第2話 遊びに行こうよ、エルフさん

 

 この世界がたとえ夢の中だとしても痛いものは痛い。

 といっても現実のものとは違い「あ、痛いかも」くらいの痛覚だ。


 それくらいなら多少の怪我があっても気にならないし、そうでなくては冒険をとっくにやめていただろう。


「中に入ると結構広いのね。外観からは想像できなかったわ」

「うん、遺跡とはいえ街だったからね。入り口は単なる下水路だったんだ」


 かつこつと二人だけの足音を響かせ、ナズルナズル遺跡の探索を進めている。


 石を組んだ程度の作りではあるが、ところどころに強度を増す魔術が込められている紋様を見かける。そのおかげで千年経った今でも原型を留めているらしい。


 周囲は真っ暗ではあるが、彼女の生んだ光の精霊はすでに5体ほどおり、高い天井まで照らし出している。場合によっては敵に突撃して、激しい電気ショックを与えることもできるらしい。


「この強度を増やす技術って凄いよね、千年も耐えれるだなんて、町の建造物にも活用できないの?」

「無理じゃないかしら。魔力供給しなくても済むよう地脈に食い込んだ術式をしているから、よほど条件が合わなければならないもの。高名な術者も必要だし、お金を払える人がいるとは思えないわ」


 ふむふむ、よく分からないけど無理そうなら仕方ない。地震大国の日本にいると、こういう強度を上げる魔法なんてうらやましくなるよ。


「確かに地震は怖いけれど、そう何度も起きないでしょう? あなたは一体どこから来ているの?」

「ああ、日本って場所だけど地図には載っていないだろうね。すごく遠くの島国だよ」


 ふうん、と興味があるのか無いのか分からない顔を向けられる。

 この世界で、黒い髪と瞳の組み合わせは珍しいが、それよりもいま彼女が熱心なのは僕のお弁当だ。こうして遺跡について来たのも、カバンをチラチラと見ている通り、お弁当目的なのは分かっているぞ。


「あ、ちょうど良い座り場所があるね。そろそろお昼にする?」

「それが良いわ! ふふ、今日は何かしら~」


 急にエルフの足取りは軽くなり、いそいそと準備を手伝ってくれる。これで百歳以上だっていうんだから、エルフってよく分からない。……まあ、食事目当てとはいえ表情豊かな子って可愛いよね。


「じ、じゃあ開けるわね……」

「うん、いいよ。お箸は無理だろうし、手を洗ったらそのまま摘まんで良いからね」


 ぱかりとお弁当を開くと、彼女の瞳は子供のように輝いた。

 本日のメニューはおいなりと、れんこんの歯触りを楽しめる筑前煮だ。じゅわりと汁気のあるおいなりを口へと放り込み「んんーーっ!」とたまらなそうな顔をする。


「甘いっ! 煮物がさくさくで食べるのが止まらないっ! ねえねえ、この甘いのはなあに? 茶色いやつ」

「うん、おいなりさんだよ。冷えても味が引き締まって美味しいよね」


 こくこくっとマリーは頷き、そしてもう一つを指先へと摘まむ。しかし華奢なエルフとは思えない食べっぷりだなぁ。ひょいひょいと煮物とおいなりを放り込んでいく様子は見ていて楽しいや。


「こっちのジュースも美味しいよ。良かったら飲んでみて」

「むふっ、カズヒホについてきて良かったわ。いつも思うんだけど、これって手作りなの?」

「うん、今日はね。面倒なときはお店で買ってきちゃうかなぁ」

「どこで売ってるの!? ねえ、近くのシスル? それともフロックス?」


 まあ、日本なんて言えないよねぇ。

 困って頭を掻いていると「また内緒にして」眉を吊り上げられてしまった。


「でもいつでもご馳走するからさ。暇なときにはまた遊びに来ようよ」

「私も勉学があるからそんなに暇なわけではないのよ。ただそうね、たまになら構わないわ」


 にこっという笑みは彼女にしては珍しいので、つい見とれてしまう。本来は人嫌いな彼女ではあるが、こうして打ち解けてくると嬉しくなるものだ。


「じゃあそろそろ行こうか。夕方までには外に出たいしね」

「ええ、そうしましょう。炎よ凍れ」


 ぼぼっと音を立て、焚き火は綺麗に消えてくれた。足で踏み消せば良いのでは?と思いはしたが、精霊と魔法を操る彼女はプライドが高いので黙っておこう。

 手ぬぐいで指先を綺麗に拭き、膝元をぱんぱんと払って昼食は終わった。



 ナズルナズルの遺跡には水脈が多くながれており、どこに行っても適度な湿気がついてくる。水の枯れた水路を渡り、住居跡などを覗き込みながら先へと進む。


 千年前の遺跡ではあるが、地下にあるせいか風化は遅いもので、まだ人の暮らしていた光景が浮かび上がるかのようだ。こんな暗いところを住処にしていたなんて、滅んだとされる千年前はどんな人たちが住んでいたのだろうか。

