第3話 日本へようこそエルフさん

 

 ちゅんちゅんっ、という平和的なスズメの声を聞きながら、僕は頭を抱えている。

 そろそろと吐き出した息は、胸中の苦悩を表す重いもの。ぼんやりと窓の外を見上げ、そして呟いた。


「……結局、夜明けまで眠れなかった」


 無理もない、僕のベッドの中には少女がくうくうと眠っているのだ。

 布団から覗く髪はシルクのように輝き、目鼻立ちの綺麗さは妖精とさえ思える。肌の色素は薄く、それでも唇には花が咲いたような鮮やかさがあるので「冗談みたいに綺麗だな」と思い、つい何度も何度も覗き込んでしまう。


 彼女はれっきとしたエルフであり、しかも精霊術と魔術を使いこなす女性だ。

 この部屋が東京江東区のマンション、という点を除けば夢のような状況だろう。


 ふう、ともう一度深いため息を僕は吐く。

 ちらりと見ても、やはり夢や冗談などではなく、すうすうと気持ちよさそうな寝息をしていた。


 彼女の本名はマリアーベル。夢の中でいつも僕はマリーと呼んでおり、最近になってようやくちらほらと笑顔を見れるくらいの仲になった。

 しかし昨夜、少女と共に魔導竜からのブレスを受け、そして何故か一緒に目覚めてしまった。東京の快適さだけが自慢できる僕のベットでだ。


 考えるべきことは多いが、まずは彼女をパニックにさせないよう心がけよう。なんといっても夢の中だと信じていた世界から、この日本へとやって来てしまったのだ。

 もしも元の世界へ帰せと泣かれでもしたら、なんと詫びれば良いか分からない。確実に帰せる手など、今はなにも分からないのだ。


 などと考えている時に、彼女の瞳は見開かれていった。薄紫色のとても澄んだ瞳だ。息を飲むほど美しく、年甲斐もなく胸を高鳴らせてしまう。

 目の前で花が咲くように、鮮やかな色が生まれてゆくさまには魅了チャームの効果があったとしてもおかしくはない。

 そして唇はゆっくりと開き、彼女はエルフ語をつむぐ。


「…………カズヒホ?」

「や、やあ、おはようマリー」


 まどろむ瞳には光彩が生まれ、きゅっと眉尻を上げてマリーは見上げてくる。驚くのも無理はない、夢の中の僕は15歳程度の容姿だが、今は25歳という大人へと変貌しているのだ。


