第15話 快楽、欲望、合真我了


     『その笠を乗せるのは』


 2024年6月30日

「今日は何が出るんだろうな?犬かな?猫かな?」

「…」


「猿かな?狼かな?」

「…」


「会話はしたくねえってか!気分悪いぞ嬢ちゃん!あの男になんかされたのか!?」

「何もされてないよ、お前が吹っ飛ばしたんだから。眠いだけだよ」


 合真あいまは至って、気遣いの魂胆で笠待の顔を覗くが、その迷惑そうな表情を確認して安心する。

 どれだけ歩こうとも、周囲には広大な田んぼや畑、山々の緑が広がるのみである。人っ子一人、それどころか野生動物一匹すらまともに見ることはない。しかし、何度も来た田舎道というだけあり、顔見知りの農家が歩いていることはざらであった。


「まあ元気出せとは言わねえけどさ、テンション上げてこうぜ!」

「…お前は存在が矛盾なのか」

「そこらへんの怪異と一緒にすんなよな!俺は妖怪Mk-Ⅱだ!種として上位!」

「頭痛くなるからもう喋んないで」


 辛そうな表情を浮かべた笠待を見かねて、合真はその喧しい口を閉じる。しかし、笠待の気分の悪さは低気圧のせいであると、半ば理不尽な解釈をしていた。

 自身が原因そのものであるとは、微塵も思っていない。常人であれば精神異常にも見えかねない自由奔放さ、それが合真を合真たらしめるものである。既に考えていることは、小さい頃の自然の中での思い出であった。

 小さい自分が腰に携えたはずの真っ白い真剣は、現実へ戻るとただの棒きれになっていた。だだっぴろい自然に響くのは、合真の靴から鳴るドレミファソラシドの音だけであり、これには隣の者も存外、文句は言えない。


「笠待ちゃん、前はここ何がいたっけ」

「前…なんだっけ…でっかい化け物…みたいな?」


「あ~!そうだな!でかすぎたやつだろ!」

「あっちにそのまんま画像張り付けたみたいになってたよ。めちゃくちゃ遠くにいたのに、小さく思えなかったもん」

 笠待はそう言って、一本道の先を指差す。以前、この場所に現れた怪異のことを鮮明に思い出していった。


 車が何とかすれ違える道の先で、人の形をした真っ黒い何かが立っていた。一目で、それが人間よりも遥かに大きいと判別する。しかし、その道をまたいでいたことが、更にその大きさを物語っていた。

 いつものように、笠待の手には紙きれが握られる。その瞬間、既に合真はスタートを切っていた。合真は怪物に近づくにつれて、どんどんと小さくなっていく。しかし、怪異に到達する前に、合真は目視可能な距離からはいなくなっていた。位置情報が示す合真と笠待との距離は、7kmを示していた。


「馬鹿でかかったなあれ…とりあえず殴り飛ばしたら消えたけどな!」

「それ本当に解決してるのか…?」


「知らん!」

「はあ…」


 笠待は馬鹿にも種類があるのだろうと、心からそう思わされる。ただでさえ苦手な早朝に加えて、目覚まし時計が隣を歩いている。笠待は自身に平穏が訪れないことを嘆いて、口を吐けばため息を漏らす。

 怪異に遭遇するべく、気力の抜けた身体でのろのろと歩いていった。しかし、合真が立ち止まったことで、その身体は力を取り戻すこととなった。


 下を向いていた笠待は、立ち止まった合真の背中にぶつかってしまう。怒りも沸き上がらず、髪を後ろで結った合真の後頭部を見上げている。


「…笠待ちゃん。悪いけど無理にでも元気出してもらわなきゃだめかもな」

「あ?しつこい…な…」

 二人の視線の先に、その怪異は立っていた。


 数十メートル間を空けて、そこに佇んでいたのは全身が真っ白なのっぺらぼうである。何かに身を包んでいるようには見受けられず、それが生まれたままの姿のようであった。

 多くの怪異が持つ、特有で特異な身体的特徴もなく、それ故に、性別の判断はできない。そのある意味で異様な姿は、『人型の何か』という言葉でしか形容することができない。


「ちょっとやばい相手かもな!だが!俺の本気に耐えられるかな!」

 呑気な決め台詞で突っ込もうとする合真を、笠待は前に手を出すことで制する。


「ねえ、言ったことないけど私の能力って、対象によっては出ない時があるんだよ」

「ん?そうなの?妨害されるのか」

「違う、私の状態と相手の状態を比べたとき、稀に出ないことがある」

 笠待が表す状態とは、自身が周囲の影響力も反映される。

 つまりこの状況において、合真が隣にいるという状況を踏まえて助言がなされる。


「一つは自分が新しく何かを講じる必要がないほど相手が弱い場合。もう一つは」


「現段階で、何をしたところで対処不能な相手だった場合」

「それまじ?」


 のっぺらぼうはだんだんと距離を縮める。それは悠然と歩くのではなく、針金の通された粘土人形のように、背筋の通った姿勢を保っていた。笠待はどこか違和感を感じるとともに、その感情の正体は恐怖であると片付ける。

