第4話 和食にしようか、エルフさん
「ひっ……!」
隣から息を飲み込む声が聞こえた。
僕の車の運転は、安心、安全をモットーにしている。といっても発車前の状態だし、それ以前の問題だなぁ……。
森育ちのエルフは、やはりエンジンをすこし唸らせるだけでも怖がってしまう。
「そうだ、歩いて行く? 食事処なら色々あるし。ただ、この時期にはおすすめの場所があってね」
「ううん、へいき。確かにすこし怖いけれど、これがどう動くのか見てみたいし……ね、ねえカズヒホ、手を繋いだら邪魔かしら?」
気丈な彼女ではあるが、やはりよっぽど怖いらしい。
車のことを馬車のようなものだと伝えたが、このような鉄の箱に入るなど怖いだろう。僕は「もちろん」と答え、オートマ車を良いことに手を繋ぐことにした。
触れてみると緊張しているらしく汗をかいており、柔らかく小さな手で握ってくる。シートベルトも付けてはいるが「何かしら、これ。まるで固定をしていないわ」と不思議がっていた。まあ、急ブレーキのときにはちゃんと固定してくれるんだけどさ。
「じゃあ出発するね。せっかくだし和食のお店にしようかなぁ」
「ひっ、うごっ、動いたっ! 外が丸見えで怖いーーっ!」
おっかなびっくり腕に抱きついてくるが、これでもかなりゆっくりにしている。きょときょとと辺りの光景をせわしなく観察する仕草はまるっきり小動物のそれだ。
しばらく走っていると、慣れてきたらしく抱きつく力は弱まってきた。
「わあ……凄い。地面がどこも岩だらけ。削り出しているとは思えないわ。これは後から固めている?」
などとぶつぶつ呟き、周囲を分析しているらしい。
お店に着くときには随分と慣れてくれたが、それでも車のドアを閉める「ぴぴっ!」という電子音には小さな悲鳴をあげてしまう。
さて、辿り着いたのは和食処であり、残念ながらチェーン店だ。まあそこは普通の稼ぎの身なので勘弁して欲しい。
ああ、マンションを持っているのは、趣味が「睡眠」という変わった人間なので、居住性にトコトン気を使っているせいだ。その延長でベッドと空調だけは良いものを選んでいる。
「いらっしゃいませーー」
のれんをくぐり、がらりと戸を開けるとすぐに女性店員がやってくる。格好はやはり和風なもので、マリーは周囲の作りを含め、きょときょとと興味深そうに見回している。
「靴は下駄箱にしまうんだ。隣同士にしようか」
「え、うん……盗まれないかしら? だってほら、すごく履き心地が良いのよ。こんな場所なんて心配だわ。あら、その木の板が鍵なの? やっぱり心配ね……」
どうやらスニーカーを気に入ってくれたらしい。いつもはしっかりとした女性だが、こうして「本当に盗まれない?」と何度も尋ねられるとほっこりさせられる。
――あ、そういえばずっとエルフ語だった。店員さんを困らせてしまったかな。
心配になり振り返ると、やはり店員は凍りついていた。しかしそれは予想と異なるもので、マリーの美しさを見たせいだった。幻想的な美しさに、ぽやっと夢見心地の顔をしている。
……まあね、妖精じゃないかって思うよね。瞳なんて薄い紫色をしているのだし。
「ええと、2人席でお願いします。外国に住む可愛い親戚なんだ。日本のおもてなしを見せてくれると嬉しいな」
「は、はいっ、お任せくださいませ!」
ぱあっと顔を輝かせ、元気よく返事をされてしまった。あらら、凄い闘志を燃やしちゃって……。そう考えるとやっぱり美人は得だな、などと思う。
どうぞどうぞと案内をされ、通された先は窓際の眺めが良い席だった。僕の期待通り鮮やかな桜が面しており、マリーはあまりの光景に立ち尽くしてしまう。
まだ昼時には遠いので、こんな光景を独占できるなんて贅沢かもしれない。代休をくれた会社に感謝しつつお品書きを手にとった。
「マリー、代わりに注文するね。ええと、天ぷらと刺身、茶碗蒸しは外せないな……あとおすすめのを一品お願いしていいです? ああそうだ、一応とフォークも一緒にください」
「ええ、それではどうぞごゆっくり」
なかなかの笑顔で店員は僕とマリーへと声をかけ、彼女も目を丸くしつつコクリと会釈を返す。それでようやくマリーは向かいの席へと腰を下ろした。
「いまの人、なんて言っていたの?」
「ごゆっくりして行って下さいって言ったんだよ。マリーが可愛いから見とれていたみたいだ」
「もう、またそんな事を眠そうな目で言って……。でも驚いたわ、まるで警戒しないのね。店員も町の人も」
ああ、車から外をじっと見ていたのは、人の表情を見ていたのか。
「うん、この世界に魔物はいないからね。それに世界有数のお人好しの島国だから。この世界にたまたまマリーは来たんだし、せっかくだから楽しんでいって」
何かをマリーは言いかけ、好意を受け取るべきか拒むべきか悩む素振りを見せる。
まあ今日は天気も良くて、外を見れば一年で最も美しい時期だ。いいんだよ、と微笑みかけると、彼女はようやく頷いてくれた。
「なら、お言葉に甘えさせていただくわ。あなたは数少ない信用できる人だと思っているから」
「ええ、変な人なんてそんなにいないよ。マリーは少し警戒心が強いんじゃない?」
これだからマイペースな人は、という顔をされてしまった……。
こういう可愛い子だと、見下されても嬉しいな。いやいや、僕は変態なんかじゃないんだよ。分かるかな、どうせ叱られるなら可愛い子がいいだろう?