「え、お父さんとかじゃなくて……本人という事かしら?」

「うん、本人だよ。それは後で説明するけど、身体の痛みとかは無い? ほら、さっきは竜のブレスを受けたから」


 そう言うと、ようやく昨夜のことを思い出したのか、彼女はハッと瞳を見開かせ、布団を慌ててめくってしまう。

 素肌の肩が見えていたあたりで嫌な予感はしていたが、全裸のエルフを拝んでしまい……遅まきながら僕はそっと後ろを向いた。


「はああっ……!?!?!?」


 ここまで素っ頓狂な声を、僕は初めて聞いたかもしれない。

 脳裏に焼きついてしまった光景は、真っ白で輝かしい肌と、そして……ああ、思い出したらいけない。少女相手に頬が赤くなってしまう。


 ぼすんという音は布団をかぶり直した音だろう。……怖くて振り返れないがたぶんそうだ。

 視線が突き刺さっている背中や首は、ダラダラととめどなく汗が流れ落ちる。その僕へ向けて、わなわなと怒りに満ちた声が放たれた。


「あっ、あっ、あなたね……!!」

「ごめん! 知らなかったし、それに分かって欲しいけれど指の一本も触れていないからっ」


 ……などという言い訳を信用してくれれば嬉しい。

 部屋で目覚めて己が裸にされていれば、きっと僕なら信用するのは難しいだろう。あとはもう相手がどこまで信じるに足りるか、という問題だ。


 むすんという息は、怒りつつも僕の言葉を吟味しているのだろう。それほど深い付き合いでは無いが、僕の人となりを理解してくれてることに期待するしか無い。


「……怪我は無いわ。後でちゃんと説明をしてくれるかしら?」

「それはもちろん!」

「だからこっちを見ないで! まずは服っ!」


 ぼすんっと枕を頭に当てられ、否応無く女の子の服を買いに行かされたよ。




 さて、申し訳ないが会社には有給の旨を伝えると、彼女のサイズに合いそうな安いものを仕入れに行くことにした。

 せっかく可愛いのでちゃんとした物を買ってあげたいが、どうにも僕は微妙な服選びセンスしか持ち合わせていない。


「うーん、とりあえずの服だけにして、残りは後で一緒に買いに行こうか」


 うん、そうしよう。下着なんてサイズも好みも分からないんだし、スポーツタイプの伸縮性が良い奴を選ぼう。

 プリーツスカート、ハイソックスを籠に入れ、白い長袖シャツと合いそうなスニーカーを選ぶ。

 靴はね、本当にこだわりたいんだけどサイズが分からないのが悔しい……。


「あとで絶対にマリーと買いに行こう……」


 スニーカーが悪いわけではないのだが、ややフォーマルな格好には合わないだろうなー……うーん、と無意味に長い時間を浪費してしまった。

 いかんいかん、服のセンスが悪いとこういう時に悩んでしまう。


 さて、妥協の集大成である買い物袋を車に放り、家へまっすぐ戻ることにした。

 信号待ちをしているあいだ、とんとんとハンドルを指で叩いているうちに不思議な点に気がついた。それはいま買ったばかりの洋服を見ていたせいだろう。


 ――なぜ彼女は裸だったのか。


 杖やカバンなども無くなっていたように見えたし、隠すような余裕もなかったはずだ。

 はっと思い出すのは、僕自身も同じ状況だということだ。向こうで装備している服や獲得した物は、全てこちらへ持ってくることが出来ない。


 違いがあるとすれば、僕は寝間着を元から着ていたというくらいか。うん、案外とそれが原因かもしれない。夢と現実の世界はそれぞれが独立しており、マリーにとってこの世界は文字どおり裸一貫で現れざるを得なかった……のかもしれない。

 逆に僕は、初めて向こうの世界へとたどり着いたときは裸だったのだろうか。記憶をいくら漁っても幼少のときの記憶が戻ることは無かったが。


 などと不可思議な事態を受け止めつつある自分がいる。

 夢は夢と思っていたが、認識を変えないといけないみたいだ。こうして目の当たりにしてしまうと、否が応にも現実として考えざるを得ない。


 そう、現実に僕の部屋にはエルフがいる。

 誰も信じないことだろうけど、僕だけは信じてあげないといけない。マリーは実在し、僕は彼女の手を引いてベッドへ招き入れたのだ。


 信号は青へと変わり、ゆっくりと車は加速していった。




 階段を登り、部屋へ戻るとマリーは窓辺に立ち尽くしていた。毛布を身体に巻いているので「ちくわ」みたいだ、などと馬鹿なことを思う。

 一人住まいのマンションなので、1DKの小さな部屋だ。キッチンと寝室には、境目代わりに背の低いキャビネットを置いているくらいなので、ベッド脇に立つマリーを眺めることができる。


 そよそよとした風にカーテンが揺られ、その中にエルフがいる。ここは本当に日本なのだろうかと思うほど綺麗なもので、ほうと息を吐き、それから僕は声をかける。


「ただい……」

「カズヒホ、ここは一体どこなのかしら……?」


 立ち尽くしていたのは、外の景色を見ていたからか。まあ確かにあの世界とはまるで見た目が異なるだろうし、ショックを受けるものだろう。


「気持ちは分かるよ。僕も君たちの世界へ行ったときは……」

「こんなに高い建物に住んでるなんて、カズヒホは本当はお金持ちなんでしょう?! すごいすごい、こんなに発展しきった都市なんて初めて見るわ! はああー……下を見ると膝がガクガクするぅー」


 あ、違った。全然元気なハイテンション状態だった。

 まあね、僕もマリーの世界に行くとテンション上がるしね。類は友を呼ぶというか、度々彼女と遊んでいたのはたぶん性格が一致しているのだろう。好奇心や探究心が強く、どこまでものめり込んで行くのは僕とそっくりだ。


