっと見て、マリーは何かに気がついたように頬をみるみる赤く染めてゆく。その表情はとても魅力的で、じいっと互いに瞳を絡めてしまう。


「……はい」


 小さな花が咲くように、エルフは可愛らしい返事をひとつ。ゆっくりと身を寄せ、そして僕のすぐ隣へと頭を置く。布団のなか、互いの腕は絡み合い、そして胴体もしっかりと密着をしてゆくと、華奢な身体と小さな膨らみを感じ取れる。


「あったかい、ね……」


 とろりとした彼女の声は、もう眠気を覚えているのだろうか。とくとくと鳴る心臓は、まるで小鳥のように可愛らしい。互いの体温を交わし合い、そして息さえも交じり合うような距離は、とても眠気を誘う空間だろう。


 やがてとろとろと互いの瞳は閉じてゆく。

 いつもよりずっと早く眠りにつくのは、きっと互いの眠気が伝染しているのだろう。額を合わせるほど近くで、僕らは静かに眠りにつく。


 すうっと互いの寝息が、マンションの一室に響いた。

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