第10話 論理的愚行
『その笠を乗せるのは』
2019年10月21日
「ねえ、自殺って逃げだと思う?」
晴はさして深刻そうな顔もせず、声のトーンも普段と変えずに話している。
「自殺したいの?」
「そういうわけじゃないよ。自殺は逃げる行為なのか、そうじゃないのかってことを聞きたいだけだよ」
いつもとは明らかに違う内容に、私は一瞬混乱した。話し口からも察するに、今日の晴は明確な答えを持っていない。いつもなら私にある程度あらすじを話した上で、それをおもしろおかしく解決するはずだ。
しかし、今日は私に意見を求めるだけでなく、結論を導くまでの議論に私を巻き込もうとしている。
晴の表情はいつもと変わらないはずなのにどこか暗く見えるのは錯覚だろうか。晴はいつもよりも、道の先を見据えている気がした。
「私は逃げだと思う。こだまは?」
晴は何でもないことを聞くように、私の方を向いてそう尋ねた。
「私は逃げじゃないと思う。晴は何で逃げだと思ったの?」
私は平然を装い、それに対して反対の意見を述べる。
「人は自殺するときに、何かに追われているから。友人、恋人、上司だったり、仕事、もしくは自分自身。それを避けるために自殺するということは、逃げているだと私は思う」
「何か、誰かに傷つけられて、もしくは自分自身の心が自傷して精神を病んでしまう。だからと言って自殺は良し悪しではない。けど、その選択は決して間違っていることではない」
晴の言葉は真っ当ではあった。どこにもおかしなところはない。しかし、やはり晴の中で何か大きな変化が起こっている。
ただ私は、晴とは違う意見だ。どうせ隠しても晴にはばれる。
「そっか。私は自殺の善悪に口出しすることはできないけど、自殺は逃げじゃないと思うよ。機械的に思いやりを無くして言えば、自分が自分に追われるのは、本来人間を人間として保つための機能だから、って言えるけどさ」
「私は、自殺が逃げだったとして逃げた先の場所はどこにあるのかって思うよ」
晴は私の言葉にはっとした様子も見せず、ただ静かに聞いている。
「災害から逃げるときは、その先には避難場所がある。学校から逃げるときは、その先には家がある。もし自殺が逃げる行為と同じなら、その先にはどこか逃げ続ける必要のない場所があるべきじゃない?」
「もし、死後に天国と地獄があるとして、自分がどちらに行けるかは分からない。現実が地獄だと思って逃げた先に、本物の地獄があったとしたらもうそこから逃げ出すことは叶わない」
晴は依然、黙して私の話を聞いている。
「だから私は逃げだとは思わない。かといって私には他の言葉で表現するのは無理」
「もし輪廻転生があったら?」
「それがあるなら逃げだと思うよ」
「不確定な状態で走り出しても、逃げられるかどうかは分からない。だから逃げではないってこと?」
「そうだね」
「そっか」
晴は少し考え込むような表情を見せた。
落ち込んでいるような、ぼうっとしているような、その表情からは晴の心情は読みとれない。
「今日、学校休もうか?」
「いや、いいよ」
「でも…」
「今日小テストあるし、大丈夫」
今まで晴が授業の課題を気にしているのを、私は見たことがない。しかし、大丈夫だと言われてそれ以上踏み込むことはできなかった。
今日も話が終わる頃に学校に着く。その表情はいつもの曇り顔で、小テストがあるのは本当らしい。
「お昼すぐ行くから待っててね」
「いっつもすぐ来てくれるじゃん」
晴はそう言って笑っていた。
「こだま~、何か…元気ない?」
朝から机に伏している私に、智香が頭上から声を掛けた。
「いや~、何か晴が元気ないんだよね。どうしたもんかなって」
「ふ~ん。ここはひとつ、皆でお昼でも」
「…以外と効果あったりして」
智香ははっとして目を見開く。
「そうだよ~!晴ちゃんも賑やかにお昼を過ごせば、持ち直すって!」
智香はここぞとばかりに、自前の明るさを売り込んできた。
「今日いきなりはちょっと」
「まあそうかぁ、また優しく伝えといてね?」
智香も少しずつ晴のことを理解してきているようだ。引き際を把握し始めていた。
