ほれ?

のぞき

単話


「すみません。これ、落としましたよ。」


 そう声を掛けられ、振り返ると、そこには黒髪を後ろで束ねた活発そうなポニーテールをした女の子は、土埃のついたそれを僕に差し出してくる。


「—――あっ、あの、えと、ああ、ども……。」


 我ながら情けない――。

 ここで素早くお礼の言葉も返すことができれば、印象もよかっただろう。

しかし、彼女は僕の心のうちなど知る由もなく、それを受け取ったのを目視すると、うんうんと頷き、笑顔を浮かべた。


その笑顔は、お日様を思わせるように温かく、相手を優しく抱擁してくれるような大輪の向日葵を彷彿させる――。



『この場の主役は彼女』だ――。そう言わんとするように時の流れ緩やかになり、周りの喧騒もみるみると小さくなっていく。



そんな笑顔に僕は、目を奪われ――――――



―――なかった。




心に雷を落とされることもなかった。



すんでのところで踏みとどまり、先ほど受け取ったそれを握りしめ、つま先を見るように視線を落とす。

そんな僕に対し、彼女は特に気にした素振りもなく、「じゃあね」と小さく手を振り、駆けるように去っていく。

彼女の足音が遠ざっていくのに合わせ、緩やかに時の流れは正常に戻り、周りの喧騒もより一層五月蠅く感じさせるほどまでになっていた。


そこで、やっと自分が呼吸を忘れていることに気づき、「ふぅ……」と息を吐く。



 思えば、高校生活はこそは、アニメやドラマなどで見るような「充実した生活を送るんだ」と息巻き、慣れない受験勉強を経て、都会の進学校に上京して来てはみたものの、女子生徒としゃべったのは、今のが初だった。初めてだった。

 いや、初めてといっても、中学生時代も女子としゃべることはあった。だが、世間一般でいう田舎であった母校は、同級生は皆無。それどころか、小中一貫の小中学校であった。中学生は僕を含め、二人、小学生は八人、その内、女子、いや、女の子は三人。そのいずれも低学年で、自分を「兄ちゃん」と慕ってくるため、恋愛対象にあたるような異性との付き合いはなかったのだ。そんな環境で育ったが故か、同年代の異性にどのように接していいかわからず、話しかけることもできず、なんなら話掛けられることもなく、4月を終えてしまったのだ。このまま何も起こらず、高校生活を送ってしまうのではないか――。




 そう考えていた矢先のあの笑顔だ。何なんだあの笑顔は。可愛いかよ。後ろで、髪を結ってなんだ。ポニテとか最高かよ。去り際の小さく手を振るやつ、こっちも振り返したくなるわ。そっちは異性と平然と話すことができるだろうが、こちとら耐性がないんじゃ。なんなら弱点属性じゃ。今ので、下手をすれば僕は恋に落ちてしまい、告白。場数を踏んでいない僕は、そのまま失敗。日を跨がず、女子ネットワークを介し、全クラス。下手をすれば、校内に知れ渡り、昼食時の他愛のない笑い話とされてしまっていただろう。それだけではなく、彼女の彼氏なるものが出てきて謝罪をさせられ、全校生徒の前で「僕の道化っぷりを楽しんでいただけましたか」と恥の上塗りを迫られることになっていたかもしれない。そうなってしまえば、僕の高校生活は一年一か月にして終わりに向かい始め、生徒とすれ違うたびに後ろ指をさされる存在になることも必然だった。




 そんな学園生活は嫌だ。絶対に嫌だ。



 恋することがこんなにも危険なことだったとは。



 何にしても――。




「危なかった……。」




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ほれ? のぞき @nozoki831

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