友達の始め方
「聞きまして?ペトロフ令嬢の嫁ぎ先が決まったんですって」
「ウィノスティン公爵に相手にされず領地に引きこもっていると思ったら、他にお相手を探されていたのですね」
「お相手はどちらの方なのでしょう?」
「どうやら東にある小国の貴族らしいですわ」
静かに紅茶を嗜んでいた午後のカフェで、噂話にしては大きすぎる声がソフィアの耳へ届いた。眉を寄せて不快さを示すけれど、話に花を咲かせている彼女たちが気付く様子はない。
「確かにあれだけの醜態を晒したんですもの。この国でお相手を見つけるのは難しかったのでしょうね」
くすくすと扇で口元を隠しながら笑っている一人の令嬢が視界に映る。ソフィアは小さく溜息を吐きながらその場から立ち上がり、コツコツとヒールの音を鳴らして彼女たちのテーブルまで近寄った。
「相変わらずね。シラス侯爵家のご令嬢ともあろう方が、こんな所で陰口だなんて」
軽蔑の眼差しを隠そうともしないソフィアが現れた瞬間、その場にいた令嬢たちが慌てたように視線を逸らす。――ただ一人、アトラ・シラス侯爵令嬢を除いて。
「あら、陰口だなんて失礼ね。貴女の方こそ、相変わらず下級騎士を連れて歩いているようだけれど……もしかしてペットのようにお散歩でもしているのかしら」
「口を慎みなさい。アトラ」
自分の騎士を馬鹿にする物言いにソフィアはぎろりとアトラを睨むが、周囲が居心地の悪さを感じている中でも、睨まれた本人はおくびにも出さずにニコリと微笑むだけだった。
「いやね、ほんの冗談じゃない」
「……アンタはペトロフ令嬢を可愛がっていたんじゃなかったの?」
ヴィンスを馬鹿にされたことに対して色々と言いたいのを我慢して、ソフィアは一番最初に感じた疑問を投げかける。
「あら、何のこと?」
アトラは長い髪を耳へかけながら目を細めた。
***
「……相変わらず嫌な女」
アトラたちが帰ったカフェで、その場に残されたソフィアは一人小さく呟いた。ずっと後ろに立っていたヴィンスが、憂鬱そうにしている彼女へと声をかける。
「大丈夫ですか、ソフィア」
「ええ。貴方にも嫌な思いをさせて悪かったわね」
「俺はあの程度のこと、大したことではありません」
自分のことを気遣いヴィンスはそう言ってくれるのだと察して、ソフィアは彼に抱きつきたくなった。けれど今いる場所を思い出し、グッと耐える。そんな彼女の心境を知らず、ヴィンスは申し訳なさそうに謝罪した。
「……すみません」
「どうして貴方が謝るのよ」
「お二人の仲を壊したのは俺のせいですから」
予想もしてなかった発言に、ソフィアはきょとんと目を瞬き、吹き出してしまった。
「ぷっ……あははっ、いつの話してんのよ!」
「ですが……」
「はぁ〜、もう馬鹿ねぇ。貴方のせいなんかじゃないし、例えもしあの時のことがなかったとしても、いずれはこうなっていたわ」
それに、と。一人の少女を思い浮かべる。
今から数年前のことだ。ソフィアはとあるパーティーを抜け出して一人蹲っていた。
家族にヴィンスのことを反対され、それを友人のアトラに相談したら嘲笑された時のことを。
『あの、大丈夫ですか……?』
悔しさと悲しさで感情がぐちゃぐちゃになり、だけど泣いている所を誰にも見られたくもなくて、ドレスに顔を埋めてパーティーの陰で鼻を啜っていたソフィアに声をかけた人がいた。
桃色の髪をふわふわと揺らしながら、新緑の瞳を瞬かせ、遠慮がちに声を掛けてきた少女。それがリリアン・ハーシェルだった。
『別に何でもないわよ!あっちに行って!』
ソフィアは顔を歪めて少女に向かって叫んだ。しかし彼女はびくりと怯えながらも、その場から離れようとしない。終いには、うろうろと近くを歩き出すものだから酷く煩わしくて、ソフィアはイライラしながら早くどこかへ行くように願う。
しかしそんな願いとは裏腹に、少女はソフィアが泣き止むまでずっとその場から離れようとしなかった。
『はぁ……アンタ一体なんなの?』
『リリアン・ハーシェルと申します』
『いや、自己紹介しろって意味じゃなくて』
『ハンカチ良ければどうぞ』
少女のどこか抜けている姿にソフィアは呆れて毒気が抜かれていく。リリアンが差し出してくれるシワひとつない綺麗なハンカチを受け取りながら、ソフィアは愚痴を吐き出した。