しかし、その顔は笑みを隠しきれていない。そんなに、そこまでして晴とお昼ご飯を食べたかったのだろうか。
「晴もだんだん慣れてきただろうし、もうちょっとでいけるかもね」
「そうなの~!最近手振ったら振り返してくれるの!かわいいよねぇ…」
智香の目には、晴が小動物のように映っているのだろうか。道端で子犬とすれ違ったのと同じような反応をしている。もしくは親戚の赤ちゃんだろうか。
私は智香に断りを入れ、晴がいる教室へと向かった。
「来たよ~」
「お~、待ってた」
晴は今日はお弁当を広げて待っていた。よほどお腹が空いているのか、弁当内でカーストが低いと判断されたブロッコリーがつままれている。
私は空いている椅子を借りて、晴の机にお弁当を広げた。
「ねえ、智香に手振ってあげたんだって?」
「…だって、無視してるみたいで可哀想だったから」
あれは智香の妄言ではなかったようで、晴は視線を外してそう言う。
「智香悪い子じゃないでしょ?今度お昼に連れてきていい?一回だけ!」
「…まあ…いいよ」
晴は良いとも駄目とも、言い難い顔をしながら頷いた。しかし、どちらかと言えば素直に良いと言いにくいといったところだろう。
頷いた後に顔を暗くさせることもなかった。
「ねえ、晴の朝の話ってさ、どういう基準なの?」
「まあ、その日見た夢かな」
晴は箸を止めずに、簡単に答えた。
「夢ねえ、明晰夢とか見れる感じ?」
「そんな都合よくないよ、ただ私は、誰かの受け売りで話してるわけじゃなくて、自分が思ったことを話してるだけ。夢は自分の思考の源泉だから」
顕在的な思考だけではどうしても陳腐なものが出来上がる。
潜在的な、思いつきのような、インスピレーションの塊、つまり夢を顕在意識で認識して出来上がるのが、晴の変な話だというのだ。
「へえ、じゃあ今日の夢はなんだったの?」
「こだまが自殺しようとする夢だった」
予想以上の答えに、私は一瞬たじろいだ。しかし、
「私はしないよ。世界で一番の価値を自分に感じてるから」
私は至っていつもの様子でそれを返す。
「ナルシストだね」
「褒めるなよ~」
晴は少しずついつもの調子に戻っていった。今朝の元気のない様子は、夢と向き合い切れていなかったからだった。良く言うならそうだが、単に怖い夢を見て元気がなかったという可愛い理由。
智香に話したらウケが良いだろうか。私の思考も徐々に楽観的になっていった。
午後の授業は午前と同じく寝ていた。しかし寝心地は、友達の悩みを解決した満足感と、昼の暖かさも相まって深い眠りへと誘う。
明日は元気になっているといいなあと、呑気なことを考えながら私の意識は途切れた。
2019年10月22日
「ねえ、夢って何?」
表情の暗い晴は、そう私に問いただした。
その語り口は、ついに私の意見だけを求めるようになった。いつもの「どう思う?」や、「何だと思う?」はどこへ行ったのか。肝心の晴は、ただ地面を見つめていた。
「見た本人の思考の源泉、でしょ?そう言ってたじゃん」
私の言葉に、晴は腑に落ちない様子。
「具体的には?」
「そうだなあ。人は一日に整理しきれないたくさんのことを経験するから、それをかみ砕いて理解できるように要約したのが夢じゃないかな。ときに省略して、ときに婉曲的に、その日の絵日記みたいな。私は夢あんま見ないんだけどね」
「じゃあ経験していないことが夢に出てきたら?」
「それは忘れているだけで、どこかで似たようなことを経験しているんだよ。脳がふと小さいころのことを思いだしたりね」
「じゃあ夢に現実感があったら?」
「それはちゃんと脳を休められてないんじゃないかな。脳が起きたまま、気を失うように寝ちゃったとかね」
「じゃあさ」
通学路のまだ半分。晴は突然立ち止まり、私の顔を見てこう言った。
「夢の中に知らない人が出てきたら?」
その目は助けを求めるように潤んでいた。私の目には、それが今にも泣きそうであるように映った。私は足早に晴に歩み寄る。
「晴、今日学校休も?何か食べに行こう。そこで話聞かせて?」
「でも…」
「大丈夫だから、ほら行こ?」
「…うん」