 のっぺらぼうは、その距離を半分ほど縮めたところで立ち止まった。


「オ前タち!何者ダ!」

 予想だにしないことに、笠待は思わず身を震わせる。

 その場の空気は震えて一新したかのようであった。その身体のどこにも、発声器官のようなものは見受けられない。表情の代わりに、音に乗せられた声色と身振り手振りがその感情を伝える。


「それ、そっちが言うのか…?」

「本来ハ、先に名乗るノガ礼儀ダロう。ダガ悪人ニ名乗る名ハナい!」

 のっぺらぼうは合真を、恐らく笠待でさえも悪人であると断定した。

 お門違いの言葉と、論理の崩壊した言い分。それに対して、笠待が黙って見ているという状況は決して起こらない。

 それさえも、それこそが、笠待が含める『状態』の一種であった。

 

「悪人?どの辺が?」

「そノ男!見るカらニ悪そうダ!柄ガ悪い!そしてそノ隣を歩いているオ前!オ前ノようナ一見小さく弱そうナ人間ハ実ハボスナンダ!お決まりダロ!」


「全く理にかなっていない、柄が悪いから悪人?なら、真っ白だから身が潔白だとでも言うの?」

「こノ純白ノ身体ハ、潔白ナ正義を表す!」


「名は体を表すからって、体が中身を表すの?その言い分なら、小さい人間は絶対に悪の親玉で、生まれ持った真っ白な体のお前は生まれつき善人。そういうことだよね?」

「ン…そうダ…?」


「それを肯定した瞬間、お前は差別主義のクソ野郎になるけど、それでも合っている?私たちが悪人なら、悪人が悪人に喧嘩を吹っ掛けているだけだよね。だったら私たちも悪人に名乗る名はない。同じ穴の狢。そもそも」

「うるさいナ、正義ノ名ノもとに…」

「正義って言葉が一番嫌いだ、無責任」


「おい笠待ちゃんッ!喧嘩売るなって!」

 普段は制御される側である合真。それ故に、他人の暴走を諫めていることに慣れていない。合真のような素で抑えの利かない人間は、簡単にレバーが切り替わる。

 しかし、諫める側が暴走したとき、そのレバーは振り切ってしまって、もう戻ることは叶わない。


「なんだよハゲ。かかって来いよ」

「笠待ちゃんッ!」

 のっぺらぼうは、一瞬のうちに笠待との距離を詰める。無表情なそいつの感情は、全て拳に握られていた。正義の鉄拳が笠待に振り下ろされる。まるでプレス機に潰されるような重圧がかかる。

 しかし、その拳は空を切って地面に打撃を与えた。


「窮地はすぐ脱しろ、それが俺のモットーだ」

 その何かは振り返ると、背後にいる合真と笠待を捉えた。当たっていたはずの攻撃、それを外されたどころか、先ほどまでと立ち位置が入れ替わっている。

 その動きはのっぺらぼうに見えなかったわけではない。まるで、瞬間移動でもしたかのように早かったのだ。


「オ前、怪しいな。悪者ダロ」

「漢同士なら拳で語り合おうぜ。というか男か?」


「ヒーローと言えば男ダロ!」

「多様性のかけらもない木偶の坊が」

「笠待ちゃんッ!」


 笠待は合真に抱えられながらも、依然として暴言を吐き続ける。

 その姿は、一国の姫であるかのように傲慢で、守ってもらえることが当たり前のよう。のっぺらぼうの目には、そのように映ったはずであった。


「ア?」


 のっぺらぼうが次に笠待を認識した瞬間、既に笠待は地に足をついて立っていた。

 目を持たないのっぺらぼうには、まばたきという人間に生来備わった目くらましは存在しない。笠待の目はのっぺらぼうを睨んでいるままであるが、それに怨嗟を向けている場合ではない。