さて、マリーはお品書きが気になるのか、手に取ってじーっと見つめながら質問してくる。
「じゃあ説明をお願いしても良いかしら。ここがどこで、私がなぜここにいるのか。言葉も文字も、何一つとして知らないものばかりだし、魔導竜に攻撃されたあたりから記憶が無いわ。あとは、あなたが随分と大人になっていることも」
ふむ、そろそろ説明をしておこうか。といっても僕に分かっている事は少ない。推測混じりで良いなら、という前置きを踏まえて説明をすることにする。
「まずここは日本という国だね。マリーの世界の地図にはどこにも載っていないと思う。小さな島国だけど、波乱万丈の歴史があって紐解いてみると楽しいよ」
ふうん、と興味があるのか無いのかよく分からない顔をする。
問題は、ここからの説明だろうね。さっき言った通り、説明をちゃんと出来る自信が無いんだ。
「夜、夢を見るだろう? 一度も訪れていない場所を夢のなかで見たことはある?」
「……あるけれど、それが一体どうしたの?」
「僕にとってマリーと遊んだりしたのは、まさしく夢の世界だったんだ。そして今回は、君と一緒に目覚めてしまった。ずっと夢だと思っていたのに、どちらも現実だったという事へ、今日初めて気がついたんだ」
きょとりと綺麗な瞳がこちらを向く。
指だけが忙しくお品書きを弄っているのは、僕とは比べ物にならない彼女の深い知性が働いているのだろう。脳と指先は、どこか結びついているからね。
「あの世界で死んだとき、そして眠りについたとき、僕はこの世界で目覚める。いつも一人で冒険していたから、誰かと一緒に死ぬのはあれが初めてだったんだ。そのせいで、君も一緒にこちらへ来たんじゃないかな」
「…………私が死んだってこと?」
胡乱な瞳に変わったのは、ここが死後の世界か何かと誤解したのだろう。とはいえ、どちらが現実世界なのかは今の僕にもよく分からない。どちらも現実、と考えたほうが正しいようにも思える。
「見たまんまだけどマリーは死んでいないよ。だからたぶん、こちらで寝たらまたマリーの世界に戻るように思えるけど……それは今夜のお楽しみだね」
ふむ、とマリーは頬杖をついて呟く。
エルフというのは死後の世界などを信じていない場合が多い。それはエルフというのは、死後に精霊界へ溶けてゆくという事実があるからだろう。だから「どちらも現実」と伝えたほうが納得しやすい。
「最後の問いかけだけど、この世界とマリーの世界で、僕自身の時間の流れは少し違う。この世界のほうが大人になるのが早いんだ」
「え、カズヒホはいま幾つなのかしら?」
25と答えると、ぎょっと彼女は目を見開いた。どうやら少しだけ若く見えるらしい。
「人間の年って分からないわね……。25ならもう子供が何人かいるのが普通よ? でもこっちのほうが頼れる感じがして素敵だと思うわ」
「えーと、ありがとう。まあ『たぶん』ばっかりで悪いんだけどさ、正直僕もまだ驚いている所なんだ。もっとちゃんと説明できれば良いんだけどね」
まあ夢の世界が現実に……どころか飛び出して来ちゃったからね。きっとこの世界の誰であろうと、まともな説明は出来ないだろう。
などと話しているときに料理は到着した。和風ということで刺身や天ぷら、お味噌汁などを楽しんでもらうつもりだ。
「わあ、器が綺麗ね。端が欠けていないわ。あ、ええと、ありがとう」
「マリーがありがとう、ですって。あと器が綺麗だって喜んでいます」
店員はにこにこと嬉しそうに笑い、その場を後にする。