私は晴の背を押しながら、学校とは反対に歩き始めた。自分の目を拭う晴の姿は弱々しく、奇しくも智香のようにそれが小動物のように感じられた。
私はその足でファストフード店へと向かう。晴の大好きなモーニングのセットがある。朝早く起きられないくせに、大好物がその時間にしか食べられない。
そんなジレンマを抱えていた晴を今の晴と重ねたが、泣いている晴はもっと小さかった。
私は店に入ると、晴をソファの席に座らせ、自分のバッグを胸に抱かせた。こういうときは自分のものより、誰かのものに触れていた方が安心する。そんな気がする。急いで注文を終わらせ、私は椅子に座って晴と向かい合った。
「ねえ、晴教えて?晴はいつも変な夢を見るんだよね。いつもそんな怖い思いしてたの?」
「…いつもじゃ…ない」
「じゃあ…いつから?いつもと違うなあって思ったのはいつ?」
私は晴が気圧されないように、出来る限り言葉を柔らかくして聞いた。その甲斐あってか、何も寄せ付けなかった晴の身体は少しずつソファに沈んでいく。
「多分…こだまが……私の話を変だと思った時から…」
晴は過呼吸で言葉を詰まらせていた。私は急いで席を立ち、晴の隣に座る。背中をさすって何も聞かなかった。
その間、晴は勝手な鼓動を抑えようと、必死に息を吸っては吐き、また泣いていた。私はこの小動物、というよりも孤児から離れることはできなかった。
「分かった。おいで」
私は晴の手を引き、カウンターへと向かう。
イートインをテイクアウトに変えてもらい、数分の滞在でそこを後にする。私は右手は紙袋を、左手では晴の手を握り、来た道を引き返した。
「こだま…どこ行くの…」
「私のおばあちゃんのとこ」
晴の夢が精神的な疾患から来たものなのか、いわゆる霊的なものによって引き起こされたのかは、私には分からない。晴が泣いている。
ただそれだけで行き先を決めるのには十分だった。
自宅を通り過ぎ、山がある方へと歩いてく。だんだんと山が大きく鮮明に映り、街の雰囲気が変わったとき、そこには一目ではただの一軒家。しかし、知る者が見ると、そこには確かに何かがいる。
この場合の者とは、物であるか、はたまたモノであるかは選ばない。ただその世界に疎い私からすれば、ここはただのおばあちゃんの家だ。
「こだま…?」
玄関を通り過ぎ、庭の方へと向かう私を不思議そうに見る晴。
庭に出ると、そこにはシャッターで閉じられた裏口とその横に黒鴉占霊所の看板がある。私は晴の手を引いてその前に立ち、それを強くノックした。
しばらくすると、シャッターで遮られた奥から誰かが近づいてくる。勢いよく開かれたその先には、黒い衣服で痩身を包んだ還暦の女性。
私のおばあちゃんが驚いた顔をして立っていた。
「こだまちゃん…!どうしたの、学校は?」
「おばあちゃん、友達が、大変で」
私は晴に余計な気を持たせないように、言動をセーブしていた。
しかしおばあちゃんの目の前にしてそれが崩れかける。我の強い晴が泣き崩れていることが、私の心を揺さぶっていた。
「まあまあ、二人とも入りなさい」
おばあちゃんは不思議な構造の玄関に私たちを通した。
黒を基調とした家具で揃えられたリビングは、応接間として使われていた。
私たちは促されるがまま、ソファに腰を掛ける。しばらくすると、おばあちゃんが紅茶を持って現れた。
「その子お紅茶飲めるかな?」
「晴は何でも飲めるから大丈夫だよ」
「そう、まずは落ち着いて、ね?」
おばあちゃんは私たちの前に、ティーカップと鴉の絵が描いてある角砂糖を置いた。私は晴に聞くまでもなく角砂糖を入れ、カップを手に持たせた。
目の前の液体を見た晴は、それが求めていたものだったのか、私が飲もうとする前に口にしていた。
「熱い…」
「猫舌だったね」
晴はそれを飲むのを止め、震えていた手を暖めた。
「ふふ、あなたたち仲良いのね」
身を寄せた座っていた私たちを見て、おばあちゃんはそう言った。
晴の心は少し和んだようだった。歩いたおかげだろうか、さっきのように過呼吸になることもなく座っている。いやこの紅茶のおかげだろうか。私は自分が落ち着きを取り戻したことでそう感じた。