「ねえねえ、あの塔はなに? やっぱり大魔道士が住んでるのかしら?」

「塔? ああ、あれはスカイツリーだね。今日は休みをもらったから一緒に行ってみる?」


 今まで見たことのない、輝くような笑顔が待っていた。知らなかったなあ、マリーはミーハーだったのか。まあ落ち込まれるよりずっと良い。


「じゃあ今日は僕の住むところを案内しようか。それじゃあまず服を……」

「うわっうわっ、楽しみだわ! よろしくね、カズヒホ!」


 そんなに勢いよく抱きついたら――ああ、毛布が床に――なんて目で追わなければ良かったよ。ぷるっとした、眩しいほど綺麗なお尻が視線の先にあり……ばちん!と両目をマリーから覆われてしまった。




 浴室を使い、彼女の着替えを済ませる。

 もともと向こうの世界でマリーは魔術士らしくダブっとしたローブを着ていたものだ。階級により色が代わるらしく、最上位は深い紺色となる。

 なので今日は紺色を中心に選んでおり、折り目のある膝上のスカート、ハイソックスを組み合わせると、どことなく女学生の雰囲気を漂わせる。


「わあっ、軽いっ! 伸びるっ! 自由に動ける!」

「ええと、どうかな、気に入らなかったりする? あんまり洋服のセンスは無いからさ」

「もう凄くいいっ! こんなに細かい生地なんて初めて見たわ。いいのかしら、高かったでしょうに」


 テンションを上げつつも、散財したことに気を使っているらしい。ちょんちょんと指を合わせ、申し訳なく覗きこんでくる。お財布のことなんかよりも、もう怒っていない様子にほっとさせられる。

 といっても作りの甘さに定評のあるファッションセンター製だから……などと思っていたのだが、大きな宝石じみた瞳で見上げられると、安物服は思い切り化けた。


「はあー、着る人が変わればここまで印象が違うものなのか。凄く似合っているんだね、驚いちゃった」

「あら、お上手ね。でも私も気に入ったわ。こんな服、偉い人でもなかなか着られないもの」


 普段見慣れない太ももまで晒してくれて、目の前で一回転をサービスしてくれる彼女に「美少女どころじゃ無いな」とのんびり考える。

 すらりと伸びた腕はしなやかで、回転をしてもバランスはまったく乱れない。それはきっと、彼女自身の体幹が恐ろしく優れているのだろう。


「ちゃんとしたのは後で一緒に選ぼうよ。下着とか分からないし」

「ええっ、このフィット感はすごいわよ。激しく動いても全然平気だもの。十分過ぎてこれ以上は望まないわ」


 体重をまるで感じさせない動きで、ぴょんぴょんと跳ねる。こうして見ると僕よりずっと年上には思えないな。妹のようだ、なんて言ったらきっと「変態ね」という目をされるだろうから口には出さない。


「じゃあせっかくだし外で食事にしようか。マリーは味の好みはある?」

「臭みが無いものよ。新鮮なら嬉しいけど、そこまで高望みはしないわ。あとはカズヒホにお任せ。それから、この世界に来た理由とかちゃんと私に教えるのよ」


 了解と答え、車の鍵を持ってドアを開きかけ……。


「おっと忘れていた。この世界にエルフはいないんだ。だからこの帽子をかぶっていて」

「あら素敵なニット。そうね、あなたは言うほどセンスが悪いとは思わないわ」


 あら、そうなのかな?

 超インドア派にとって、洋服選びなんて大の苦手な部類だし、褒め言葉と受け取っておこうか。

 それからガチャリと扉を開く。まだお昼前ののんびりとした日差しに、どこか僕の胸はワクワクしている。それはきっと彼女の高揚が伝わっているせいだろう。


 初めて見る世界というのは、いつだってわくわくするものだ。

 こうして僕は生まれて初めて女の子とデートをすることになった。いやいや、エルフとデートするなんて、地球では初めてか、などと思い直す。

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