『まぁいいわ、ついでだと思ってこのまま聞いてちょうだい。私には今、好きな人がいるんだけど、お父様もお母様もお姉様も皆がヴィンスのことを反対してくるの。それに一番の友達だと思っていたアトラには『ヴィンスは下級騎士だから、そんな人と一緒にいるだなんて自分の価値を下げる行為でしかない』って馬鹿にされたわ。だから紅茶をぶっ掛けてやったわよ!』
ペラペラとソフィアが愚痴をこぼしている間、リリアンは否定も肯定もせず、ただ静かに耳を傾けていた。そして、ソフィアの話が終わってから、ゆっくりと口を開いた。
『素敵ですね』
『はぁ?』
本当に自分の話を聞いていたのかと思うほど場違いな台詞に、ソフィアは思わず間抜けな声を出してしまう。
『アンタねぇ、今の私の話、聞いてたわけ?どこをどう聞けば、素敵だなんて言葉が出てくるのよ』
『?はい、もちろんです。家族もお友達もヴィンスさんのことも、みんなが大好きだってことですよね』
『……』
『大事だから認めてほしくて、どっちも諦めたくないんですよね。だから素敵だと思いました。そんなに大事だと思える人たちが、あなたのそばには沢山いるのですから』
そんな単純な話ではないと言い返したかったのに、ソフィアの口からは何も言葉は出なくて、代わりに涙が溢れる。悲しみや怒り、悔しさで泣いていた先程とは違い、ソフィアの胸を占めていたのは安堵だった。
初めてだったのだ。この気持ちを否定されなかったのは。それだけでソフィアには十分だった。
***
「……そんなことを言うなんて、随分と愛されながら育って来たのねと思ったわ」
ソフィアは初めてリリアンに会った日のことを懐古して笑った。しかし、ソフィアの予想とは違い、リリアンはパーティーでもお茶会でも、いつも一人静かに片隅で周囲を眺めていた。明るく笑顔が溢れる空間で、彼女だけが静寂に包まれていた。
リリアンに話しかける人も居たけれど、話題は彼女の弟に関することばかりだった。彼女自身を求めている人は誰もいなく、そしてリリアンもまた、それが当然であるように受け入れていて、ソフィアは悔しくなった。
『リリアン・ハーシェル』
『?』
『何一人でぼんやりしているのよ。そんなに暇なら――私が友達になってあげてもいいけれど?』
だからソフィアは「仕方ないわね」と言いたげに、一人でいたリリアンに手を差し出したのだ。
「――到着したようですね」
ヴィンスの声に意識を引き戻される。窓の外に顔を向けると、慌てた様子のリリアンがこちらに向かってきていた。待ち合わせから五分も過ぎているけれど、ソフィアは怒ることなく笑みを深める。
リリアンの良さを分かってくれる人が現れた時、ソフィアがどれほど嬉しかったのか彼女には分からないだろう。ティーパーティーの片隅にいた彼女へ差し出した手が、らしくもなく緊張で震えていたことも。
「……全部、アンタは知らないでしょうけど」
そして、ソフィアはそれで良かった。
息を切らしたリリアンがカフェに飛び込んでくる。ソフィアは頬に手をついて、いつもと変わらない言葉を口にした。
「この私を待たせるなんて、いい度胸じゃないの」
─────
いつもお読み頂きありがとうございます。
ビビアンのその後と、リリアンとソフィアの出会いでした。本来ビビアンにはもっと大きなざまぁを予定していましたが、リリアンの性格的にスッキリよりも、自責の念が強く残ってしまうため、このような形で落ち着きました。
そして、大変お待たせしております…!
今年中に2章 初恋の行方編の連載をスタート予定です。
現在の時系列は本編→オリヴァー番外編(本編の翌日)→ソフィア番外編(本編から数ヶ月後)で、2章はここから始まります。
1章ではクロードが頑張ったので、2章ではリリアンが頑張ります。クロードは相変わらずリリアンにゾッコン(死語)ですのでご安心ください。
2章開始前に1章の加筆修正を終わらせてしまいたい為もう暫くお待ち頂けますと幸いです…!
https://kakuyomu.jp/works/16818093079247091578
♡愛しの婚約者さまに、今日も命を狙われています♡
新連載始めてます!不穏なタイトルですが溺愛です。まだ未読の方は、2章開始までの空白期間にでもぜひ!
最後までありがとうございました。
それでは2章でまたお会いできたら嬉しいです。
女避けの為に選ばれた偽の恋人なはずなのに、なぜか公爵様に溺愛されています 本月花 @yingn
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