「晴ちゃんでいいのよね、何の仕業かは分かってる。でも何が起きたかまで分からないから教えてくれる?おばあちゃん、心が読めるわけじゃないから」
おばあちゃんはそう言って笑った。
人見知りの晴も、私の身内だからかあまり緊張している様子はない。晴がゆっくりと夢の正体を語り始めた。
「…私は小学生の頃から、変な夢を見ることが多いんです。怖い夢ってわけじゃなくて、こう、頭の中で整理のつかないことを夢で見るというか」
夢の説明を聞いていた私は腑に落ちた。幼いときの脳では処理しきれない思考を潜在意識が感じ取り、夢という形で顕在意識に認識させる。
私が説明を補足しながら、夢のメカニズムをおばあちゃんに伝えた。
「そうね、そこまでは問題ない。いつからおかしくなったの?」
「多分、二か月前からです。私は頭をすっきりさせるために、自分の夢を解釈してこだまに話すようにしているんです。こだまは『私の話は変だけど、無駄がない』って言うんですけど…自覚はないんです、でも最近の話はどこかおかしいらしくて」
話すことが目的だと思っていた私は、その話に妙に感心してしまった。
ここまでは私が聞いた話とさほど変わらない。おばあちゃんも核心には至っていないと思っているのか、踏み込んだ質問をする。
「話しにくいかもしれないけど、今週に見た夢の内容を教えてもらえる?ゆっくりでいいからね」
晴は言葉を詰まらせたが、私が背中に手を回すとゆっくりと話し始めた。
「一昨日は、たくさんの人に皆に否定される夢を見ました。昨日はこだまが自殺しちゃう夢です」
晴が一昨日にした話に辻褄があう。
全てを否定されることへの対抗手段として、否定の言葉を重ねてカモフラージュしたのだろう。ただ晴はそれを実用性がないと判断し、多重否定を肯定する方法として私に話した。
自殺に関してはあまり聞かない方が良さそうだ。そして肝心の今日の夢。
「今日は何があったとか…何をされたとかじゃなくて…知らない男に見られていたんです。早朝の海で、寒くて、でもその変な男から視線を動かせなくて…人の形はしているんですけど何か異様っていうか」
「ゆっくり近づいてくるとかじゃないんです...すごく遠くの海の上に浮いたまま動かなくて、でも私の目にははっきり男の顔が見えるんです。私は夢自体に解釈を持つことになってしまって…パニックになりました」
本来、晴に解釈を与える夢の中で、その男によって夢自体に解釈を持たされてしまった。実際には解釈できずにいるが、顕在意識の内側の潜在意識、その内側に何かがいると錯覚して、精神が制御できなくなったのだろう。
おばあちゃんはその話を聞くと、その正体ではなくもっと根本的な話を始めた。
「晴ちゃん、こだまちゃんもよく聞いておいて。占霊所を掲げてる私が言ってはいけないのだけど、不思議なことが起きたとき、それを霊という括りで有耶無耶にしてはいけない。そうすることで、その怪異に逃げ道を作ることになってしまうから」
おばあちゃんは真剣な表情で私たちに話しかける。
「私が占霊所と掲げているのは、人にとって理解しやすい言葉だからなの。でも実際、この世にいるものはそんな言葉では表現しきれない。おかしなことを霊の仕業で終わらせてはならない。説明のつかない現象を、説明のつかないものを理由に終わらせてはならないの。不思議なことには、必ず論理的な理由がある。それが私たちの常識に反していようとも、必ずこの世界に則っている」
私たちの間で視線を行き来していたおばあちゃんの目が、晴の方だけを向いた。
「晴ちゃん、その夢は男が引き起こしているものじゃない、その夢が男を引き寄せてしまっている。普段晴ちゃんの頭の中を基にする夢の中で、外部の何かを引き入れてしまった。自分の中で完結していたものが他のルーツのせいで、夢そのものの解釈を問うてしまった」
私は正直、おばあちゃんが何をどこまで知っているかは分からない。
しかし、その言葉は無責任に発されたものではないことは分かる。確かに晴に道を示してくれようとしている。
「今から話すことは、おとぎ話のように聞こえてしまうかもしれない。おばあちゃんの言うことを疑わずに聞いてくれる?」