外国の人に褒められると、日本人以上に喜ばれるのは何故なのだろう。とはいえ、ぱあっと明るい顔をする彼女を見れば納得させられる。花が咲くような華やかしさは、見ていて吸い込まれそうなほどの魅力がある。
「じゃあいただこうか。お箸が無理そうならフォークで食べてね」
「ええと、そうするわ。では遠慮なく」
箸を持った僕の手を見て、真似するのを早々に諦めたらしい。
まずは海老天を選んだらしく、醤油をつけるようアドバイスをしてからパクリと頬張る。もぐりっと噛んでから目を丸くさせ、ゆっくりと咀嚼をする間に頬を緩ませて笑顔を強めてゆく。
「んふっ、甘い~~。香ばしくて素敵ね。えっ、この茶色いのを一緒に食べるのね?」
炊き込みご飯は旬の食材を使っており、こちらも同じように「甘くて美味しい」という評価だった。サクサクとした歯ごたえと、そして全ての料理の味が違うことに彼女は何度も目を丸くする。
「ええっ、すごい量なのにどんどん食べられるわ。なにかしら、お肉が少ないのにどれも美味しい。……ただ魚はちょっと無理ね。いくらなんでも生だなんて、常軌を逸しているわ」
「食べてごらん、そっちも美味しいよ。というよりも今日の料理の主役がそれなんだし」
えぇー……? と見るからに胡散臭い顔をされてしまう。
まあどうしても魚は好き嫌いがあるから仕方ない。日本人でも食べられない人はいるのだし、僕の母だってそうだった。
とはいえ興味はあるらしい。おっかなびっくり赤味の刺身をフォークで刺し、そして醤油をつけて嫌そうな顔をしつつ口へと入れる。
もぐ、もぐ、とゆっくりと咀嚼し……とろんと笑みを浮かべるのはすぐだった。
「うふっ、甘くて美味しいっ~~。ええー、ちょっと……私が知っている魚じゃないわ。えええー、どうなってるのこれ?」
「食べやすくするのも料理だけど、この場合は素材の味だろうね。魚が平気なら、そのうちお寿司も食べに行こうか。この国の代表的な料理だから、きっとこれよりずっと美味しく感じるよ」
「うわっ、行く行くっ、食べに行きたいわっ! 約束ね、カズヒホっ」
これだけニコニコと笑うマリーは初めて見るなぁ。向こうにいる間はたまに見られるくらいだったから、あれはあれで有り難みがあったけどね。
茶碗蒸しとお味噌汁をゆっくり食べ、そして外の桜をじっくりと眺める。なんとなく贅沢な時間だなと彼女を見て考えたりするが、それはマリーも同感だったらしい。
「ご飯を食べるだけなのに、すごく濃密な時間ね。ねえ、あの花はいつもあんな綺麗に咲いているのかしら?」
「ううん、年に一回。今の時期だけのお楽しみだよ。もしよかったら予定を変更して、桜を満喫しに行こうか。公園には何百本と桜の木があって、すごく綺麗なんだよ。どうす……っと、聞くまでもなかったか」
うずっとマリーは興味深々の顔をして、僕の手を握ってきた。遊園地へ行きたい子供のようであり、年頃の女の子のような表情でもある。
そういうわけでお腹いっぱいになった彼女の手を引き、お勘定を済ませることにした。店員から先導されるその途中、マリーはくいくいと袖を引いてくる。
「ええと、この国でお礼は何て言うの? 贅沢な時間を過ごせたお礼を言いたいの」
「そうだね、ご馳走様で良いんじゃないかな」
口の中で何度か言葉を
相手は外国人ではなくてエルフだけど、まあ日本人から見れば同じ「外人」か。そう考えると、ひどく公平な国かもしれない、などと思う。
さて、それでは平日の昼間からお花見にでも行きましょうか、エルフさん。
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