 視界に入れておかなければならない男が一人、視界から消えたことで、のっぺらぼうの思考の糸が一瞬途切れた。


「動揺する間に乗じて」

 尋常ではないスピードで消えては現れた合真。それに対して、のっぺらぼうは全く反応することができない。合真はその足で移動していたのではなく、元より瞬間移動していた。

 合真が固く握った拳が、のっぺらぼうの背中へと刺さる。


「最強アッパーカットオォッ!!!!!」

「ガァッ!」

 めり込んだパンチは背骨の最後尾を捉え、のっぺらぼうの身体を空に向かって突き上げた。合真は既に凱旋をしている、天上天下の大行進。

 合真が放った拳は最高火力を叩き出し、数十メートル先で宙に浮かんだのっぺらぼうの身体は、上昇速度を失い、落下のスピードへと変わる。

 地面が近くなるものっぺらぼうは体勢を取り戻さず、そのまま地面に激突した。


「チャンピオン合真あいま我了がりょう、数日間は寝ときな」

 合真は勝利を確信したように、するピースサインは手のひらに、信念を握ったまま。拳を空に突き上げてから捨て台詞を吐く。落下体を背にしたまま歩き出した。

 そのとき笠待は、のっぺらぼうに対してではなく、たった今起こった事象、変化した状況に対してのメッセージを受け取ると、油断している合真に呼びかける。


「合真」

「分かってるよ!立ってくんだろ!おもしろいなあッ!」

 合真は決着がつくことを願いつつも、油断はしていないようであった。支離滅裂な言葉を並べて闘う姿は、のっぺらぼうの動揺を誘う。

 のっぺらぼうが立ち上がる様子を窺っているが、その姿には傷一つなく、合真の攻撃が利いているのかどうかも定かではない。合真は依然怯むことなく、得体の知れない化け物に向かって、ファイティングポーズをとって迎え撃つ。


「なあ世の中ってさ、一つのことだけ突出しててもそれだけかよ、って批判食らうんだぜ?そりゃ俺だってやってみてえよ。それが俺の売りだからやってんのに、そんなこと言われてもだよなぁ?」

「正義ノ名ノ下ニオ前らを許すことハできナい!悪ハ倒れるべきダ!」


「俺だって、踏み抜くくらい地に足つけて頑張ってんのに、流れが大事だとか、お前には波がないとか!うるせえってんだよなぁ!!!」

「オ前相当強いナ?でもヒーローは負けナい!!!」


「お前話通じないな!」

「オ前がナ!」

 その不毛な議論は平行線。互いに言葉を交わしているようで、会話が成立していない。のっぺらぼうは、一辺倒な言葉を並べながら体勢を立て直し、合真とは対極に腕を下げて直立している。


「時間が惜しい。イライラなんだよ、すげえ五月蠅うるせえ虫がいんだよ、俺の腹には!さっさときらきら星にしてやるぜ!このスペースデブリが!」

「星にナって消えるのハ悪者ノ役目ダロ!」

 一方は、正義を背負った何か。また一方は、この長閑な村を背負った男。それ故に、リングは田んぼに囲まれた一本道である。互いに武器は用いず、自らが鍛え上げた身体のみを凶器として、壮絶なストリートファイトが始まろうとしていた。




「なあ、黒鷺。合真ってどんな奴なんだ?」

「合真?変な奴」


「それは分かってる。何か能力を持ってるのか?」

「まあそりゃあね、じゃなかったら遠方の調査を単独で任せてないよ」

 黒鷺は温かいカフェラテを啜りながら、仰丸の疑問に答える。今朝の調査から数時間が経ち、時刻は正午に達しようとしている。


「今は晴と一緒に調査に行ってるから、晴の心配はしなくても大丈夫」

 黒鷺は、仰丸が内に秘めた不安事をぴたりと言い当てる。


「強いのか?」

 仰丸は自身の強さが故に、相手に対して無意識な侮りを持っている。生まれつきの自然な強さには何者も勝てない。それが常に思考としてあるわけではないものの、笠待と出会ってからは、その考えを心の奥底にしまうようにしていた。

 笠待の前から姿を消した今、その安否を気にするあまり、他人の強さに対して懐疑的になっている。生来、感じたことのない不安を解消したいという欲求が仰丸を突き動かした。


「強いよ。合真で守れなかったら他の誰にも無理だね」

「そうか…じゃあ大丈夫だな。俺も同じことを言われた」

「お、随分信頼されてんじゃん」

 黒鷺は白いマグカップを片手に、用意した洋菓子に手を伸ばしている。出来合いのマドレーヌが、個包装を外されて小皿に置かれていた。


「合真にも調子悪いときはあるよ、いつでも完全超人ってわけじゃない」

「それでも相当強いんだろ?」

「ちなみに今日、晴は9時から調査に向かった。いつもは二時間くらいしたら電話が来るはずなのに今日は来ない」

 たった一言、それは仰丸に絶望にも近い不安を抱かせた。黒鷺は溜めることなく、それをすんなりと言い終えて小皿に手を伸ばす。


「合真がすごく調子が悪いか、あるいはすごく敵が強いかだね」

「おいおい…」

「まあ大丈夫だよ。晴死んでも生き返るみたいだし、本当にやばいときの手段は残ってるからさ」


「不安だ…」

「随分人間らしくなったねえ」

 呑気なティータイムを過ごす二人とは対照に、その裏では熾烈な戦いが行われている。不安を抱える仰丸を見て、優雅に過ごしていた黒鷺であったが、真に憂うべきは、仰丸ではなく黒鷺の方であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る