私たちは首を縦に振った。
「この世には持つ者と持たざる者がいる、なんて言ったら差別主義のようだけど、両者の違いは持って生まれたかと、持つ可能性を残して生まれたか。能力というものは必ずしも才能というわけではない」
「能力ってどういうこと、おばあちゃん」
先の見えない話に、私は困惑してそう尋ねた。
「表すなら超能力。それは神が投げやりに与えたものじゃなく、誰にでも備わっている理にかなった力。晴ちゃんの力はその一つだよ」
おばあちゃんは前置きの通りに、受け入れるには難しい事実を話す。
「…能力って何のためですか」
「理由はないの。使命を背負わされて生まれてきたわけじゃないからね。ただ人間に備わったということは、進化の過程で必要だったということ。誰にでも簡単に認識することができないのも、また必要なこと」
「晴ちゃんが持っているそれは能力。先天的か後天的か、晴ちゃんが生まれながらにして持っていた可能性もある」
晴は何やら考え込んでいるようだった。心当たりがあるのか、疑念を打ち晴らすよりもそれを理解しようとするように見える。
私は晴がふさぎ込んでしまうことが心配だった。ただ本心では、晴が離れていくのが怖かったのだ。
「晴、いったん休憩にしよ?家出てからトイレ行ってないでしょ?」
「…あ、うん。すみませんトイレお借りします」
晴はおばあちゃんの案内で廊下の奥へ進んでいった。
私は二人がいなくなった部屋で考え込んでいた。おばあちゃんの言葉に嘘やごまかしはない。なら、晴はこれからどう生きていけばいいのか。
「晴ちゃんが心配?」
おばあちゃんが私の後ろを通ってソファへと戻る。私を見る目は優しさそのもので、しかしその表情は躊躇をするような陰りがあった。
「こだまちゃん」
晴がいなくなった部屋で、おばあちゃんの口から話されたのは、門外不出のお話。おばあちゃんは、ずっと、優しい表情のままだった。
「晴ちゃん、その力とは向き合わなければいけない。いつでもここを頼りなさい」
「ありがとうございます。またお邪魔します」
私よりも先に外に出た晴の後ろ姿は、寂しさを感じさせた。
「おばあちゃん、またね」
私は庭先で待つ晴の前で振り返り、おばあちゃんに別れを告げた。
「しっかりね」
おばあちゃんは私たちを毅然とした目で送った。この先油断はなし。そう思わせる目だった。
「晴、大変なことになったね」
「うん、でも解決してよかったよ」
私たちは来た道を引き返している。曇りだった天気はいつの間にか雨に変わったようで、借りて来た一本の傘を二人で差していた。
「でもこれからその能力、何とかしなきゃいけないんでしょ?」
「そうだけど、いつも夢は見てるからさ。何とかなるよ」
私たちはお互いの歩幅に合わせるようにして歩く。いつもは私が遅くして、晴が早くして。今は私が晴を遅くしていた。
「能力って何の役に立つんだろうね」
「さあ、これから分かっていくんじゃない?」
晴は急に立ち止まる。
「ねえ、言いたいことがあるなら言いなよ」
晴は傘から出て私の方を振り向くと、そう言った。
「晴、耐えられる?」
「何が」
晴が語気を強めてそう言うが、私は一歩も引かずに返す。
「今日みたいに耐えられない夢が続いたら」
「耐える、耐えてみせる」
晴は私の言葉を遮ってそう言った。晴はすぐに前に向き直って歩き出した。その無計画な発言が引っかかった私は、つい言葉を荒げた。
「そんなこと言って最近おかしかったじゃん!今日くらいじゃ済まないよ!」
晴は私がそう叫ぶとまた振り返り、少し不思議そうに、けれど自分も同じように顔をゆがめて言葉を返す。
「それは私が知らなかったからでしょ!次からは何ともない!」
「知ってからの方が怖いに決まってるよばか!夢を不思議に思うにつれてだんだんおかしくなっていった…夢がおかしいことに気付いたらもっと怖い思いするに決まってるじゃん!!」
私の目は潤み、視界がぼやける。
「こだまは何も知らないでしょ!」
「晴も知らないよ!!この先どんな夢を見るかなんて晴も知らない!!」
「じゃあどうすればいいのさッ!!!!!」