 などと考えていると、もぞりと動く影があった。


「ちょっと待っててね。おーい、こんにちはー」


 ぎょっとするマリーを残して動く影へと近づくと、そいつはのそりとこちらを向く。立ち上がったトカゲという外見で、ワニなどと比べるとずっと横幅が大きい。


 レベルは20台といったところで、それなりに凶悪なモンスターだったりする。通称リザードマン。雌も「マン」と呼ぶのは少し不思議だが気にしないでおこう。


 そいつは丸い瞳をこちらへと向け、そしてぺこりと頭を下げてくる。レベル差が大きすぎるせいもあるけど、魔物の言語を習得しているので余程のことが無ければ争うことは無い。


「これはカズヒホさん。今日はエルフとお散歩ですか、憎いっすねー」

「ええっ、あの子はお弁当が目的なんじゃないかなあ……」


 話すことには慣れていないようで、ところどころが聞き取りづらい。とはいえ魔物の中には言語さえ無い種族も多いので、僕にとっては助かる範囲だ。


「彼女と遺跡を探検しに来たんだ。それで、この辺りは安全なの?」

「そうでも無いですよ。奥を寝床にしている竜が産卵期に入ったようなので危ないです。ほら、俺らは竜人族でしょう。祖先から竜の番人をしてますが、若い奴らなんて『俺たちは竜じゃなくてトカゲじゃないか』などと言い出す奴も……ああ、すみませんね。とにかく奥は産卵期で竜は獰猛ですからね。近づかないほうが良いですよ」


 けっこうペラペラ話すな、彼(彼女?)……。

 情報をくれたリザードマンに手を振り、その場を後にする。

 マリーのところへ戻ると、少しだけ目を丸くしていた。


「……呆れたわね、ついに魔物の言語も覚えたの? 文献なんて無いでしょう。どこで学んだのかしら?」

「うん、もちろん体当たりで教わったよ。何度襲われたか数え切れないし、モノにするまで3年くらいかかったかな。ほら、エルフ語はマリーから習ったじゃない。あんな感じ」

「ああ、本当に体当たりのあれね……。なぜかいま魔物が可哀想になったわ」


 無限に近しい時を生きるエルフにとっても、僕の生き方はよく理解できないらしい。眉間に人差し指をあて、皺を伸ばす仕草をされてしまった。

 ええー、でもモンスターやエルフと会話できたら楽しいのに。


 魔物の言語というのは多岐に渡っており、A群からE群まで大きく分類される。そのうちのC群までを覚えていると言ったらどんな顔をされるだろうか。


「けど便利だよ。マリーにも教えてあげようか?」

「……少しだけ興味があって困るわね。じゃあ明日あたり、時間があったらお願いしようかしら」

「うん、いいよ。マリーと明日の予定を組むのは初めてで少し嬉しいな」


 また口説いているのかしら、といぶかしむ視線を向けられてしまった。

 ほら、現実世界で25になるとさ、可愛い子っていうのは本当に貴重であり、一緒にいるだけでも嬉しいんだよ。もしそんなことを言ったら「変態なのかしら」という目を向けられるから口には出さないけどさ。


「それにしても竜の産卵期かー。見に行きたいなー」

「……また始まったわね、ゲテモノ料理でも作りたいのかしら?」

「ええ、違うよ。爬虫類の卵ってね、ゼリー状だったり殻付きだったり、中には柔らかい奴もあるんだって。竜の卵は脂っこいって聞くけどどうなんだろう。ふふ、やっぱり食べないと分からないよね」


 やっぱりそうじゃない、という顔をされてしまった……。

 とはいえ竜の卵というのは見てみたい。食べる気などは無いが、竜の卵とはどのような物なのか一度は見ておきたいじゃないか。

 あからさまに嫌そうな顔のマリーを引きずって、遺跡を奥深くまで進んで行った。




 さて、最奥部である。


 隠蔽ハイド効果のあるマントをすっぽりと頭から被り、すぐ隣を見るとマリーの綺麗な瞳が待っている。薄紫色の瞳に見とれてしまいそうだけど、今は危険なので互いに声を上げられない。


 岩の高台から見下ろすと、真っ暗な空間が待っていた。その奥からは、どどどーーと深く響く呼吸音があり、古代の竜が眠りについているだろうと分かる。けど、当然真っ暗な空間しか僕には見れない。


(じっとしていて。カズヒホにも暗視をかけてあげる)

(わあ、ありがとう。さすがはマリーだ)


 やっぱりマリーは頼りになるなぁ。

 薄暗いなか、彼女の指はほんのりと淡く光り、僕の眉間へぎゅうと押しつけられた。これは辺りの光を増幅する効果があるらしく、周囲が乱反射をして輝き出すと僕の視界を確保してくれる。


 それからもう一度覗き込むと、今度ははっきりと大きな竜が見える。

 大きい……。この体長になるときっと滅多に見ることは出来ない伝説級レジェンドだろうと思える。推定レベルは千を超えるかもしれない。もちろんレベル72の僕では手も足も出ないだろう。


(大きいねー、なんていう竜か分かる?)

(色が黒いし魔力が濃い……魔導竜アークドラゴンかもしれないわ。見て見て、体表にある刻印が動いている。呼吸をするだけで魔力を生むというのは本当だったのよ)


 おっかなびっくりのマリーだったが、今は瞳を知的好奇心に瞬かせている。

 しかしこれは……困ったな。マントはそこまで大きくないので、彼女からぎゅっと腕を抱きしめられている。華奢とはいえ彼女も当然女の子であり、2つの膨らみから挟まれると……。


(聞いているの、カズヒホ? もしも魔導竜なら大変なことよ。千年に一度の産卵期しか見かけられないの。鱗一枚……いいえ唾液の一滴でも大金になるわ。ああもう、興奮しちゃう)

(マリーはそういうところがエルフらしくないね。俗物的だって言われない?)


 そう言うと、じとりと薄紫色の瞳がこちらを向く。近くで見るとまつ毛が長く、肌の白さも相まって人形的な美しさだ。

 とはいえ冷たく睨まれると見とれてなどはいられない。


(あなたのせいでしょう。カズヒホがいなければ人の世界に興味を持つことも無かったもの。町は刺激が多くて、買いたいものも沢山あって困らされるわ)

(え、僕のせいなの? 外へ連れ出すようなこと、ひとことも言っていない気がするけど……)


 確かにエルフの集落に行き、何度か一緒に遊んだことはある。しかし誘い出すようなことを言った記憶は無いのだが。

 そんな事よりも、さらに強く抱きしめられて胸の感触が伝わってくる方が問題かもしれない。僕の精神年齢は大人だけど、マリーももう少し慎ましくあれば良いのに……。いや、うん、嬉しいんだけどね……。


 などという葛藤をしている場合では無かったようだ。

 いつの間にか魔導竜の双眸そうぼうは開かれており、ごるるという鳴き声が洞窟へ響いていた。


(き、気づかれていないかしら? ほら、目が開いて……)

(うん、こっち見てるね。でも大丈夫だよ。逃げ道はちゃんと確保してるから……)


 後ろを見ると小さな洞穴があり、子供くらいでなければ通れない大きさだ。当然、ドラゴンが追ってくることなどまず無理だろう。


 がしゃんっ!


 しかしその目の前で鉄格子が降り、2人揃って凍りついた。

 まさか、脱出不可イベント!? するとやはり伝説級なのか……!

 続いて鳴り響く音楽は戦闘開始を表すもので、超強敵を表す重厚なものだ。けれど僕らにとっては死へと直結するもので、抱き合ったままガタガタ震えるしか無い。


 ずしゃりと巨大な爪が足場へと乗り、煌々と光る瞳が現れる。せめて彼女は守ろうと抱き抱えたそのとき、火山口のように竜の口は開いてゆく。


 あー、こりゃあ今日も死ぬな……などと考えながら、苛烈な黒いブレスに包まれた。毛の一本も残さず蒸発した様子に、黒い竜は満足ぎみな「ぷすっ」という鼻息を放つ。それからのそのそと卵が待つ寝床へと戻って行った。



     §



 くあーっという欠伸を一つ。

 やはり部屋はとっぷりと暗く、見上げれば時計は夜中の3時を指していた。


 あーあ、せっかくマリーと冒険に出れたのに、早く目覚め過ぎちゃったなぁ。と思いつつ頭をポリポリとかく。

 とはいえ7時に就寝していたので、きっちり8時間は寝ているわけだ。ある意味で、健康的な睡眠時間かもしれない。


 枕元に置いていたペットボトルとお弁当はやはり空になっており、これが僕の人生にとって一番の不思議な出来事だろう。まさか夢の中で消化出来るなんて……まあ、誰にも自慢は出来ないか。


「うーん、トイレにでも行こうか」


 むくりとベッドから起き上がると、白いものが目に入る。そして隣へ「うん?」と目を向けると、僕の眠気は瞬間的に吹き飛んだ。


「まっ、マリー……!?!?」


 寝床の中にはもう1人、エルフの少女がくうくうと気持ちよさそうに寝ていたのだ。


 僕の人生にとって最も不思議なことが、この瞬間に更新された。夢は現実となり、エルフが部屋へ現れるという、ちょっと……いや、かなり変わった事件が起きたらしい。

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