晴は泣いていた。頬を伝うものは涙か雨粒か分からない。私は晴に夢中になって、雨が遅く落ちて見えた。晴はその場でしゃがみこんだ。私は晴に近づけなかった。
「子供のころから変だなって…思ってたよ。起きても夢のことは鮮明に覚えてるし…夢を見ないで寝れたことはないし…怖い夢ばかり見るし…でも自分の問題だから頑張って乗り切ってた。でもこわいよ...なんでこんな夢ばっかり見なきゃいけないの…?夢の中では自由に動けても自在じゃない…怖いものが襲ってきても何もできない…」
「それに一度見た怖い夢は何度も来たりする…昨日見たおじさんだって今日も夢で現れるかもしれないんだよ。刃物を持ってるかもしれない…だんだん近づいて来るかもしれない…身体を…好き放題されるかもしれない…!!!こんなのもうやだよ!!!でも我慢するしかないじゃんッ!!!」
私は泣いたまま崩れていく晴を抱き寄せた。
私の肩に顔をうずめて、声をあげて泣いている。晴のこんな弱々しい姿は見たことない。本当はずっとこうしたかったのかもしれない。
本当は回りくどい話じゃなくて、本音で話したかったのかもしれない。
「晴…?聞いてくれる?」
雨は一層強く降り注ぐ。晴は嗚咽を漏らしながら、私の声に答えるように肩から顔を出した。私は晴が不安にならないように、少しだけ体を離した。
「私がその能力貰ってあげる。晴はもう苦しまなくていい」
晴は言葉にならない声で、私の言葉に疑問を示した。
「こだまちゃん、今から話すことは晴ちゃんには話せない」
おばあちゃんは優しい目のまま、真剣な表情をして言った。
「晴ちゃんは…きっと自分の能力に耐えられない。晴ちゃんのものはまだ能力として使える段階にない。きっと悪夢はもっと悲惨で惨いものに変わる」
「耐えられないって…おばあちゃん何とかできないの…?」
「人の能力の性質を変えることはできないの。このままじゃ、晴ちゃんは潰れて廃人になるか、自ら命を絶ってしまう」
私は助けを求めてきた場所で絶望を知り、おばあちゃんに食い下がった。
「おばあちゃん、何とかできないの…?私は晴には死んでほしくない…一生の友達だから…」
私は戻ってくる晴のことを考え、目の奥から押し寄せる涙をせき止める。おばあちゃんは、一番優しい声で私に秘密を語った。
「こだまちゃん、今から話すことは強要するものじゃない。それだけは覚えておいて。こだまちゃんが大事に思う人は、おばあちゃんにとっても大事。おばあちゃんはそれ以上にこだまちゃんのことが大事。本当は教えたくないけど、大事な孫の期待に応えられるおばあちゃんでありたいから」
おばあちゃんはそれを言う心構えが欲しいのか、長い前置きを語った。
「教えて、おばあちゃん」
私は一切言葉を濁さず、そう聞いた。
「…能力は人に移すことができる。こだまちゃん、晴ちゃんの能力を受け取ろうと思えば、おばあちゃんはそれをしてあげられる」
私はそれに活路を見出す。
「おばあちゃん。お願い」
「いいのかい、晴ちゃんはこだまちゃんが苦しむのを拒むかもしれない」
悩む間もなく答えを出す私に、おばあちゃんは再び確認を重ねる。
「私は晴が苦しむのは嫌だ」
「…こだまちゃんは、やっぱりおばあちゃんの孫だね」
おばあちゃんは私の答えに、私の頭を撫でながらそう返した。
「私が代わりにその能力を受け取る。そうすれば晴は苦しまない」
「…何言ってんの。そうしたらこだまが苦しむことになるじゃん!!」
「いいの!!晴が苦しまないならそれでいいの!!!」
「よくない!私のせいでこだまが苦しんだら」
「いいのッ!!!!!」
私は晴の言葉を遮るように抱き寄せた。晴は驚いて硬直している。
「私は晴が苦しむのを見ていられない…見たくないの…お願い…その能力を私にちょうだい…」
私はぐしゃぐしゃに泣きながら、晴に気持ちを伝えた。
晴はどうしようもない私の力と無責任に備えられた能力に縛られ、無力感から泣いている。
体を寄せ合い、目を腫らして雨にされるがままの私たちを見て、おばあちゃんは何もいわずにシャッターを通した。
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